嘘と血

四月三日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の報道官、セルゲイ・ニキフォロフ氏がBBCのインタビューに応じ、ロシア軍から奪還した首都キーウ周辺の地域で、複数の市民が処刑され、集団埋葬地に埋められていたことが判明したと語った。 じっ…

「英雄の証明」〜ソーシャルメディアの光と闇と不条理

素晴らしくて繰り返し観たい映画のいっぽうに、優れてはいるけれど、もう一度観るのは躊躇する、っていうかなかなか立ち向かう勇気の湧かない名作があります。 前者はさておき、問題は後者で、わたしのばあい、たとえば「西鶴一代女」を再度観るまでにはずい…

辛夷と桜

本を読むのにいちばん参考にしたのは丸谷才一氏の書評、および同氏とその書評グループの、はじめは「週刊朝日」、のち「毎日新聞」に載った書評群、次が「週刊文春」連載の「本を狙え!」をはじめとする坪内祐三氏の書評だった。残念ながら二0一二年に丸谷…

『ほいきた、トシヨリ生活』〜隠居のしあわせ 

中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』(文春文庫)を読んだ。著者の映画や本や落語などの好みの感覚がわたしにはうれしく、これまで多分に刺激を受けてきたコラムニスト、エッセイストである。 単行本は『いくつになっても、トシヨリ生活の愉しみ』として二0一…

「暴力行為」〜収容所からの脱走をめぐって

Amazon Prime Videoの魅惑のモノクロ旧作群に「暴力行為」が収められていて十数年ぶりに再会しました。ナチスの戦争犯罪を問い、また信念を貫く人物を多く描いたフレッド・ジンネマン監督(1907-1997)の初期の作品です。 あまり知られていないとおぼしい秀…

電子辞書

二00七年に書いた「電子辞書の時代に」というエッセイに、わたしは、大学院で英文学を専攻する知人から聞いた話として、電子辞書があるので特段の必要がない限り教室に紙の辞書を持参する院生はいないと書いていて、すでにこのころ大学では辞書は頁を繰っ…

ミモザとアカシア

ご近所を散歩していたところ花屋さんの掲示板に、三月八日はミモザの日、イタリアで男性から女性にミモザの花が贈られるようになったことに由来していますといった旨のことが書かれてあった。帰宅してネットをみると三月八日の国際女性デーの日にもとづいて…

辛夷

ご近所の根津神社の裏門坂に辛夷の木が何本か並んでいて、春の足音が近くなるいまの季節、白い花を咲かせる前の蕾を見せてくれている。名前の由来は、この蕾が子供の拳(こぶし)に似ているところから来ているとするいっぽう『滑稽雑談』(正徳三年)には「…

英語の勉強

拗ね者として聞こえた金龍通人という人がいて、自宅の戸口に「貧乏なり、乞食物貰ひ入る可からず」「文盲なり、詩人墨客来る可からず」の聨を懸けていたという。 薄田泣菫『茶話』の「玄関」というコラムにあった話だが、残念ながら通人がいつの時代のどうい…

ロシアの侵略に思う

ウクライナが気の毒でときにTVニュースを見ていられない。映像を見るのが辛い。しかし情報は知っておきたいのでその際はラジオに頼っている。 二月二十三日プーチン大統領はウクライナ国内の親ロシア派支配地域の独立を承認する大統領令に加え、ロシアと両地…

『ウディ・アレン追放』〜「事件」を知るためのまたとないノンフィクション

日本で公開されたウディ・アレンの映画(監督作品、出演作品ともに)はずっと見てきた。出来不出来はあっても長年にわたるおつきあいだからなんだか生活習慣のようになっていて、書店で猿渡由紀『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)という本が並んでいて、ひ…

「ウエスト・サイド・ストーリー」

「ウエスト・サイド物語」が日本で公開されたのは一九六一年十二月二十三日でした。そのころわたしは小学五年生で、映画をみたのは六年生のときだったと記憶していますが、あるいは五年生だったかもしれません。 どうしてこの映画に接したのかは思い出せませ…

大相撲初場所

元旦。おめでたい和歌を三首。 「春毎に松のみどりの数そひて千代の末葉のかぎりしられず」(志賀随翁) 「たらちねのちとせのよはひ末高くかはらぬやどにきますたのしさ」 「万代のとしにもあまる君がやどにとも引つれてあそぶ老鶴」 大田南畝『一話一言』…

柳橋

永井荷風ゆかりの地の散歩で久しぶりに柳橋界隈を廻った。ここは新橋、葭町、人形町、新富町などととともに昔の東京を代表する芸者街、かつての風情でいえばかろうじて屋形船にその名残りがうかがわれる。 柳橋と対比されるのが新橋で、荷風は柳橋の上品で、…

「声もなく」

ホン・ウィジョンという一九八二年生まれの新人監督が撮った韓流作品です。素晴らしいというか、凄いというか、いずれにしてもこれから要注目の女性監督に大きな拍手を贈ります。 鶏卵の小売をするいっぽう犯罪組織から死体処理を請け負う中年チャンボク(ユ…

「ハウス・オブ・グッチ」

グッチオ・グッチによって一九二一年に創業されたイタリアのファッションブランドGUCCIの創業家の興亡に目を凝らしつづけた159分でした。一九七八年からおよそ二十年にわたるグッチ家の繁栄、抗争、確執、悪行、愛憎などを盛り込んだ長尺のドラマをだれるこ…

真珠湾攻撃と俳句

十二月。それまで忘れていても月はじめになると歳時記を手にするのが長年のくせというか習慣になっている。 「路地ぬけてゆく人声や十二月」(鈴木真砂女) どうして十二月なのかと思わぬでもないが、ほかの月と違って音数が五音なので坐りがいいね。 「どぜ…

芥川龍之介を読もう!(二)

まずはネットにある青空文庫の芥川龍之介全作品を読んでみることをことしの読書の抱負とした。これを書いているいま、すでにとりかかっていて、王朝もの、切支丹もの、日本や支那の古典、説話に題材をとったものなど多彩な作品世界に魅せられている。これま…

芥川龍之介を読もう!(一)

昨年の暮れ、鬼に笑われたくないけれど、来年二0二二年の読書の第一目標を芥川龍之介全集の通読とした。テキストはネット上の青空文庫の芥川作品を集成し『筑摩全集類聚版芥川龍之介全集』に準拠して並べたものだから、げんみつには全集ではないが、とりあ…

「天才バイオリニストと消えた旋律」

一九五一年、将来を嘱望されている若手ヴァイオリニスト、ドヴィドル・ラパポートのデビューコンサートが開かれるその日、かれは忽然と姿を消した。リハーサルを終え、あとは本番を迎えるばかりだったのに。 冒頭に提出されたこの謎にたちまち引きつけられま…

マイ・ファニー・ヴァレンタイン

ジャズのスタンダードナンバーでいちばん歌われ、演奏される機会の多い曲はなんだろう。第一感は「 マイ・ファニー・ヴァレンタイン」( my funny valentine )で、ボーカル、インスツルメントゥル問わずいろんなアルバムに収められていて聴く機会が多いこと…

お年賀

明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願い申し上げます 二0二二年一月一日 先ごろ古稀を迎えて感慨にひたっていたら、もう年男がめぐってきました。寅年の七十二歳、なにがめでたいと表向きは突っ張っているのですが、心のなかではよい年であっ…

小晦日(こつごもり)

大田南畝「吉書初」にこんな一節があった。 「もういくつねて正月とおもひしをさな心には、よほど面白き物なりしが、鬼打豆も片手にあまり、松の下もあまた潜りては、鏡餅に歯も立がたく、金平牛蒡は見たばかり也。まだしも酒と肴に憎まれず、一盃の酔心地に…

はじめての平泉

本ブログはほぼ月に一度日記の抄録をアップしていて、ことし四月三十日付の日記抄「『太田南畝全集』」のなかで、レオ・マッケリーについて以下のことを書いた。 この人の作品ではいまだに「明日は来たらず」と「人生は四十二から」をみる機会に恵まれないの…

坪内祐三を読む

D・M・ディヴァイン『運命の証人』(中村有希訳、創元推理文庫)を読んで故水野晴郎の「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」を思い出し、「いやぁ、ミステリーって本当にいいもんですね~」とひとりごちた。 友人から「眠れる虎」とあだ名された弁護士…

2019マルタ共和国

二0一九年十二月にマルタ島を訪れ、それから先はコロナ禍で海外へは行っていませんから、ずいぶん日が経ってしまいましたが、以下はいまのところわたしの最新の海外旅行の記録です。 十二月四日、 成田空港からイスタンブール経由でマルタ共和国に来た。 偶…

「パーフェクト・ケア」〜ブラックな介護で大儲け

スパイ小説の作家に、ジョン・ル・カレとイアン・フレミングが、主人公でいえばジョージ・スマイリーとジェームズ・ボンドがいて世の中はまじめとおあそびの均衡がとれている。 古代ローマ時代の南イタリアの詩人ホラティウスが「徳そのものを飽くことなく追…

『台北プライベートアイ』~夢中で読んだ華文ハードボイルド

紀蔚然『台北プライベートアイ』(松山むつみ訳、文藝春秋)。題名からおわかりのように中国語で記述されたプライベートアイ ( 原題『私家偵探 PRIVATE EYES』)の物語、すなわちハードボイルドである。 大陸、香港、台湾を問わずいくつか華文ミステリーは…

いまひとたび、人生七十・・・

ことし二0二一年三月三日に九十三歳で亡くなった小沢信男の遺著『暗き世に爆ぜ 俳句的日常』(みすず書房)に「初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり 青畝」という一句があった。 作者阿波野青畝(あわのせいほ1899-1992)は原田浜人、高浜虚子に師事し、昭和初期…

人生七十・・・

「人生七十古来稀」と前書があるから大田南畝(1749~1823)が七十歳を迎えたときの作だろう。 「一たびはおえ一たびは痿(なえ)ぬれば人生七十古来魔羅なり」 「おえ」は生え、でよいのかな。いま七十歳の老輩が身につまされたのはいうまでもありません。 …