芥川龍之介を読もう!(一)

昨年の暮れ、鬼に笑われたくないけれど、来年二0二二年の読書の第一目標を芥川龍之介全集の通読とした。テキストはネット上の青空文庫の芥川作品を集成し『筑摩全集類聚版芥川龍之介全集』に準拠して並べたものだから、げんみつには全集ではないが、とりあえずここにある作品をすべて読むこととした。書いたからには有言実行としなければならない。そうして書簡や断簡零墨まで読みたくなれば岩波版全集に進めばよい。近所の図書館にあるのは確かめてある。

きっかけは石割透編『芥川追想』(岩波文庫)に収める「敗戦教官芥川竜之介」だった。 ここに芥川が横須賀の海軍機関学校の教官だったときの教え子の一人篠崎磯次大佐からの直話にもとづいたエピソードがある。書いているのは中央公論社出身の作家諏訪三郎(半沢成二)である。

「君達は、勝つことばかり教わって、敗けることを少しも教わらない。ここに日本軍の在り方の大きな欠陥がある」。敗けてはいけない「しかし勝つためには、敗けることも考えるべきだ」。

二十代半ばで海軍機関学校の嘱託教官となった芥川はあるとき授業でこう語った。そして「戦争というものは、勝った国も敗けた国も、末路においては同じ結果である。多くの国民が悲惨な苦悩をなめさせられる」と続けた。 

第二次世界大戦後、東久邇宮内閣で外務大臣に任命された吉田茂は、敗戦のときの総理大臣だった鈴木貫太郎に「戦さは勝ちっぷりもよくなきゃならないが、負けっぷりもまた大事なのだ。しっかりしろ」といわれたという。(吉田健一『父のこと』)。

「勝つためには、敗けることも考えるべきだ」は的確に日本の将来をみていて、鈴木貫太郎のことばに通じている。

おなじく「敗戦教官芥川竜之介」に武士と軍人の違いを語った箇所がある。

「昔の士は、武士と経済家とインテリが士だったのだ。そこへゆくと、君達は、単に職業軍人にすぎない」。

おなじく武を尊んだにしても「士」には経済家とインテリがリンクしていた。山本周五郎藤沢周平の作品はこの「士」があって精彩と魅力を放っている。 いっぽう職業軍人は鉄砲や大砲の扱い方の指導、物資調達、作戦を練るなどの機能に分かれた分業の世界である。その分業に徹したならまだしも、軍人たちは大日本帝国憲法統帥権の独立を盾に政治に横槍を入れ介入を繰り返した。そして政治の側からは軍部に介入できない、歪んだ立憲君主制だった。

それにしてもこのとき二十代半ばの芥川の見識はどこから生まれたのだろう。小島政二郎が『長篇小説 芥川龍之介』に書いているように「彼は私にとって先生だった。少くとも、私の友達の中に、こんなに知識を持ってい、こんなに教養の豊かな友達は一人もいなかった」という事情はわかるが、これではあまりに抽象にすぎる。

大正十二年四月の日付のある「保吉の手帳から」に、海軍機関学校で英語を教えている教官保吉が、テキストのあまりのつまらなさに辟易し「こう云う時ほど生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを弁じたい興味に駆られることはない、元来教師と云うものは学科以外の何ものかを教えたがるものである。道徳、趣味、人生観、ー何と名づけても差支えない、とにかく教科書や黒板よりも教師自身の心臓に近い何ものかを教えたがるものである」、しかし生徒は学科を教わりにきているのだからとそこから離れるのを自制するくだりがある。「敗戦教官芥川竜之介」にあるエピソードはこのとき以上に退屈でつまらないテキストをまえにしたときの保吉=芥川のものだったとすれば愚にもつかないテキストの大きな功績といわなければならない。

それはともかく、作品を通して芥川という人に迫りたい。もちろんわたしだって「蜘蛛の糸」や「杜子春」「藪の中」ぐらいは読んでいるが、もっともっと多くの作品を読むことでこの人を知りたい。こうしたいきさつからことし二0二二年の読書の抱負は芥川作品の通読とした。

ついでながら『芥川追想』を知ったのは「週刊文春」に連載されていた坪内祐三文庫本を狙え!」の一篇で坪内は〈芥川竜之介は「将来に対する唯ぼんやりとした不安」を理由に自殺する。つまり的確に日本の将来を見ていた。/その芥川の文学を「『敗北』の文学」として否定した宮本顕治は文学オンチ、いや政治オンチの凡庸な人だ〉と書いている。おっしゃるとおりである。