2019-01-01から1年間の記事一覧
令和元年、鷲神社の酉の市は十一月八日が一の酉、同二十日が二の酉にあたる。 渡邊千枝子の句に「一の酉夜空は紺にはなやぎて」があり、紺の空のもと繰り出した大勢のなかには「酉の市に至りも着かず戻りけり」(数藤五城)といった人もいるほどのにぎわいだ…
イギリス、ニューカッスルに住むターナー家は父母と高校生の息子と小学生の娘の四人家族。 借家状態の不安を解消したい父親リッキーは早くマイホームを購入したいとフランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意し、個人事業主として宅配事業者と契約する…
年末の風物詩にベートーヴェン「交響曲第九番(合唱付き)」があり、わたしもこの季節になるとわが家にある唯一の「第九」、一九五一年バイロイト音楽祭でのフルトヴェングラー指揮によるディスクを取り出して聴くことになる。 年の暮れと第九が結びついたの…
ヒラリー・ウォー(1920-2008)はわたしの大好きなミステリー作家で、さきごろも『生まれながらの犠牲者』の新訳本(法村里絵訳、創元推理文庫)を読み、あらためてこの人の作品にはハズレがないなあと感心した。 『生まれながらの犠牲者』は行方不明となっ…
一九四一年十二月八日からことしで七十八年が経つ。いつだったか、どなたかが、いまの日本の雰囲気を七十八年前の十二月八日のまえに似ていると語っていた。そのときはいくらなんでも心配のし過ぎだろうと思って気に留めなかったが、先日、堀田善衛の自伝小…
凱旋門の売店で買い物をして、そのあと再びシャンゼリゼ通りをコンコルド広場に向けて散歩した。 「凱旋門ノ正中ヨリ、『シヤンゼルゼー』ノ広衢ヲスキ、其衝当(ツキアタリ)ニ「チュロリー」宮アリ、宮門ノ前ニ、又一場ノ広区ヲ開ケルヲ、『コンゴルト』ノ…
サン・ジェルマン・デ・プレからシャンゼリゼ通りへ出た。ルイ・ヴィトンは賑わい、向かい側のキャバレー、リドでは華やかなショー繰り広げられているが時間がなく、シャンゼリゼを散策したあとは凱旋門に上がった。 野上弥生子は『欧米の旅』に、凱旋門上か…
サン・ジェルマン・デ・プレはサルトル、ボーヴォワール、ジュリエット・グレコ、ゴダール、トリュフォーたちが集ったパリの文化活動の中心地として知られる。その姿は過去のものとなったが、いまもジャーナリストや演劇人の溜まり場となっているカフェはあ…
「何世紀も前パリがシテ島の城塞都市で、今日のサン=ジェルマン広場では牛が草を食んでいた頃、シテ島の城塞を最初に出た人人の一部がセーヌ左岸沿いに住みついた」。やがて河岸からすこし南をセーヌ川に平行するユシェット通りには配達車、ペダルを踏んで…
サン・ジェルマン・デ・プレ(2015オランダ、ベルギーそしてパリ 其ノ六十) 五十年代末のパリを舞台にした映画「ラウンド・ミッドナイト」はアメリカからやって来た伝説的なジャズ・ミュージシャンとその音楽を愛するフランス人青年との友情を描いた佳篇で…
ラグビーワールドカップ日本大会は十一月二日、南アフリカ対イングランドの決勝戦で南アが勝利し、幕を閉じた。準決勝でイングランドがニュージーランドに勝利した試合は見事なものだったが、スクラムで南アとこれほど差があるとは思いもよらなかった。 二十…
ポンヌフを渡り、サン・ジェエルマン・デ・プレに向かう途中には数軒の古本屋が並んでいる。フランス文学者河盛好蔵先生の名エッセイ集『河岸の古本屋』のもたらすイメージもあり、セーヌ川沿いの古本屋はいかにもパリという気になる。 「自分は中学校で初め…
シテ島からポンヌフへ引き返し、クルーズ船に乗った。数年前にパリを散歩したときはモンマルトルに行った関係でクルージングは断念したから、今回ようやくセーヌ川の水上周遊となった。料金は大人ひとり十四ユーロ。渡された半券の裏には次回持参者は一ユー…
セーヌ川の中州シテ島は「パリ発祥の地」とされ、ノートルダム大聖堂のほかにパリ警視庁や最高裁判所、パリ市民病院などが建つ。並べるとお堅いイメージになるが、ご覧のように昔ながらの市も立っているし、川沿いをジョギングする人も多い。 島へ架橋する橋…
一八三一年に刊行されたヴィクトル・ユーゴー『ノートルダム・ド・パリ』はその後、何度か映画化され、ミュージカルとなり、バレエ作品をも生んだ。 わたしがノートルダム大聖堂を知ったのは「ノートルダムのせむし男」という映画だった。中学生のときテレビ…
エッフェル塔、凱旋門、ノートルダム大聖堂、いずれもパリの象徴的存在だが、2011年のはじめてのパリ旅行では残念ながら大聖堂を見残した。そこで今回はここを最優先とした次第で、比類のないゴシック建築の隣にはセーヌ川が流れていて、ようやくパリが誇る…
地下鉄ポンヌフ駅で降りて地上へ出ると、いつだったかニュースの映像でお目にかかった「カデナ ダムール」(愛の南京錠)を目の当りにした。 「カデナ ダムール」は恋人同士が永遠の愛を誓い、南京錠に二人の名前を書いて欄干の金網に取り付けて鍵をかけ、鍵…
いよいよパリ市内での終日自由行動だ。交通機関に不案内なのでいささか緊張を覚えながらまずはシテ島のノートルダム・ド・パリをめざした。ホテル近くの地下鉄の駅で一日乗車券を購入してポンヌフで降り、そこからセーヌ川に沿って歩いた。 たしかにこの道と…
ブリュッセルからパリへは二百九十キロメートル、バスで四時間半の行程だ。夕刻のパリを車窓観光したあとライトの灯るエッフェル塔で下車した。はじめてパリを観光したのが二0一一年だから四年ぶり二度目の「花の都」だ。この日は十月二十四日。翌日はあり…
コロマバラ園の並木道のほとりには小川が流れていて、地元の方とおぼしき方が釣り糸を垂らしていた。この光景を目にした瞬間、美術館に展示されてあるバルビゾン派の絵画が現実のものとなった気がした。 訪れたことはないけれどフォンテンブローの入口にある…
ほんとうに素敵な場所へ案内していただいた。心も身体も洗われる気がしたコロマバラ園だった。ノーマークどころか名前すら知らなかった場所だったから余計うれしかった。 季節外れに近い時期ながら花の魅力は十分感じられたうえ、門前にいたる「鈴懸の径」(…
おなじく堀口大學の訳詞集『月下の一群』に収める、ルミ・ド・グウルモン「あらしの薔薇」より。 白き薔薇(しょうび)は傷つきぬ 荒ぶ暴風雨(あらし)の手荒さに、 されども花の香はましぬ 暴風雨の手荒さには政治、軍事の要素も含まれているかもしれない…
堀口大學の訳詞集『月下の一群』にレエモン・ラジゲの「ばらの花」がある。 (出来るなら接吻してごらん) お前が接吻したとしても ばらの色は褪せはしないから 微風の手で打たれたので紅い頬をしてゐるのです そよ風に打たれた紅い頬は可憐なバラだ。いっぽ…
コロマバラ園はブリュッセルの郊外シント・ピータース・レーウという小さな町にある。添乗員の方の大のおすすめだけあって、なるほど素敵な空間だった。 バラの見ごろは六月下旬から七月下旬、秋バラが咲くのは八月下旬から九月上旬。わたしたちがここを訪れ…
ベルギー生まれの女性でまず思い出すのは一九二九年五月四日ブリュッセルのイクセルで誕生したオードリー・ヘプバーンだ。戦前はベルギー及びイングランド、オランダに在住経験があり、オランダではナチス占領下のアーネムに住んでいた。 男ではエルキュール…
ベルギーのビールはバラエティに富んでいて、銘柄数は千を超えているとか。この日のレストランでは白ワインで蒸したムール貝とホワイトビールを注文してみた。 Wikipediaにはホワイトビールについて「ベルギーの白ビールにはコリアンダーやビターオレンジピ…
わが故郷高知市のはりまや橋はがっかり観光名所といわれたりする。橋だけ見るとわからないでもないが、ここは安政の昔、竹林寺の僧純信と鋳掛屋の娘お馬との禁断の恋の舞台となったところで、そうした故事来歴を念頭において橋上に立っていただきたいもので…
グラン・プラスからつづく商店街ガリル・サンチュベールは一八四七年に完成したヨーロッパ最古のアーケードのひとつで、カフェや有名なチョコレート店、内外の高級ブランド店などがならぶ。ネオ・クラシック様式とネオ・イタリア様式からなる瀟洒な商店街と…
ブリュッセルの中心広場グラン・プラスは縦百十メートル、横六十八メートルの長方形の広場で、周囲を王の家(ブリュッセル市立博物館)や市庁舎、ギルドハウスなどいずれも見事な石造りの建物が囲んでいる。一九九八年にユネスコ世界遺産に登録された広場を…
一昨日十一月九日、東京都北区赤羽マラソン大会に参加した。毎年この時期は「新宿~青梅43㎞かちあるき大会」に参加していたが、大会そのものがフィニッシュしてしまったので、赤羽マラソンへのエントリーとなった。 フルマラソンはなく、最長はスリークォー…