まずはネットにある青空文庫の芥川龍之介全作品を読んでみることをことしの読書の抱負とした。これを書いているいま、すでにとりかかっていて、王朝もの、切支丹もの、日本や支那の古典、説話に題材をとったものなど多彩な作品世界に魅せられている。これまでのところでとくに印象に残った三作品についてメモしておこう。
「女体」
中国の楊某という男がとりとめもなく妄想に耽っているうちに虱(しらみ)が寝床の縁を這っているのに気がついた。虱は寝床で裸のまま寝て安らかな寝息をたてている細君のほうに向かっているようであった。やがて楊の意識は朧げとなり、夢か現かわからなくなり、気がつくと楊の魂は虱のなかにはいっている。
楊=虱が這っていると、一座の高い山があり、それは白く凝脂のような柔らかみがあり、美しい弓なりの曲線を遥かな天際に描いている。そして楊は気づいた。山は細君の乳房のひとつであることを。かれは虱になってはじめて細君の肉体の美しさを認識できた。
フェリーニ「8 1/2」やカフカを連想させるモダニズムの小説に感嘆した。中国の古典に依っているのだろうか、 だとしたら作者はどんなふうに改変して仕上げたのか。(ベースになった作品についてご存知の方がいらっしゃったら教えてくださいとTwitterに書いたら、ある方から想像ですが『聊斎志異』にあるような話ですねとお返事をいただいた)。あるいは芥川の創作かもしれない。虚実皮膜から現実と幻想の境界があいまいになり、そこに生ずる不条理で、シュールな物語!
「孤独地獄」
摂津国藤次郎(つのくにやとうじろう)すなわち津藤(細木香以、幕末の俳人、商人1822-1870)と放蕩三昧の禅僧、禅超の、袖すり会うも多生の縁のいきさつをしるした短篇で、芥川の母は細木香以の姪にあたっていて「この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父から聞いたと云つてゐる」とある。
なかに「菫野や露に気のつく年四十」という津藤の句がある。自然と人生をめぐる感性が年四十あたりで変化してきたことの自覚で、多くの方が覚える人生行路の一端ではないかな。
仏説によると地獄にもさまざまあり大きくは根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分かたれ、その孤独地獄に自分は落ちたと禅超は語っていた。孤独地獄については「大辞林」に「『仏』地獄の一。現世の、山野・空中・樹下などに孤立して存在する地獄。孤地獄」とあったがあと二つの立項はなく、地獄にもポピュラーとそうでないところがあるようだ。
細木香以は森鴎外の作品名で知る人だったが「孤独地獄」を媒介にようやく「細木香以」を読んだ。それによると、父竜池の後を継いだ香以は四十九日が済んだ頃から遊所に通いはじめ、傍人の思惑を顧みないようになり、交友は俳諧師、狂歌師、狂言作者、書家、彫工、画工に及び、大通として聞こえたが、豪遊の果てに零落し、「己れにも厭きての上か破芭蕉」を絶筆として明治四年十月十日に歿した。
鴎外はまた芥川から聞いたことのひとつとして「細木」のよみについて「細木香以の氏細木は、正しくは『さいき』と訓(よ)むのだそうである。しかし『ほそき』と呼ぶ人も多いので、細木氏自らも『ほそき』と称したことがあるそうである」としるしている。
『増補幸田文対話』(岩波現代文庫)に収める山本健吉との対談で幸田文が父露伴の読書法について「一つのことばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。軍勢が進んでいくようにとか言っていましたね」「氷がはるときは先に手を出して、それが互いに引き合ってつながる。そうすると中へずっと膜を張って凍る。知識というのはそういうもので、一本一本いってもうまくいかない。こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだ」と語っていた。わたしの読書が「孤独地獄」から「細木香以」へひろがり、やがて引き合うよう願っている。
「犬と笛」
大和葛城山の麓に住む髪長彦という若い木こりが三人の神様から、嗅げと命ずるとなんでも嗅ぎだしてくる犬、飛べといえば人間を乗せて空を飛ぶ犬、噛めといえばどんな恐ろしい鬼神でも噛み殺す犬という三匹の犬をもらい、誘拐されたり閉じ込められたりした姫君たちを救う物語である。
髪長彦に犬を授けた三人の神は「足の一本しかない大男」「手の一本しかない大男」「目の一つしかない大男」で、身体の一部を欠く者が常人のおよびもつかない力をもつ、こうした言い伝えは日本の各地に散在していて、柳田國男は「神の去来と風雨」に「土佐の寺川郷で昔或人が目撃したといふ山爺なども、ただ一本の足でぴよんぴよんと跳ねあるいて来たなどと、眼の迷ひかは知らぬがとにかくかういふ隔絶した一致がある。朝鮮でも中国でも、又北欧の前代神話でも、神を独脚に想像して居た記録が多い、といふだけは少なくとも事実であつた」と書いている。
三篇いずれも芥川の文学世界の広がりをよく示している。いま読んでいる「秋」は、姉が、好きだった従兄の大学生を妹も好きと知って、別に嫁ぐ、その姉妹の微妙な揺らぎを描いて松竹の大船作品を思わせる。