「ウエスト・サイド・ストーリー」

ウエスト・サイド物語」が日本で公開されたのは一九六一年十二月二十三日でした。そのころわたしは小学五年生で、映画をみたのは六年生のときだったと記憶していますが、あるいは五年生だったかもしれません。

どうしてこの映画に接したのかは思い出せません。親といっしょでなかったのは確かです。友達はどうだったかな。共働き家庭で親子そろって遊びに行く環境にはなかったためか、子供が一人で映画へ行ってもよかったから単独行の可能性が高い。おそらく評判につられて映画館へ足を運んだのでしょう。

ウエスト・サイド物語」が「ロミオとジュリエット」の枠組みに、移民や人種差別をめぐる社会問題を組み込んだミュージカルとはずっとのちに知りました。それらは情報に疎く、どんくさい小学生には理解の外、思いもよらないことがらでした。

惹かれたのはもっぱら踊りと歌。群舞はどのシーンもかっこよく、歌は素晴らしく、なかでも、ダンスパーティのあとリチャード・ベイマーのトニーが歌う、その夜出会ったナタリー・ウッドのマリアに愛を捧げる「マリア」、そうして彼女のいるアパートを訪ね、階段のところにいたトニーと、バルコニーに現れたマリアによるデュエット「トゥナイト」は脳裡に焼き付いたとして過言ではありません。

「トゥナイト」のシーン、はじめは「マリア」「トニー」とささやいていた二人でしたが、たちまち心は高まり、めくるめく恋の高揚をこれ以上ないほどにその曲は表現し、極みに達したところでふたたび静かになってトニーは家路につきました。このときの興奮をわたしはいまでも復元可能な気がしています。

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それから六十年あまり、 スティーブン・スピルバーグ監督によりリメイクされた「ウエスト・サイド・ストーリー」はこれまた極上の作品でした。

鑑賞しているうちに意識はおのずとオリジナル版にも向かい、このシーンはおなじ感じ、あそこは違えていたとかあれこれ思いながら至福のときを過ごしました。そのなかから二、三のことをしるしておきます。

撮影、録音技術の向上も作用しているのでしょう、新作におけるニューヨークの空間はオリジナル版に比べてずいぶん広やかで、そのぶん踊りや歌のシーンがダイナミックに、またエネルギッシュになっていました。

セピア感漂うニューヨークの光景も見事なものでした。

トニーとマリアの愛はどうして実を結ばなかったのか、なぜ愛は不可能だったのかという問いかけはオリジナルも新作もおなじなのですが、しかしスピルバーグ監督は過去の問いをなぞるのではなく、いま現在の地点から問いかけています。現代からセピア色のニューヨークを撮る、いっぽうでそのニューヨークからも現代の世界とアメリカの分断を見ているといえばよいでしょうか。

想像ですが、そうした意識と視線がリタ・モレノの役柄を生んだ気がしています。オリジナル版でプエルトリコストリート・ギャングのリーダーの恋人アニタを演じたリタ・モレノスピルバーグ版では酒場の店主バレンティーナを演じています。どんな役柄かって?ここでは敵対するプエルトリコ系移民の「シャークス」とポーランド系移民の「ジェッツ」とを繋ぎ、二つのウエスト・サイドの物語に橋を架けた役といっておきましょう。エグゼクティブ・プロデューサーでもある彼女の存在があって新しい「ウエスト・サイド・ストーリー」は輝きを増しました。

(二月十五日 TOHOシネマズ上野)