大相撲初場所

元旦。おめでたい和歌を三首。

「春毎に松のみどりの数そひて千代の末葉のかぎりしられず」(志賀随翁)

「たらちねのちとせのよはひ末高くかはらぬやどにきますたのしさ」

「万代のとしにもあまる君がやどにとも引つれてあそぶ老鶴」

大田南畝『一話一言』巻49より。

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歳末にNHKBS1スペシャルで「良心を束ねて河となす ~医師・中村哲 73年の軌跡~」をみた。二0二0年十二月に放送されたドキュメンタリーの再放送で、中村先生の人生の軌跡のなにほどかを知ることができた。なかで驚いたのが、母方の祖父母が玉井金五郎とマン夫妻だったこと、つまり火野葦平『花と龍』の主人公である。

玉井金五郎、マン夫妻の長男が火野葦平だから、中村哲先生は作家の甥にあたる。玉井は朝鮮人沖仲仕に雇い、面倒見もよかったそうだ。勝手な想像だが、玉井にはアジアはひとつ、といった思いというよりも気質に近いものがあり、その血が中村先生に流れ込んでいるような気がした。

玉井金五郎、マン夫妻を知ったのは一九六二年のお正月、小学校五年生のときにみた石原裕次郎浅丘ルリ子主演の「花と龍」で、吉永小百合浜田光夫高橋英樹たちが出演する「青い山脈」との豪華二本立てだった。「青い山脈」の鮮烈な印象でわたしにとって「花と龍」は二番手格だったが、それでも玉井金五郎の名前はしっかり記憶した。小学五年にしてサユリストとなったわたしはさっそく新潮文庫にあった石坂洋次郎青い山脈』を読んだ。映画をきっかけに手にしたはじめての文庫本が人生の読書はじめであり、やがておなじ新潮文庫の『花と龍』も読んだ。

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一月五日。 シネマート新宿での韓流作品「ただ悪より救いたまえ」をことしの映画はじめとした。拐かされた幼女の奪い合いを軸にした犯罪アクション作品で、ここに人身売買と臓器売買を絡ませて社会性を持たせ、韓国、タイ、日本にわたる黒社会を取り上げている。いささかエグいけれど、これもまた現実なのだろう。

タイで韓国人女性が惨死し、その幼女が誘拐される。父親は亡くなった女性の元恋人インナムで、彼は事件を機に彼女が別れたのちに出産したことを知り、娘の奪還に向かう。ところがインナムは元プロの殺し屋で、最後の仕事は東京のヤクザの大物コレエダの殺害だった。そのためインナムはコレエダの凶暴な弟のターゲットになっており、バンコクで娘の奪還にくわえ報復のため襲いかかってくる東京ヤクザの身内との対決も強いられる。人身売買と誘拐による臓器調達グループと幼女を救おうとするインナム、幼女を追うことでインナムの所在を探る男。定石通りと思いながらもむやみに興奮してしまった。

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昨二0二一年十二月八日は真珠湾攻撃から八十年目にあたっていた。その年、一九四一年(昭和十六年)元旦、永井荷風は『断腸亭日乗』に「時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣いながら崖道づたい谷町の横町に行き葱醤油など買ふて帰る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。此の如き心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とても之を束縛すること能はず。人の命ある限り自由は滅びざるなり」と書いた。年末の日米開戦を思い合わせ、何度読んでも感銘深い。ちなみに荷風は自由に敵対する者を「定業なき暴漢と栄達の道なかりし不平軍人」「曾ては家賃を踏倒し飲酒空論に耽り居たる暴漢」「威嚇を業とする不良民愛国の志士」とした。

それから二年と数か月のち、昭和十八年十月三日の『日乗』には追い詰められた民衆の姿を映した落首が書きとめられている。

「世の中は星に錨に闇と顔馬鹿な人達立つて行列」

なお「星」は陸軍、「錨」(いかり)は海軍。予科練の歌の、七つボタンは桜に錨、のいかりである。荷風にとってカーキ色の軍服、国民服は「糞色服」なのだった。

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一月十六日。国技館で大相撲観戦。 昨年末、友人が一月場所中日の正面枡席を引き当ててくれたおかげでうれしい一日となった。昨秋はラグビー早慶戦のチケット抽選でも当たりを引いてくれていて、友とすべきは物くるる人、医師、知恵ある人とは『徒然草』にある名言だが、わたしはこれにくじ運よき人を加える。

願わくば枡席でお酒を呑みながら観戦したかったがいまは水分補給以外はNG。早く新コロナ禍が終わって、枡席でお酒が飲めるようになってほしいな。

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久しぶりの国技館だから相撲についてのエッセイを何篇か読んでだなかに、政治家で、横綱審議委員会初代委員長、相撲博物館初代館長を務めた酒井忠正「しこ名」があり、珍奇なしこ名があげられていた。曰く、器械舟、電気燈、猫又、唐辛、片福面、凸凹、次亜燐などなど。

このうち器械舟、電気燈は文明開化の流行を追ったものであろう。いずれも出世しそうにないしこ名で、初代横審委員長は凸凹(おうとつ、それともでこぼこ?)が横綱になれば面白いとは思うが、そうなると改名でもしなければ横綱土俵入はさせられないだろうと述べていた。

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録画してあったNHKBS1の「大相撲どすこい研」の何回分かをみた。「アノ技の意外な裏側や角界の不思議なしきたり、知って得する歴史などなど、これまでにない切り口とユニークな調査手法で深~く掘り下げます」をウリにしていて、なかなか薀蓄を傾けた番組だ。

寺田寅彦が「相撲」というエッセイで、囲碁能楽のように西洋人に先鞭をつけられないうちにだれか早く相撲の物理学や生理学に手をつけたらどうか、と述べていて、番組の相撲の決まり手を力学として追求したパートなどその要求に十分応える内容だった。ここからさらに深め、広げてゆくと物理学がたのしくなるだろう。

寅彦はまた、いつも虫食い本を通してみた縁起沿革ばかりでなく、世界各地方の過去から現在までに行われてきた類似の角力戯の比較などもおもしろいのではないかと提案している。早くからモンゴルや朝鮮の相撲に着目していて、寺田寅彦ってほんと自由闊達で柔軟な頭脳、精神の持ち主だとあらためて認識した。

ところで「どすこい研」を担当している司会者が快調で、愉快で「NHKにもノリのいいアナウンサーがいるねえ、BSではすこしハメを外し気味でもよいのかな」といったところ「お父さん、今田耕司NHKのアナウンサーじゃなくて、吉本興業のお笑いの人」とたしなめられ、嗤われた。

過日は「総務省事務次官だった人の息子が属しているグループがSMAP?」と訊ねたところ「櫻井翔くんは嵐です」といわれた。令和になる直前、故人となった某民放のディレクター氏から、SMAPを聞いたことのない人は東京で先生だけですよと揶揄されたわたしの面目躍如といったところか。

今田耕司は名前も顔もはじめての方だった。自慢じゃないがユーミンは名前も顔も知っている。ただし山口百恵が引退したころから先のうたをほとんど知らないわたしはユーミンのうたとは無縁と思っていた。ところがつい先日、愛聴する日野美歌の「海を見ていた午後」が荒井由実作詞・作曲と知った。名曲と名唱の傑作アルバム「横浜フォール・イン・ラブ」に収められている。歌詞にある、晴れた午後には遠く三浦岬も見える山手の静かなレストラン、ドルフィンへ行ってみたい。

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若月紫蘭『東京年中行事 』1(東洋文庫)によると春の本場所はそれまで三月(新暦の三月とすれば旧暦の一月)だったのが、明治になって一月(こちらは新暦)に興行されることとなった。たいていは一月十日初日、番付発表が八日、九日が触太鼓だった。新暦と旧暦の問題があり、括弧内はわたしが書き加えた。

初場所や青天十日江戸の春」( 松濤楼)

初場所の大番付や江戸の春」(烏堂)

朝倉治彦氏の註によると、明治時代の年二場所制は一月場所を春場所、五月場所を夏場所としていた。年六場所になってからは一月場所が初場所、三月場所が春場所となり春場所は元の三月に戻った。

江戸時代は十日目以外は婦女子の入場を禁じており、観戦が自由になったのは明治十年のことだった。明治維新のあと相撲人気が衰え、勧進元の回向院は元土佐藩主で粋人として知られた山内容堂にお伺いを立てたところ、女にも見せるようにしたほうがよかろうとのお答えで、女人禁制を解いて相撲人気は高まったのだった。

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Amazon prime Videoでこれまで名前を知るのみだった映画「摩天楼」(一九四九年)をみた。一点の妥協も許さない誇り高い建築家(ゲーリー・クーパー)のプロ根性に支えられた生き方と彼を信じて心を寄せる女性(パトリシア・ニール)の物語。自分が描いた設計図通りに建てられていないとビルに火を放ち無罪になるなど法律的には納得できなかったが、米国の一徹者の心意気はよく描かれていた。

ゲーリー・クーパーパトリシア・ニールの不倫関係はハリウッドの大スキャンダルとして知られる。のちに女優が著した『真実 パトリシア・ニール自伝』(兼武進訳、新潮社)には「撮影が進むにつれて、ゲーリーとわたしは役の演技に託して自分の気持を相手に伝えるようになって行った。彼と一緒に出るシーンを、いつも新しい期待に胸を躍らせながら待った」、そして撮影が終ったとき「ゲーリーとわたしはほんとうに愛し合うようになっていた」とある。

このことが意識にあるからか、映画のラブシーンは演技と思われず、とりわけキスシーンのパトリシアの表情、姿態はホントうっとりしているようだった。 

やがて二人の関係は、家庭的な良い夫としてのイメージのあった大スター、 四十六歳のクーパーを誘惑した二十一歳の女優という構図で語られ、ニールはマスコミから袋叩きにあった。

ニールは妊娠したもののクーパーの妻はカトリック教徒で離婚に応じず、中絶のやむなきに至った。失意のニールは劇作家リリアン・ヘルマンに紹介されたロアルド・『あなたに似た人』・ダールと一九五三年に結婚し五人の子供をもうけたが一九八三年に離婚した。

二0一0年八十四歳で死去。

生涯クーパーを忘れえず『自伝』の結びで彼女はゲーリー・クーパーポートレートを指して「これこそ、わたしが情熱をもって愛した、ただひとりの男性だった。自分のものにしようと闘った、ただひとりの男性だった」と述べている。

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何年ぶりかでベニー・グッドマンオーケストラのカーネギーホールコンサートを初めから終わりまで一気通貫で聴いた。ビッグバンドジャズはあまり聴かないがこのアルバムは別格で、一九三八年一月十六日のスイングジャズの頂点を極めたコンサートにはジャズの魅力とたのしさがいっぱい詰まっている。

「シング・シング・シング」のジェス・ステイシーのピアノ、マーサ・ティルトンのボーカル「素敵なあなた」、「アイ・ガット・リズム」のライオネル・ハンプトンのヴァイブ、「シャイン」のハリー・ジェームズのトランペットなどのパフォーマンスは忘れがたい。

ビッグバンドとはご無沙汰気味だがスモールコンボのベニー・グッドマンはよく聴く。なかでもチャーリー・クリスチャンが参加したCDは愛聴する一枚で、ベニー・グッドマン・オーケストラはノスタルジーとともに振り返る感が強いのにたいし、コンボのほうはモダンな感覚がうれしい。

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増村保造監督「巨人と玩具」で、某お菓子メーカーのコマーシャル・ガールに起用された野添ひとみと、その会社の宣伝部員、川口浩とがこんなやりとりをしていた。

「和英辞典と英和辞典とどう違うの?」

「きみは中学で何してたんだ」

「だってカレーライスとライスカレーはおんなじじゃない」

ライスカレーとカレーライス、何度かその違いは聞いたことがあるがはっきりと覚えていないのでGoogleで調べたところ、ご飯にカレーが最初からかかって出てくるのがライスカレー」、ルーとご飯が別の皿で出てくるのがカレーライスとあった。いまはさほど厳密ではない。

明治の世にはじめてライスカレーを見て、猫の飯のようで変なものだなといった人がいて、それにたいし西洋のおじやだよ、といって普及に努めた人がいた。

新しいものに尻込みする人たちには何らかの手立てをしないと商売にならない。西洋のおじやもそのひとつだった。牛乳は健康によい、おくすりでもあるとされて普及したと聞いたことがある。

昭和二十四年当時、シャルル・ボワイエイングリッド・バーグマンが共演した「凱旋門」が公開され、カルヴァドスというノルマンディ産の林檎酒を二人で飲むシーンが評判になった。

大多数の日本人が飲んだのはもちろん見たことも聞いたこともなかったのに「凱旋門」の役者二人が紹介してくれたのだからカルヴァドスはしあわせなお酒だ。。

もっとも戦後の混乱期、種村季弘は映画に惹かれてやっとのこと新宿にカルヴァドスを置く店があると聞いて行き、飲んだところ、これがとんでもない偽物であとでひどい目に遭った。偽物が出廻るほど流行していたわけだ。

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<out of sight ,out of mind.>視野の外に出ると、心も外に出る、つまり去るものは日々に疎しである。

ことわざは囲碁の定石のようなものか。定石だってときに定石外しで打たれる。ことわざも似たようなものだ。人生も世間も定石通りにはゆかないから、相反することわざも生まれる。

善は急げ、のいっぽうに、急がば回れや、急いては事をし損じるがある。君子危うきに近寄らずの反対に、虎穴に入らずんば虎子を得ずがある。若いときの虎穴に入る気概も、歳がゆけば蒸発して、危うきを避ける君子となる方も多くいらっしゃるだろう。老生もまた。

鳶が鷹を生んで喜ぶ人のいっぽうに蛙の子は蛙の嘆きがある。

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一月の10km走。走ったのは一月八日。六日の大雪で凍った地面を警戒しながらの走りだったが、それでもこれじゃだめだ。来月は挽回できるだろうか、あるいはこれが常態化するか。

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1km4分台から5分台へ、五十代ではじめて1kmに5分を要したときはショックで寝込むほどだった。それがいま6分台が迫ってきている。

昨年末、厚生労働省は、介護の必要がなく健康的に日常生活が送れる期間を示す「健康寿命」について、男性は72.68歳、女性は75.38歳だったと発表した。わたしはことし六度目の年男の七十二歳、長距離を走れるだけでもありがたいとわかっていても、憂いと嘆きは止まない。