2012-01-01から1年間の記事一覧

喫茶店の片隅で

喫茶店で読書に倦んだときは毎度イヤフォーンを取り出し音楽を聴く。お気に入りの曲を繰り返したり別のヴァージョンで聴きたいほうで、今夕は戦前、川畑文子がコロンビアで吹き込んだ「ひとりぼっち」と「泣かせて頂戴」に何度か耳を傾けた。 この二曲の訳詩…

雑司ヶ谷鬼子母神

池袋から雑司ヶ谷へ行くとちゅうに往来座という古書店があり、過日はここで小林信彦『世界の喜劇人』(新潮文庫)と『野坂昭如エッセイ・コレクション』全三冊(ちくま文庫)を千三百円で買った。 とくに前者は気になる絶版文庫だったのでとてもうれしかった…

流言蜚語(関東大震災の文学誌 其ノ十二)

関東大震災では朝鮮人にまつわる噂が飛び交った。井戸に毒を入れた、放火と暴動を起こした、夜陰に乗じてガスタンクへの火付けや市ヶ谷監獄からの罪人の釈放を企てている、クーデターを起こすため海軍東京無線電信所を襲う恐れがあるといったものだ。 ほかに…

雑司ヶ谷界隈

某日。池袋の新文芸坐で「首」と「女のなかにいる他人」を観た。小林桂樹主演作品の追悼上映で、ことし二0一二年は故人の三回忌にあたる。 映画のあとのビールが愛しくて映画館へは夕方から夜にかけて足をはこぶことが多いけれど、この日は例外で初回上映か…

大震災と流行語(関東大震災の文学誌 其ノ十一)

水上滝太郎『銀座復興 他三篇』に収める「遺産」に「妻は、この間ねだった子供の洋服を、震災後の流行言葉で『この際』ぜいたくをいうなと拒まれたのを根にもって、つんとして見せた」という箇所がある。関東大震災のすぐあとで「この際」が流行語になってい…

十二社(じゅうにそう)

「新宿ー青梅43キロかち歩き大会」の出発は新宿中央公園。川本三郎『いまむかし東京町歩き』(毎日新聞社)によれば、都庁をはじめとする高層ビル群に囲まれた一角にあるこの公園一帯はかつて「十二社」と呼ばれていた。「十二社」と書いて「じゅうにそう」…

『シシド 小説・日活撮影所』

日本活動写真株式会社が誕生したのは一九一二年だからことしは日活百年の年にあたる。折りよく宍戸錠『シシド 小説・日活撮影所』が角川文庫に入ったのでさっそく手にしたところ、まさに巻措く能わずのおもしろさで一気に読んだ。 戦後、日活の映画製作は一…

黄葉の根津神社

そのうちにと思っているうちにひと月ほど経ってしまったが十一月十五日は七五三。根津神社にも子供の成長を祝ってたくさんの親子が詣でていた。季節は公孫樹の黄葉のときと重なる。 通りがかりに見たかぎりでは子供たちの服装は洋服が多いようだ。 画家の桂…

『永井荷風と部落問題』書評二篇

本年三月リベルタ出版より上梓しました拙著『永井荷風と部落問題』が下記の紙誌で採り上げられました。それぞれクリックのうえ御一読いただければさいわいに存じますとともにお二人の評者に感謝申し上げます。 (1)京都部落問題研究資料センター通信(2012年7…

「恋のロンドン狂想曲」

「ミッドナイト・イン・パリ」につづくウディ・アレン監督作品は「恋のロンドン狂想曲」。ただし製作年次はパリが先行していて、あとにはローマ (「To Rome with Love」)が控えている。 アルフィ(アンソニー・ホプキンス)とヘレナ(ジェマ・ジョーン)の…

吉原見返り柳

大須演芸場での古今亭志ん朝「お見たて」のまくらで志ん朝さんは、おなじ町内の若い衆に吉原へ遊びに連れて行ってもらった体験を語っている。「明烏」を地でゆくようなもので、席亭の個人的な録音がCD化されるとわかっていたらこういう話は避けただろうから…

「老愁ハ葉ノ如ク掃ヘドモ尽キズ」

映画を観たあとにちょいとビールを口にするのはわが至福の時間だ。映画の味覚がビールに沁みてときに爽快、ときにほろ苦い。先夜も有楽町で「夢売るふたり」を観たあとビールに及んだが、味わいはといえばよい意味で複雑で、二時間余り眼を凝らしたあとの心…

銀座の並木

師走に入った日のマリオンで「007スカイフォール」を観た。スカイフォールはジェームズ・ボンドが幼い頃に住んだスコットランドの想い出の地。ボンドはここにMを避難させ、ラウル・シルヴァを迎え撃つ。ボンドとシルヴァははじめマカオで対決するのだが、こ…

「売女」のその後(関東大震災の文学誌 其ノ十)

水上滝太郎「銀座復興」で、震災直後の銀座街頭で、通りがかりの男が派手な身なりの女にむかって「売女」とののしったのを「はち巻」のおかみさんが語る。 「今日あたくしが用達に行ったかえりに、そりゃ凄いようなハイカラが歩いていたんでございますよ。淡…

「人生の特等席」

アメリカ映画がお家芸としてきたひとつに野球映画がある。 「打撃王」「甦る熱球」「がんばれ!ベアーズ」「ナチュラル」「フィールド・オブ・ドリームス」、ミュージカル作品では「私を野球につれてって」「くたばれ!ヤンキース」・・・・・・近くは「マネー・ボ…

「船頭小唄」から「東京行進曲」へ(関東大震災の文学誌 其ノ九)

〈おれは河原の枯れすすき/同じお前も枯れすすき/どうせ二人はこの世では/花の咲かない枯れすすき〉 野口雨情が作詞した「船頭小唄」の一番で(作曲は中山晋平)、関東大震災はこの歌が大流行しているさなかに起こった。そのため震災と暗い歌詞、悲しい曲…

『アルゴ』

世の中には自分はこんなことをしてきましたと素直に語るだけでそれが波瀾万丈のストーリーになる人がいる。取材を重ねたり知恵を絞るなどあれこれ苦労して物語を作らなくてもよい稀な存在だ。CIAで人質救出を専門としたアントニオ・メンデスもその一人で、さ…

大震災天罰論(関東大震災の文学誌 其ノ八)

関東大震災は東京を焼け野原にした。衝撃と茫然自失の気分がただようなか「復興の魁は料理にあり/滋養第一の料理ははち巻にある」と張り紙をして敢然と店を開いた銀座の小料理屋があった。 水上滝太郎「銀座復興」はこの「はち巻」とここに集う人々を通して…

駒込吉祥寺

駒込にある吉祥寺は本郷通りに面した曹洞宗の大きな寺だ。境内には駒澤大学の母体となった学寮旃檀林(せんだんりん)があり、ここは幕府の学問所である昌平黌と並ぶ漢学の一大研究地で常時千人余の学僧がいたという。 寺はまた八百屋お七がよく通ったところ…

中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ四)

今回の旅の最終地はチェコの首都プラハ。 わたしにとってチェコスロバキア(いまはチェコとスロバキアはそれぞれが独立した国になっている)はとても気になる国だった。さいしょこの国を意識したのは東京オリンピックのときの女子体操選手で個人総合ならびに…

第87回新宿ー青梅43キロかち歩き大会

昨日十一月十一日は第87回新宿ー青梅43キロかち歩き大会に参加した。ことし三月につづいて二度目のチャレンジだ。 八時三十分新宿中央公園をスタートしたときは曇天、十五時十九分の青梅市立体育館前にゴールしたときは雨という条件のなか六時間四十九分かけ…

中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ三)

早朝にウィーンを出てハルシュタットへ、バスでおよそ四時間、二百九十キロの行程だった。 ここは世界一美しい湖岸の村といわれユネスコ世界遺産の地ともなっている。ほんとうっとりする景色だ。 ダッハシュタイン山塊の山麓に位置する小さな町なので、家々…

「終の信託」

このあいだまで死の基準は心臓とされてきた。心臓の停止は心拍の停止、呼吸の停止、瞳孔の拡大を伴っており、これらで以て死の認定を行っていた。ところが脳死も死の認定基準にくわえられた。だから、いま死の認定はダブルスタンダード状態にある。 人工呼吸…

中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ二)

ブダペストからウィーンへ二百四十キロの行程をバスで移動。ハンガリーとオーストリアとの国境には検問もなく職員の姿も見えなかった。しかし冷戦期にはここが東西ヨーロッパを分かつ境界線、欧州の三十七度線だった。そんなことを考えているうちにウィーン…

「アルゴ」

「アルゴ」おもしろかったなあ。終わるとすぐに拍手したかったんだけどはずかしくて心のなかで拍手喝采していた。 実際にあった出来事だから当事者にとってはおもしろいどころの騒ぎではないが、それにしても現実がこれほどエンターテイメントと一体化してよ…

中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ一)

九月の中旬から下旬にかけてハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン、ハルシュタット、ザルツブルク)、チェコ(チェスキー・クロムロフ、プラハ)という旅程で中欧三カ国の旅に行ってきた。 この地域にはかつての王権、教皇権の威容を誇る建築物…

「鈴懸の径」歌碑

〈友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街/やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径〉。立教大学にある「鈴懸の径」の歌碑。 もとは三拍子の曲だが一九五七年、鈴木章治とリズム・エースにベニー・グッドマン・オーケストラのメンバーとして…

「桐島、部活やめるってよ」

ある金曜日の放課後、松籟高等学校のバレー部キャプテンで成績も優秀な桐島が部活をやめたというニュースが生徒のあいだを駆けめぐった。女子の憧れのまと、男子の理想像というスター的存在の突然の話に衝撃がはしる。 校内美人系ナンバーワンと目されるガー…

「鈴懸の径」石碑

立教大学のプラタナスの並木道には「鈴懸の径」の歌碑があり、裏面には建立のいきさつを書いた金属板が嵌め込まれている。歌碑のほうはだいぶん磨り減って読みにくい状態になっていた。その傍には石碑が建つ。 「鈴懸の径」は昭和十七年に灰田勝彦(昭和十一…

「情熱のピアニズム」

一九六二年ミシェル・ペトルチアーニはフランスのオランジュに、骨形成不全症という遺伝障碍を持って生まれた。全身の骨が折れた状態にあり幼少のころは歩くこともままならなかった。背丈は一メートルほどから伸びないまま、全身の骨が湾曲し骨折もたびだび…