2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

中欧の旅で映画とミステリを思う(其ノ一)

九月の中旬から下旬にかけてハンガリー(ブダペスト)、オーストリア(ウィーン、ハルシュタット、ザルツブルク)、チェコ(チェスキー・クロムロフ、プラハ)という旅程で中欧三カ国の旅に行ってきた。 この地域にはかつての王権、教皇権の威容を誇る建築物…

「鈴懸の径」歌碑

〈友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街/やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径〉。立教大学にある「鈴懸の径」の歌碑。 もとは三拍子の曲だが一九五七年、鈴木章治とリズム・エースにベニー・グッドマン・オーケストラのメンバーとして…

「桐島、部活やめるってよ」

ある金曜日の放課後、松籟高等学校のバレー部キャプテンで成績も優秀な桐島が部活をやめたというニュースが生徒のあいだを駆けめぐった。女子の憧れのまと、男子の理想像というスター的存在の突然の話に衝撃がはしる。 校内美人系ナンバーワンと目されるガー…

「鈴懸の径」石碑

立教大学のプラタナスの並木道には「鈴懸の径」の歌碑があり、裏面には建立のいきさつを書いた金属板が嵌め込まれている。歌碑のほうはだいぶん磨り減って読みにくい状態になっていた。その傍には石碑が建つ。 「鈴懸の径」は昭和十七年に灰田勝彦(昭和十一…

「情熱のピアニズム」

一九六二年ミシェル・ペトルチアーニはフランスのオランジュに、骨形成不全症という遺伝障碍を持って生まれた。全身の骨が折れた状態にあり幼少のころは歩くこともままならなかった。背丈は一メートルほどから伸びないまま、全身の骨が湾曲し骨折もたびだび…

鈴懸の径

川上弘美さんの書評集『大好きな本』を読んでいたところ、須賀敦子『遠い朝の本たち』の書評に須賀さんの「戦争がすぐそこまで来ていた時代に、(中原)淳一は、この世が現実だけでないという事実を、あのやせっぽちの少女たちを描くことで語りつづけていた…

綺堂と花々(関東大震災の文学誌 其ノ七)

岡本綺堂が古道具屋の店先で徳利のような花瓶を見つけて買い、そのあと麻布十番の夜店でもとめた梅の枝と寒菊の花を挿したいきさつは「十番雑記」の一篇「箙の梅」にしるされている。 このときの住まいは麻布区宮村町だったが、この家も震災の影響で雨露をし…

丸谷才一氏の訃報に接して

昨夜遅くにネット上のニュースで丸谷才一さんが亡くなったのを知った。享年八十七、心不全だった。三十年以上にわたり読み継ぎ、私淑してきた作家の訃報に接した夜はとても寝つきの悪い一夜となった。 一九七0年代の後半、二十代の終わりになってはじめて丸…

東京駅丸の内駅舎

一九一四年(大正三年)に辰野金吾により設計された丸の内駅舎の復原・保存が竣工した。これを機に東京ステーションホテルも新装オープンとなった。 一九七九年に中国へ行った際には東京、地方を問わず二十人ほどの訪中団みんながこのホテルに宿泊し、翌朝成…

録画で観た映画やワインのことなど

いささか旧聞になるが、この三月にCS放送からBSの一局としてお引っ越しをした日本映画専門チャンネルが新番組編成とともにずいぶんとパワーアップした。「ハイビジョンで甦る日本映画の名作」「日本映画百年の百選」「懐かしの銀幕スタア24」「市川崑の映画…

三遊亭圓朝墓所

三遊亭圓朝の墓所は千駄木、団子坂向かい側の三崎坂のとちゅう全生庵にある。写真は同寺にある翁の石碑で明治の元勲井上馨が筆を執っている。 圓朝が熱海に滞在していて、他の旅館に贔屓にして下さる華族が来ているというので弟子が気をきかしてだろう、師匠…

花の力(関東大震災の文学誌 其ノ六)

関東大震災からおよそ一年、被災した岡本綺堂は、仮住まいの生活をつづけていた。住みなれた自宅での生活とは気分や感情の落ち着きやゆとりの面でだいぶん落差があったのだろう、花を活けて眺めようという気は起こらなかった。 ところがある日、綺堂は古道具…

銀座の宵闇

「君恋し」がフランク永井でリバイバル・ヒットしたのは昭和三十六年だった。「宵闇せまれば悩みは果てなし/みだるる心にうつるは誰が影」。小学生だった当方がどれほどこの歌を理解していたかは心許ないけれど、よい歌だなあと思ったのをおぼえている。(…