英語の勉強

拗ね者として聞こえた金龍通人という人がいて、自宅の戸口に「貧乏なり、乞食物貰ひ入る可からず」「文盲なり、詩人墨客来る可からず」の聨を懸けていたという。

薄田泣菫『茶話』の「玄関」というコラムにあった話だが、残念ながら通人がいつの時代のどういった人だったかはしるされていない。

それで思い出したが、学生時代によく行った飲み屋さんの暖簾に「水っぽい酒、まずい焼き鳥」とあった。おいしくて、安くて、皮肉な暖簾のよいお店だった。こういう逆説フレーズが多数になるのはどうかと思うけれど。

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電子辞書に音楽をテーマにした英会話の練習があり、アニソンとかボカロとかの単語にとまどうばかりだった。ヒップホップ、ヘビーメタルは単語としては知っていたが具体を知らず調べてみたが聴く気にはなれない。はじめて聞く固有名詞にはバンプ・オブ・チキン、テイラー・スイフト、アデル、オアシスなどがあった。

スティーヴン・スピルバーグ版『ウェスト・サイド・ストーリー』を鑑賞するにあたり『ロミオとジュリエット』を読んだ。ほんとはシェークスピアの原文で読みたかったがわたしの学力ではあの時代の英語には歯が立たないだろうから語学学習用にリライトしたテキストを用いた。

田中小実昌が「さいしょの訳」というエッセイに、ジェイムズ・M・ケイン『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』を訳したとき、一九三四年に書かれたこの作品は語学面でのわかりにくさにくわえ時代の差によるわかりにくさがあったと述べている。おなじ二十世紀でこれだからシェークスピアについてはいうまでもない。

アニソンやボカロに慌てふためき、シェークスピアの古英語を敬遠し、低学力にため息をついた。

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三月六日に予定されている東京マラソンは落選だったが海外からの一般ランナーの参加が不可となったため補欠で当選となった。

健康状態を報告するアプリのインスツールなどエントリー手続きは粛々と進めていて、いよいよ距離を伸ばすトレーニングをしなければならないが、いまのオミクロン株の感染状況でほんとに一般ランナーも参加して実施できるのかと考えると疑問噴出で気合がはいらない。

おまけに、開催されたとしても高齢者が感染すると重症化しやすいので、七十二歳の参加は一度も二度も立ち止まって考えるべきだ、との家族のお言葉がある。息子からは、知り合いの医師に訊ねると「おすすめしません」とのお答えだったと電話があった。

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二月九日。ウクライナ情勢がますます緊迫の度を高めている。首脳外交ではフランスのマクロン大統領が二月七日にプーチン大統領と会談し、八日にはウクライナに移動してゼレンスキー大統領と二時間以上にわたる会談をおこない、そのなかで「きのうプーチン大統領と話しましたが『自ら緊張を高めることはない』と言っていました」と伝えた。

それに対しゼレンスキー大統領はプーチン氏について「言葉だけでは信用できない」と強調するいっぽうで近くロシア・ウクライナ・フランス・ドイツ四か国による協議が改めて開かれるだろうと述べた。いずれにせよ危機が回避されるよう願うばかりだ。

いま読んでいる芥川龍之介侏儒の言葉」に「『勤倹尚武』と言う成語位、無意味を極めているものはない。尚武は国際的奢侈である。現に列強は軍備の為に大金を費やしているではないか?若し『勤倹尚武』と言うことも痴人の談でないとすれば『勤倹遊蕩』と言うこともやはり通用すると言わなければならぬ」とある。

「勤倹尚武」は一面で各国こぞっての軍拡競争であり、ときに国際的奢侈、 「勤倹遊蕩」に通ずるというわけだ。絶対的な権力を掌握して「尚武」をそれなりに整えると次に待っているのは遊蕩で、習近平プーチンも傍迷惑な遊蕩をしたくなっていて、だったら酒池肉林に遊んだ皇帝がまだましではないか。

昨年イスラエル歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏がNHK道傳愛子氏のインタビューを受けて「一人の人物に強大な権力を与えるとその人物が間違ったときにもたらされる結果ははるかに重大なものとなります。独裁者は効率が良いし迅速に行動できます。誰とも相談する必要がないからです。しかし間違いを犯しても決して認めません。間違いを隠蔽します」と語っていた。

軍事大国における独裁者の遊蕩や間違いの隠蔽に国連をはじめとする国際機関は無力に近い状態にあり、こうした機関に拠出する金も遊蕩になるのかもしれない。

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NHKが放送したユヴァル・ノア・ハラリ氏へのインタビューのなかで考える素材として以下を文字に起こしてみた。

「一人の人物に強大な権力を与えるとその人物が間違ったときにもたらされる結果ははるかに重大なものとなります。独裁者は効率が良いし迅速に行動できます。誰とも相談する必要がないからです。しかし間違いを犯しても決して認めません。間違いを隠蔽します。メディアをコントロールしているので隠蔽するのが簡単だからです」

「そうやってますます権力を強化していきます。そしてさらに間違いを重ねていくのです。民主主義に大切なのは政府が間違いを犯したときに自らそれを正すこと。そして政府が間違いを正そうとしない時に政府を抑制する力を持つ別の権力が存在するということです」

「緊急措置が適用されるのは危機の間だけで危機が去ればいつも通りに戻ると思いがちですがそれは幻想です。緊急時だからこそチェック&バランスが維持されなければならない。政府を権力につながる人だけでなく国民すべてに奉仕させるために監視が必要なのです」

アメリカで交付金を受け取るのは誰でしょう。私がアメリカの市民権をもし持っていたらこうした金がどこへ行くのか、この金をもらえるのは誰でもらえないのは誰なのかを監視する力が欲しいと思うでしょう。ですから監視は両方向であるべきです。これが市民が持つべき力です。このような情報にアクセスできれば市民はより大きな力を持つというわけです」

「もし社会的距離をとることや手を洗うことの必要性を納得してもらいたいならば市民を適切に教育し、信頼できる情報を提供したうえで市民が自らの意思で正しく行動してくれると信頼するほうがずっと良いやり方です」

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アンソニーホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件』(山田蘭訳、創元推理文庫)の上巻を読み終えたのが今月九日、そしてきょう十三日はNHKEテレ毎日曜日の囲碁を楽しんだあと下巻の残り百二十頁を一気読みした。遅読のわたしを熱中させたミステリーのあとは晩酌。読んで、見て、飲んで、食べて、寝る。ささやかなしあわせの一日である。

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二月十八日。お昼のNHKのニュースで、東京マラソンは実施するが高齢者の出走は見合わせを要請すると報道があった。残念ではあるがやむをえない。

ところが夕刻、ネットで東京マラソン財団発出の文書を見ると、高齢者云々の文言はなく、何人かの方が高齢者を含む一般ランナーも参加して実施されるようになったとTwitterに投稿していた。

もちろん出場できるならそうしたい。いっぽうで、感染症の現状を考えるとおすすめしませんとの医師の言葉があり、走りたいと、おすすめしませんが同居して何事も考えられなくなった。

夜になってスマホをみると、東京マラソン財団からのメールがあり、六十五歳以上の方は参加を見合わせてほしい、次回は抽選なしで参加できるようにするとあった。

応じざるをえないけれど、そろそろ距離を伸ばそうと先日20キロ走ったばかりなのに残念だ。とりあえず結論は出たが来年はまたひとつ歳をとるので完走がおぼつかなくなる不安は高まる。

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二月二十三日。先日高橋克彦『浮世絵鑑賞事典』を読み、せっかくのご縁だからおなじ著者の『写楽殺人事件』を読みはじめた。そうなると写楽の画集も鑑賞したくなり、電子本で調べたところ『東洲斎写楽画集』が出ていて、本と画集とのコラボレーション環境が整った。写楽をめぐる謎解きを読みながら作品を目にするたのしさ。

そのいっぽうニュースはプーチン大統領が親ロシア派支配地域の独立を承認する大統領令と、ロシアと同地域の友好協力相互援助条約に署名、またこの地域への派兵を指示したと報じている。

匙を投げるということわざの語源は、医者がもう治療法はないとして、薬の調合のための匙を投げ出すことから来ている。海外渡来のことわざの訳語ではなく、日本発だそうで、和英辞書にはgiven up、abandoned all hopesとあるばかりで、ことわざはなかった。

プーチンのロシアにもう治療法はない、好転が見込めないので手を引いて匙を投げて済ませられたらどんなにか清々するだろうが、いまは事態を打開するよう自由主義諸国の首脳に期待するばかりだ。

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二月二十四日。とうとうロシアがウクライナへの侵攻を開始した。最悪の事態だ。

先日ニュースでプーチン大統領ベラルーシのルカシェンコ大統領がおなじテーブルに座っているのをみて、ヒトラームッソリーニが並んでいる姿と二重映しになった。こんなことを書いたりしていると、政治家をヒトラーになぞらえるのは国際的なマナーに反しているという日本維新の会に糾弾されそうだが、ヨーロッパの平和秩序を混乱させる悪の二人がヒトラームッソリーニに見えたのは否定できない。

なお映画評論家の町山智弘氏が、国際的に「ご法度」なのは、ヒトラーやナチを賛美することで、何かを批判する際にヒトラーやナチと比較することじゃないですよ、とツイートしていた。

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大学を卒業したのは一九七三年(昭和四十八年)三月で、このころわが国の大学進学率は三割を超えた。当時執筆された鈴木孝夫「日本の外国語教育について」に、これほど多くの若者が中学、高校、大学で英語に接しながら、英語教育の成果が思わしくない、英語を身につけて大学を出る者が少なすぎるとある。わたしもそのひとりで、ただし大学では専門の関係で中国語に接することが多く、中文は少しは読めるようにはなったものの、話す、聞くはさっぱりだった。卒業してから何度か訪中して多少は話す、聞くにも努めたがさほどの成果はなかった。

手許の電子辞書にたくさんの英文テキストが収められていて、長いあいだご無沙汰だった英語を読んでみようという気になった。

まずは電子辞書にある英語の受験参考書を二冊通読し、OXFORD BOOKWORMSに収められているテキストを読んでみた。まだレベルの低い段階だが、思っていたよりスムーズに読める。英会話はさっぱりだが読むのはまあまあ身についているのが意外だった。大甘にいえば、読むだけなら使い物にならないことはない。

英語の読書の最大のコツは、決して辞書を引かないことにあるという説がある。丸谷才一「英語勉強法」は、えーとこの単語は、とか、これは文法的にはなんてことは頭から払いのけて読書に専念し、純粋な態度で読むことこそ本当の読書だという。問題はテキストで、丸谷氏のおすすめはポルノだが、枯れたわたしにはポルノよりミステリーがよい。

いずれにしてもこれは「解読的外国語がサッカーの試合を見物することだとすると、覚えた外国語の語彙をすぐ使ってみるという態度は、みずからグラウンドに立ってボールを蹴ったりヘディングをしたりすることに似ている。言語の運動感を身体で覚えること、と言っていいだろうか」(辻邦生「遠い外国語 近い外国語」)に照らせばサッカーの試合見物にすぎない。

だいじなのは、覚えた外国語の語彙をすぐ使ってみる、試合観戦ではなく、ボールを蹴ったりヘディングしたりすることだ。たしかにその通りではあるが、海外であなたの英語はよくわからないといった雰囲気になると凹むなあ。そうなるとわたしは若いとき注力したのは中国語だからと開き直るようにしている。

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二月十二日に走った10km走(ヴァーチャル)は59:27で、二か月続きの59分台となった。これまでは56分か57分台だったのに、なんということか。10km60分超という魔の手が追っかけて来ていて、必死に逃げている。ここから盛り返せるか、それとも高齢ランナーの宿命として甘受することになるのか。

タイムが悪くなるのがいやならレースに出場しなければよい。しかし若いときからレースをたのしみにしてきたからご縁がなくなるのは淋しい。ならばタイムへのこだわりを捨てればよく、じじつタイムにこだわりすぎてガタが来た人もいる。ま、文句垂れながら、走れる限りは走りたい。

飛鳥山花見の歌どもあまたあつめて一巻とせし中に、

咲つづく花はゆきかとちりしきて川なみふかくにほふ春かぜ

といふことをうけ給はりて

ちる花は雪とちりうく滝の河なみのあやをる浪の春風」(大田南畝

高齢者への自粛要請にやむなく断念した東京マラソン。でももうすぐ春風のなかを走る楽しみが待っている。