2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
かつて栄光を極めた年老いた音楽家たちが「ビーチャムハウス」という老人ホームで晩年を過ごしている。イングランド郊外にあるとおぼしい時代の付いた建物を豊かな緑と美しい花々が囲む魅力たっぷりの映像に老音楽家たちが演奏するバッハやヴェルディの音楽…
昨年末にシネマヴェーラ渋谷で「格子なき牢獄」を観た。NHK教育テレビの世界名画劇場以来だから四半世紀ぶり、いやそれ以上かもしれない。放送からだいぶん経って主演のコリンヌ・リュシェールの薄幸の人生と、その美貌が学徒出陣世代を核として日本の若者た…
むかし宇野宗佑という首相が自身の女性問題もあり国政選挙で大敗して引責辞任を余儀なくされた記者会見で、現在の心境を問われ、「明鏡止水」と口にした。家族でテレビを見ていて、小学生の愚息がその意味を問うので、妻がこういうときこそ辞書を引かなくて…
久保田万太郎は明治二十二年(一八八九年)十一月七日、東京市浅草区田原町三丁目十番の袋物製造販売業の家に生まれた。現在の住所表記では台東区雷門一丁目十五となる。 玉乗。剣舞。かっぽれ。都踊。浪花節。道具屋。古鉄屋。襤褸屋。女髪結。かざり工場。…
一九一四年(大正三年)に辰野金吾が設計した煉瓦壁の東京駅丸の内駅舎が免震構造を施したうえで復原され、それとともに同駅内の東京ステーションギャラリーが活動を再開した。再開記念としてこの三月二十三日から五月十九日にかけて「生誕120年木村荘八展」…
新しい年度を迎えたのを機に歳時記を見てみようと坪内稔典『季語集』を開くと、春の部、生活・行事の項にあんパンが収められてあった。著者の創見なのか句作の世界ではいつからかそういうことになっていたのかは知らない。 『季語集』の著者はほぼ毎朝あんパ…
一九六0年代のはじめにリバイバル上映がさかんだった時期があり、当時わたしは「駅馬車」「荒野の決闘」「黄色いリボン」といった西部劇の名作を観ている。小学校の五年生から六年生にかけてのころだった。 「荒野の決闘」はグリーンの膜がかかっていて、ず…
はじめて上京したのは一九六八年の春、高校の修学旅行だった。本郷の旅館に投宿し、東大を見に行くと立て看板が林立していて学生運動に触れた。これで気合いが入ったのか、当時俗悪番組のトップに挙げられていた、じゃんけんで負けたほうが一枚ずつ脱ぐコン…
ヒッチコックとトリュフォーによる名著『映画術』のなかでヒッチコックは「サイコ」は製作費が八十万ドル、収益はおよそ千三百万ドルにのぼったと誇らしげに語っている。また、一九六0年当時の八十万ドルはテレビジョン番組の製作費なみで、これで劇場用映…
ことしの東京都心は二月まで寒さが厳しかったが三月に入ると暖かい日が続き、気象庁が東京都内で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表したのは十六日という早さだった。 素性法師は「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」と詠って柳と桜の重なる姿に…
逢坂剛×川本三郎『さらば愛しきサスペンス映画』(新書館)を読み、毎度のことながらお二人の見巧者ぶりと鬱蒼たる知識に圧倒された。和田誠さんのロバート・ミッチャムのフィリップ・マーロウのイラストもうれしい。こういう本を読むと先達に感謝したくなる…
オーディオ機器は粗末なものだし、カメラは長年使い捨てでこと足りていた。車は通勤と業務上の必需品だったからやむなく乗っていたが、退職時によろこんで手放した。そんな男がいくつかの情報機器を持つようになるのだから世の中わからない。 たまたまiPhone…