いまひとたび、人生七十・・・

ことし二0二一年三月三日に九十三歳で亡くなった小沢信男の遺著『暗き世に爆ぜ 俳句的日常』(みすず書房)に「初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり 青畝」という一句があった。

作者阿波野青畝(あわのせいほ1899-1992)は原田浜人、高浜虚子に師事し、昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子とともに「ホトトギスの四S」と称された俳人で、九十歳のお正月の湯殿でのひそかな景色とおもいに、先日七十一となった老輩のわたしはにやりとしたり、ふぐりのそばにあるものは卒寿にあってなお伸びているのかしらと気にしたり、大田南畝の「人生七十古来稀 一たびはおえ一たびは痿(なえ)ぬれば人生七十古来魔羅なり」を思い出したりしておりました。

みすず書房の月刊誌「みすず」に連載されていた、俳句で世語り、街歩きー「賛々語々」(二0一八年一月)で青畝のうえの句を取り上げた小沢信男はこのとき九十歳、「『九十歳。なにがめでたい』それはその通りですよ。水洟は垂れるわ、物忘れが募るわ。せめてふぐりを伸ばしてみたところで、すぐ側に伸びるのをとんと忘れ果てた奴がいる」とその感懐をしるしている。それはともかく、卒寿の方もふぐりを伸ばしているのだからわがふぐりの傍はまだまだ伸びる余地はあると思いたい。

必要のないとき出しゃばって来るくせに、大事なときに萎えたりするあの厄介なものと述べのはモンテーニュだった。そこのところを小沢信男は「こいつの来し方なども、思い返せば微苦笑です。ささやかに、不器用に、空振りも重ねつつ、その折々は夢中だったよなぁ」と振り返る。それやこれやに喜びも悲しみも幾歳月である。

平均寿命は長くなり元気な年寄りが多くなったといわれる昨今、アンチエイジングの効果を説く薬品や健康食品のコマーシャルでは、なんとかを服用したところ大成功だったとご婦人方が大はしゃぎしている。ときに男の姿も目にするけれどはしゃぎっぷりは女性に敵わない。わが身につまされながら、そこになにほどか萎える翳が作用している気がしないでもない。

「賛々語々」にはもうひとつ青畝の句が紹介されてあった。

「ひとの陰(ほと)玉とぞしづむ初湯かな」