遅船庵筆記

鞍を欲しがる牛

カエサルは『ガリア戦記』で橋や武器をつくったことをずいぶん得意げに書いていて、武勲の数々よりもこちらをアピールしているような筆遣いだと聞く。優れた武将であるのはいまさらいうまでもないから、立派な技術者としての資質と実績を知ってもらいたかっ…

寺門静軒 おぼえがき

寺門静軒『江戸繁盛記』は天保初年の江戸風俗、世態人情を漢文戯作の文体で活写した名著として知られる。「相撲」「戯場」(しばい)「千人会」(とみくじ)「楊花」(おんなだゆう)「混堂」(ゆや)などをユーモラスな漢文で綴ってベストセラーとなった。 …

「井戸の茶碗」と「寝床」によせて

ちょいとめでたいことがあったので、晩酌をしながらひさしぶりに古今亭志ん朝さんの「井戸の茶碗」を聴いた。ふと思いついて手許の電子辞書で「井戸の茶碗」を引いたところ、さほど期待してなかったのに「井戸茶碗」が「広辞苑」と「マイペディア」「日本史…

年賀状雑感

退職を機に特段の事情のある方は別にして、年始のご挨拶は葉書ではなくメールとした。簡単で合理的でまことによろしく、この雑文を書いたあとは来年のお年賀に取りかかる。そして新年ただちにメールを送るとともにこのブログにも載せることとしている。 年賀…

陸 沈

古代ローマの詩人オウィディウスは「よく隠れる者はよく生きる」といったそうだ。 アレキサンドラ・アンドリューズ『匿名作家は二人もいらない』(大谷瑠璃子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)のなかで匿名のベストセラー作家、モード・ディクソンが、作家になる…

百年の不作

人間がまちがいをしたとき、どんな事態がもちあがるか。 弁護士がまちがいをすれば控訴を引き受けるまで、理髪師のばあいは髪の毛をもっと短く刈り込めばよい、医者だったらお葬いをすれば済む。ならばひとり者はどうか。 薄田泣菫の答はこうだ。 「独身者が…

ロシアを憎む

ロナルド・レーガン大統領がソ連を公然と「悪の帝国」と断じたのを思えば現職のアメリカ大統領はいささか迫力に欠ける。 失礼ながらバイデン大統領を優れた政治家とは評価しない。就任早々、アフガニスタンからの自国民の引き上げや現地協力者の脱出で大チョ…

フランス的ケチ 再論

フランスでは金利で生活する人をランチエ、退職年金で生活する人をルトレテと呼ぶ。つまり仕事をしないで老後の生活を送る人びとを、生活費の出どころによって分類している。老後の生活への細やかな視線とフランス人の隠居ごのみをうかがわせる言葉である。 …

ドナルド・キーンさんの長生きの秘訣

日本をこよなく愛した文学者ドナルド・キーンさんは東日本大震災を機に、それまでのニューヨークと東京に半年交替で住む生活から日本永住を決意し、日本国籍を取得した。心不全により亡くなったのは二0一九年二月二十四日、九十六歳だった。 キーンさんの眼…

フランス的ケチ

イギリス人がコンドームのことを俗語で「フランスの手紙」というのはよく知られている。英仏両国の不仲から生まれたことばで、反対にフランスでは「イギリスのレインコート」といっているそうだからこれでおあいこ。 フランス人は世界に冠たる倹約家、始末屋…

ケチ作戦

原油価格の高騰やロシアのウクライナ侵攻が世界経済ひいては家計に大きな影響を及ぼしている。電気・ガス料金、お菓子類をふくむ食料品、各種サービス料金などなど値上げラッシュの様相だ。 わたしは下流の年金生活者だからサバイバル術の必要度は高いが、か…

夏季鍛錬余話

『 シャーロック・ホームズの冒険』で「ボヘミアの醜聞」につづく第二話「赤毛組合」の事件を解決したホームズは、退屈しのぎになったといささか満足したのもつかのま「おやおや、その退屈が早くもぶりかえしてきたぞ!思うにぼくの一生というものは、平々凡…

夏季鍛錬

アイルランドでは勤務の週四日制が広がりつつあり公的な実証実験も行われていると、NHKBSの国際ニュースが特集で報じていた。実験はアメリカ、イギリス、オーストラリアでも予定されていて、背景にはたくさんの報酬より自分の時間を大切にしたいという意識の…

七十七回目の「八月十五日」に

昭和戦前の外交史は英米協調派が日独伊三国同盟派に押され、敗北する道筋をたどった。すなわち太平洋戦争への道である。 英米との協調を志向しながら敗れた人たちについては吉田茂が『回想十年』で「私が接した重臣層をはじめ、政治上層部の誰もがこの戦争に…

立秋の日に

東京では六月二十五日から九日連続で猛暑日となった。これまでいちばん長い猛暑日で 、長期予報によればことしの夏は長く、酷暑の日が多いそうだからまだまだ熱中症に警戒しなければならない。 そうしたなか暦のうえでは八月七日に立秋の日を迎えた。暦上の…

与える信者、受ける教団

七月八日、安倍晋三元首相を暗殺した男の母親は、入信した宗教団体に一億円の寄付をしていたと報じられている。そのため家庭は大混乱に陥り、親戚が交渉して半分は取り返したと聞くけれど、どちらにしても常軌を逸している点で変わりはない。 宗教団体と寄付…

昔も今も

ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』は一九三0年代末に発生した干ばつと砂嵐をきっかけに農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との対立を素材とした小説で、三0年代アメリカ文学の屈指の作品が刊行さ…

「今屁虎」

永井荷風は『断腸亭日乗』昭和十六年三月二十四日の記事で、ヒトラーに「猅虎」の漢字をあてた。中国語ではふつう「希特勒」(xitela)とするが、わたしは荷風の感情を込めた表記が好き。 そこでプーチンである。中国語では「普京」(pujing)だが、これでは…

叙 勲

令和四年春の叙勲が四月二十九日に発令され、なかに旭日大綬章を受章した田中直紀、田中真紀子ご夫妻の名前が見えていた。政治家の受章は政治利用を防止する観点からだろう、以後選挙に立候補しないことを条件としているから受章は政界引退の記念でもある。 …

暗い見通し、ふたつ

一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市東方沖を震源とするマグニチュード8.1の昭和三陸地震とそれに伴った津波を機に、寺田寅彦は「津波と人間」というエッセイを書いた。そのなかで関東大震災にも触れ「二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安…

嘘と血

四月三日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の報道官、セルゲイ・ニキフォロフ氏がBBCのインタビューに応じ、ロシア軍から奪還した首都キーウ周辺の地域で、複数の市民が処刑され、集団埋葬地に埋められていたことが判明したと語った。 じっ…

電子辞書

二00七年に書いた「電子辞書の時代に」というエッセイに、わたしは、大学院で英文学を専攻する知人から聞いた話として、電子辞書があるので特段の必要がない限り教室に紙の辞書を持参する院生はいないと書いていて、すでにこのころ大学では辞書は頁を繰っ…

ミモザとアカシア

ご近所を散歩していたところ花屋さんの掲示板に、三月八日はミモザの日、イタリアで男性から女性にミモザの花が贈られるようになったことに由来していますといった旨のことが書かれてあった。帰宅してネットをみると三月八日の国際女性デーの日にもとづいて…

辛夷

ご近所の根津神社の裏門坂に辛夷の木が何本か並んでいて、春の足音が近くなるいまの季節、白い花を咲かせる前の蕾を見せてくれている。名前の由来は、この蕾が子供の拳(こぶし)に似ているところから来ているとするいっぽう『滑稽雑談』(正徳三年)には「…

ロシアの侵略に思う

ウクライナが気の毒でときにTVニュースを見ていられない。映像を見るのが辛い。しかし情報は知っておきたいのでその際はラジオに頼っている。 二月二十三日プーチン大統領はウクライナ国内の親ロシア派支配地域の独立を承認する大統領令に加え、ロシアと両地…

小晦日(こつごもり)

大田南畝「吉書初」にこんな一節があった。 「もういくつねて正月とおもひしをさな心には、よほど面白き物なりしが、鬼打豆も片手にあまり、松の下もあまた潜りては、鏡餅に歯も立がたく、金平牛蒡は見たばかり也。まだしも酒と肴に憎まれず、一盃の酔心地に…

いまひとたび、人生七十・・・

ことし二0二一年三月三日に九十三歳で亡くなった小沢信男の遺著『暗き世に爆ぜ 俳句的日常』(みすず書房)に「初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり 青畝」という一句があった。 作者阿波野青畝(あわのせいほ1899-1992)は原田浜人、高浜虚子に師事し、昭和初期…

人生七十・・・

「人生七十古来稀」と前書があるから大田南畝(1749~1823)が七十歳を迎えたときの作だろう。 「一たびはおえ一たびは痿(なえ)ぬれば人生七十古来魔羅なり」 「おえ」は生え、でよいのかな。いま七十歳の老輩が身につまされたのはいうまでもありません。 …

新コロ漫筆〜酒と煙草

作家の平野啓一郎氏が、世界的に人が酒を飲まなくなってきており、長期的には酒に頼らない経営も考える時期に差し掛かってるんだろうなぁ、コロナで付き合いがなくなったのを機に酒を止めた人もいる、とツイートされていた。 人類の酒量が落ちてきているとい…

新コロ漫筆~政治と言葉

先日YouTubeで田中均氏(元外務審議官、現在日本総研国際戦略研究所理事長)が、安倍、菅内閣に共通する特質について三つの点を指摘していた。すなわち「説明しない」「説得しない」「責任をとらない」 の3Sである、と。 三つのうち説明と説得は政治と言葉の…