嘘と血

四月三日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の報道官、セルゲイ・ニキフォロフ氏がBBCのインタビューに応じ、ロシア軍から奪還した首都キーウ周辺の地域で、複数の市民が処刑され、集団埋葬地に埋められていたことが判明したと語った。

じっさいテレビにはロシア軍が移動したあとのキーウ近郊ブチャの路上に遺体が点在している光景が映されていて、遺体のなかには手首を縛られていた人もいたという。

これについてアメリカのバイデン大統領はプーチン大統領戦争犯罪人と呼び、ポーランドのマテウシュ・モラウィエツキ首相はSNSで「ロシアの犯罪はジェノサイド(集団殺害)だ」と 断じ、ロシアへのより強力な制裁を求めた。

いっぽうロシア政府は、ブチャの住民殺害について自分たちのしたことではないと、全否定する声明を出した。

ウクライナ側の情報がすべて正しいというつもりはないけれど、大量虐殺を知らぬ存ぜぬ、ウクライナによる偽装とするロシアの極悪ぶりは酷いというほかない。

 

一九二六年三月十八日のこと。天津で軍閥と交戦中だった国民軍の武装解除を、 軍閥側を支持する日本が北京在住の七カ国の公使と連名で求めた。 これに抗議する人々が天安門前に集まり段祺瑞政府への抗議デモを行なったのに対し政府側はデモ隊に発砲し四十七名の死者、百五十名を超える負傷者を出した。死者のなかには魯迅が教鞭をとっていた北京師範大学の教え子もいた。

これを知った魯迅は「墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない。血債は必ず同一物で返済されなければならない。支払いがおそければおそいほど、利息は増やさなければならない」と「花なきバラの二」(竹内好訳)に書き、この日、三月十八日を「民国以来のもっとも暗黒なる日」とした。

ブチャの住民の殺害について関与していないというロシアの声明を聞き、わたしはすぐさまこの魯迅の言葉を思い、血が流された事実を隠そうとするロシアによる虚言に憤るとともに、ウクライナで流された血はロシア側に償ってもらわなければならない、利子を付けて、と願った。政治のリアルを踏まえると血と復讐の連鎖があってはならないのはわかっている。それにしても…… わたしのいまのロシアに懐く感情をこれほどに表現してくれている言葉はほかにない。

学生のころ中国語を学びながら魯迅を読んだ。社会人になってもしばらくは読書の中心に魯迅を置いていたけれど、けっきょくその厳しさを敬して避けるようになった。いまロシアによるウクライナへの残虐行為に衝撃を受け、自身のなかに微かに残る魯迅の断片を噛みしめている。