「英雄の証明」〜ソーシャルメディアの光と闇と不条理

素晴らしくて繰り返し観たい映画のいっぽうに、優れてはいるけれど、もう一度観るのは躊躇する、っていうかなかなか立ち向かう勇気の湧かない名作があります。

前者はさておき、問題は後者で、わたしのばあい、たとえば「西鶴一代女」を再度観るまでにはずいぶん時間がかかりました。「嘆きの天使」と「自転車泥棒」も同様です。いずれも人間と社会のありようを抉る、その抉り方が半端ないんですね。

若いころ、マレーネ・ディートリッヒってどんな女優さんだろうと軽い気持で「嘆きの天使」を観て、覚えたことのない恐怖を感じました。相手役のエミール・ヤニングスの零落してゆく姿が辛くて、それまで想像すらしなかった男と女の関係がわたしを不安に陥れたのです。

子供に奢ってやっていっしょに鑑賞した「ミリオンダラー・ベイビー」のときは「お金もらっても二度目はお断りの暗さ」といわれ、じつはわたしの気持もそれに近かった。

とはいっても強い印象を残すかどうかを評価のひとつの尺度とすれば、これらはまことに優れていて、生涯忘れることはない作品なのです。

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そしてこのほどスタッフ、役者の方々に失礼はないと思いますが超弩級の再見躊躇作品に出会いました。アスガー・ファルハディ監督「英雄の証明」です。

垣間見られたイランの社会と日常生活はじつに貴重、そのなかで描かれたソーシャルメディアの光と闇と不条理。歌の文句じゃないけれどゴルフへ行こうとすればきっと雨、ラブレターを送るとサヨナラの返事が着払いで届く、そうした不運を極限まで深刻にした運命が借金にあえぐ男を翻弄します。

イランの古都シラーズ。ラヒムは新規事業の資金を持ち逃げされ、やむなく借金したものの返済が滞ったままになっていて、投獄され、服役しています。返済すればすぐにでも出所できるのですがどうにもなりません。

イランには服役中に休暇日があるみたいで、外に出られた日、婚約者が偶然に拾った十七枚の金貨を渡され、はじめは返済資金にしようとしますが、罪悪感にさいなまれたラヒムは落とし主に返すことに決めます。

善行がメディアに報じられると大きな反響を呼び、「正直者の囚人」の美談となります。他方、 SNSでは中傷や嫉妬や揶揄の言葉が飛び交っており、そうしたなかある噂をきっかけに状況は一変、前妻とのあいだに生まれた吃音症の幼い息子をも巻き込んだ大きな事件へと発展していきます。

再見がいつになるかは別にして、忘れようとしても忘れられない映画であることはたしかです。

(四月七日Bunkamura ル・シネマ)