辛夷と桜

本を読むのにいちばん参考にしたのは丸谷才一氏の書評、および同氏とその書評グループの、はじめは「週刊朝日」、のち「毎日新聞」に載った書評群、次が「週刊文春」連載の「本を狙え!」をはじめとする坪内祐三氏の書評だった。残念ながら二0一二年に丸谷氏が、二0二0年に坪内氏が逝き、お二人の書評は読めなくなってしまった。ほんとにお世話になりました。

おふたりのうち丸谷氏の人物像については作家仲間によるエッセイや國學院大学在職当時の姿を描いた嵐山光三郎の小説や中野孝次の回想などで輪郭くらいは浮かべられるのにたいし坪内氏のほうはよく知らない。

ところが先日、佐久間文子著『ツボちゃんの話 夫坪内祐三』(新潮社)という本が刊行されているのを知り、さっそく手にした。お酒、相撲、プロレスが大好きで、酒のうえのトラブルから半殺しの目に遭ったエピソードなど知っていることもあったが本書の「怒りっぽくて優しく、強情で気弱で、面倒だけど面白い、一緒にいると退屈することがなかった坪内祐三」の姿は奥様ならではの記述で、ようやく「文庫本を狙え!」の著者の人物像がすこしイメージできるようになった。

たとえばこんなところ。

「どんなことがあってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通していく精神を広津和郎は『散文精神』と名づけた。その感覚は、書き手としてのツボちゃんにとてもしっくりくるようだった」

享年六十一歳。心不全による急逝だったがだいぶん心臓は弱っていた。

村松友視のエッセイ「アメリカン・コーヒーよ、何処へ行く」に「飲む以上は強い酒を!喫う以上は強いタバコを!啜る以上は濃いコーヒーを!大勢は薄口に流されようとも、強さ・濃さを身上とする立場を持続しようではありませんか」とあり、坪内祐三の嗜好や生き方に通じているような気がした。

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Amazon Prime Videoの魅惑のモノクロ旧作群 から、第二次大戦中の捕虜収容所からの脱走をめぐるフレッド・ジンネマン監督「暴力行為」(一九四八年)を観て、日本人とちがって欧米の連中は収容所からの脱走や逃亡に積極的にトライする、どうしてだろうと疑問をもった。有名な映画では「大脱走」や「第十七捕虜収容所」があるが、邦画でこの種の作品は知らない。兵役逃れの小説やノンフィクションはあるが収容所からの脱走物語は読んだことがない。詳しい方ご教示ください。

どうしてなんだろう。とりあえず、咲いた花なら散るのは覚悟で捕虜になるのは散ったことを意味しているからもう抵抗は試みないとか、日本人捕虜は従順だから扱いもゆるくわざわざ逃げる苦労はしないとかの答えが浮かんだが、正しいかどうかは別にして、これは研究に値する問題だ。

それはともかくわたしは逃げるのが大好きだ。まがりなりに二十代半ばで日本の現代文学を読んでみようという気になったのは丸谷才一『笹まくら』がきっかけで、これは徴兵忌避した男が国内を逃げまわる物語だから、逃亡がどれほど好きかは明らかだろう。子供のころから身の回りにあまり関心なく、ややこしいことは避け、辛いことからは逃げる、できれば仕事からも早く逃げたかったのだが……。

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三月十日。ロシアのウクライナ侵攻開始から十四日目の昨日、ウクライナ各地の市や町から住民が逃げ出すなか、南部マリウポリの産科・小児病院が空爆を受け、職員と患者ら少なくとも十七人が負傷したとの報道があった。ウクライナのゼレンスキー大統領がいうようにまさしく「残虐行為」そのものであり、ロシアによるウクライナへの攻撃は見るに忍びないところまで来ている。

「理性と、知恵と、技巧をもってしてもなし得ないことは、暴力をもってしては決してなし得ないものだと思っている」(モンテーニュ)。

ロシアの侵略による先行きの不安、人命の犠牲などに心が揺れるなかノーとしておいたこの言葉が心に沁みた。

ロシアがいまウクライナとの関係を見直したいのであればかつてソ連が東欧諸国を衛星国とした方式ではなく、そのありかたをテーマに話合いを行えばよい。その意味でプーチン大統領が提出した問題を否定するつもりはない。しかし武力による侵略に踏み切った時点でもう論外である。

こうした事態にこそ国連は重責を果たすべきだが、常任理事国による世界平和への威嚇にいまの国連で有効に対処するのは困難である。これがまちがった悲観論であるよう願ってはいるけれど。

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一九四五年のきょう三月十日は米軍による東京大空襲で一般市民およそ十万人が犠牲となった日である。墨田区横網町公園にある東京都慰霊堂ではこの日に春季大法要が、また九月一日には関東大震災の犠牲者を悼むとともに殺された朝鮮人を追悼する朝鮮人犠牲者を追悼する集会が催される。ことしも春季大法要が新型コロナにより規模を縮小して開催された。 

ちなみに関東大震災の死者・行方不明者十万五千人のうち三万八千人は本所陸軍被服廠跡で亡くなった。跡地の一部は横網町公園となり震災記念堂が建てられ、一九四八年からは第二次世界大戦での身元不明者の遺骨もここに合祀されるようになった。こうしたいきさつから一九五一年、現在の東京都慰霊堂となった。

先走った話になるけれど、気になるのは秋の法要、というのも朝鮮人犠牲者追悼集会には歴代都知事から、痛ましい出来事を世代を超えて語り継いでいかなければならない、といった趣旨の追悼文が送付されてきていたのに、小池都政下では見送られたままになっている。

小池知事は「関東大震災で亡くなったすべての方々に追悼の意を表したい」と述べ、大法要にメッセージを寄せることで「すべての方々」を追悼するとした。だが震災で亡くなったのと人災で亡くなったのとは異なる。南京事件は知りません、忘れました、いつまでもいうな!のパターンがここにもあると思わざるをえない。

さて明日は東日本大震災から十一年目の三月十一日を迎える。

たまたま読んでいた薄田泣菫『茶話』に渋沢栄一の話題があった。泣菫は、総じて富豪は哲学者が好きで、その例証として渋沢栄一孔子を先生扱いしたのを挙げている。どうしてかといえば孔子様はいろいろ難しいことを聴かせてくれ、説いてくれたうえに金を貸してくれなぞといわないから。お金と関わらない哲学者、思想家大歓迎である。

ところで渋沢が道徳経済合一の思想を唱えたのは広く知られている。「道義を伴った利益の追求」や「公益を大事に」といった主張のバックボーンにあるのは孔子であり儒教だった。渋沢はこうした主張やテレビドラマの影響でいくぶん神格化されているようだ。

彼は関東大震災を道徳が地に墜ちたことの天罰とした。東日本大震災では石原慎太郎が同様のことを述べたのは記憶に新しい。この渋沢の議論にたいし菊池寛は「天譴ならば栄一その人が生存するはずはない」と、宮武外骨は「天変地異を道徳的に解するは野蛮思想」「虚業渋沢栄一」と論じた。

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三月十二日。朝10kmヴァーチャルマラソンを走った。一月、二月とも59分台で、60分超えになるのは嫌だなといささか緊張していて、それがかえってよかったのか55:34でフィニッシュできた。男女総合ランキングは205/667、男性ランキングは192/591。

午後は新型コロナの三回目の接種をしたので安静にしてテレビでラグビーを観戦し、晩酌のあと早々に就寝。

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三月十三日。昨日の接種で左腕の針を刺したあとが痛む。朝八キロのコースを走りに出たが発熱が怖くて半分ほどで止した。熱に弱く三十七度を超すのはなんとしても避けたい。

「世に立つは苦しかりけり腰屛風まがりなりには折りかがめども」(永井荷風

接種のあとが痛む。ロシアのウクライナへの侵略をめぐる報道を見て心が痛む。

週刊文春」三月十七日号で 朝日新聞元モスクワ支局長で論説委員の駒木明義氏が「最悪のシナリオは、ロシアによる"民間人の大量虐殺です。ゼレンスキー大統領が根を上げるまで、一般人を計画的に惨殺する。過去にロシアがチェチェンやシリアで行った非人道的な殺戮行為が、ロシアの兄弟国であるウクライナでも現実化するのではないか。現下の状況から、そうした危機感を抱かざるを得ません」と語っていた。

ロシアへの経済制裁はじわじわと効いてくるだろう。しかしいますぐに止めてほしいのはウクライナ国民の虐殺、惨殺なのだ。この事態に有効な対応ができない国連ってほんと頼りない。ロシアの扱いを含め国連改革は喫緊の課題である。

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昨年の秋に観た「MINAMATAミナマタ」は観客をして粛然とさせずにはおかない力のある作品だった。これに続いてユージン・スミスが一九五七年から八年間ほど住んだニューヨーク、マンハッタンのロフトでの生活を記録したドキュメンタリー「ジャズ・ロフト」も公開された。ユージン・スミスの生涯を回顧し、再評価する機運が高まるなか石井妙子『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』(文藝春秋)が刊行されたのでさっそく一読した。

稀代のカメラマンと、妻で協力者の活動が細部にわたりくっきりと示されていて、これから先、ユージン・スミスを語るときには不可欠の一書となるだろう。

二人は一九七一年に来日、同月日本で婚姻届を出し、翌月から一九七四年十月までの三年間水俣病水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などの取材と撮影を行なった。二人の水俣での活動はわたしが大学生だったころ(1969~73)とほぼ重なっている。公害にはそれなりに関心を持っており、チッソ水俣工場の酷さもある程度は知っていた。お隣は文化大革命の時代で、人民公社が公害克服の成果をあげているといった話もあり、いまとなっては汗顔の至りだがときに人民公社は公害克服の希望の星と見上げたこともあった。それらを思い出しながら頁を繰っているうちにほんとは笑っちゃいけないけれど笑わずにはいられなかった挿話があった。

一九七一年十二月ユージン・スミスチッソ五井工場で暴行を受けて神経を痛め、それからさき視力低下に悩まされた。このとき妻のアイリーンにお見舞いの電話をかけてきた人のなかに昭和電工の社長夫人がいて「本当にチッソはひどいですね」といった。昭和電工すなわち新潟水俣病の元凶の会社の社長夫人のお言葉である。

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国連機関や米国が提供するニュース報道は死傷者の数やロシア軍の攻撃の現状ばかりでまったくやりきれない。国連も米軍も死傷者を数えているだけじゃないか。もちろん実態の把握はだいじだが、もっともっとウクライナの人々の生命を救い、ロシアの攻撃をどう止めるかの問題に努力を傾注してほしい。

そうしたなかロシアの公共放送の女性職員が、アナウンサーのうしろに立って戦争をやめよう、ロシアの報道に騙されないで、と書いたプラカードをかざした姿をみて凄いなと驚くとともに今後の処分と処遇を思って不安と心配に襲われた。これに較べると死傷者数を合計している機関など高みの見物に等しい。

もちろんわたしとてそれが謬論なのはわかっているが、そういいたくなるほどやむに止まれない気持なのだ。外交、軍事のプロならば事態解決に向けてもっと知恵を出せよ!といいたい。経済制裁もよいが、これでプーチン政権が揺らぐとしてもだいぶんあとの話だ。いまそこにある危機をなんとかしてくれ。

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三月二十日。散歩をしていると根津神社の裏門坂の辛夷に花が咲いていた。上野公園の桜の開花もまもなくである。

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辛夷は蕾から開花まで一直線と思いがちだが、作家の高橋治は、莢から花弁が白い花をのぞかすなり鵯(ひよどり)がサラダにしてしまうから困ると『木々百花撰』に書いている。

また木山捷平はせっかく辛夷の木の苗を贈られて植えたのになかなか花が咲かないと嘆いている。随筆「十一月の博物誌」によると木山が練馬に家を新築した際、庭木がないのでと辛夷の木の苗を贈られた。ステッキよりも短い苗は数年のあいだにぐんぐんのびたのに花が咲かない。贈ってくれた人に、あれはほんとに辛夷かと訊くと、相手はまちがいないと断言した。そこで近所のお寺にあるこぶしの大木と比べてみたところ葉の色形が全然ちがう。

「お寺の葉がナシの葉のように小さく粋で、うちの葉はいちじくのようにだだっぴろく、下品だった」「やけをおこしてぶち切ってやろうかと思った」とこの人らしくない言葉をしるしている。

ぶち切るのを思いとどまって二、三年すぎてようやく花が咲いた。葉をみたところ、ご近所のお寺の葉の色形とおなじだった。ここで木山は辛夷の葉の色形は変化するというのだが、すべての辛夷が花を咲かせるとき葉の色形がそれまでとちがうようになるかどうかは疑問としておこう。

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中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』(文春文庫)を読了。読み終えて思う、俗に「貧乏暇なし」という。わたしもそのひとりだったが齷齪するのが嫌で、退職とともにトシヨリ生活にはいり、いま十二年目。さいわい貧乏ではあるけれど暇のある隠居生活を続けている。贅沢をいえば前倒しで隠居生活を望んだが残念ながら貧乏が許さなかった。

二0一一年に下流年金生活者となっていちばんの変化は購書をできるだけ控えるようになったこと。そうすると本に向かうエネルギーもずいぶん衰えた。いまは余燼くすぶるといったところで図書館や青空文庫のお世話になりながらそれなりにたのしんでいる。 先日は読んでいるさいちゅう「腹の底」が一瞬「屁」の字に見えた。どうしてかわからないけれど意味からすると関係のない話ではないと苦笑いした。「巨人の星」の主題歌「思い込んだら試練の道を」を「重いコンダラ」と解釈した方がいて整地用手動式ローラーはコンダラの別称をもった。世の中いろいろ。

以下、隠居のこごと。国会の憲法論議に物申したい。現行憲法歴史的仮名遣いで書かれていて改憲には整合性を要する。そこで仮名遣いを歴史的仮名遣いに戻すことを論議してはいかがか。わたしは歴史と文化の一貫性として旧仮名を正規とするのはありと考えるが、それは別にして、はじめに言葉ありき、国会議員諸賢の積極的議論を望みたい。

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三月二十八日。先日散歩していると根津神社裏門坂の辛夷の木に花が咲いていた。桜よりわずかに早く開花する。そしてきょうは散歩のとちゅう本郷通りに面した向丘の浄心寺の桜がきれいで、しばし立ち寄りお花見をさせていただいた。

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