ロシアの侵略に思う

ウクライナが気の毒でときにTVニュースを見ていられない。映像を見るのが辛い。しかし情報は知っておきたいのでその際はラジオに頼っている。

二月二十三日プーチン大統領ウクライナ国内の親ロシア派支配地域の独立を承認する大統領令に加え、ロシアと両地域の友好協力相互援助条約に署名、そうしてたちまちのうちにウクライナに軍を進めた。

自分の面倒をみるのに精一杯で余裕はなく、世のなかから下りた隠居としてはできれば「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」(藤原定家)といってみたいところだがじっさいは怒りが噴きあがり、老爺にもまだこれほど憤怒する力があると知った。そんなこと知らなくてよかったのにとプーチンのロシアにまた怒る。するといつもの悪癖で、言わなくてもよいことや書かでものことを言いふらし、書き散らしたくなった。

 

衛星国という政治上の概念がある。いまはあまり用いられなくなったが冷戦の時代にはしばしば新聞や雑誌で見かけたものだった。

衛星国すなわち主権国家として独立しながら主要政策で大国の指示を受け、追随する国家、また地理的にも大国と接近していて盾の役割を担わされている国をいう。

冷戦の時代、ソ連ポーランドブルガリアチェコスロバキア東ドイツなど東欧共産圏諸国やモンゴルを衛星国としていた。もしも第二次世界大戦の戦後処理で北海道がソ連の占領地域となっていたらここも衛星国になっていただろう。なお第二次世界大戦前ではナチスドイツとハンガリーブルガリアルーマニアなどがそうした関係にあった。

ソ連は衛星国を前提に外交防衛政策を組み立てており、プーチン大統領にはその思考が牢固としてある、というかこびりついて離れないのではないか。ロシアのウクライナへの執着をわたしはそんなふうに見ている。これは社会主義の残滓というよりロシア人の政治地理観、大きくは世界観に関わっている。あるいはロシア人の政治意識の「古層」(丸山眞男)といってよいかもしれない。

ロシアがいまウクライナとの関係を見直すのであれば衛星国方式ではない外交テーマとして話合いの余地はあるだろう。しかし現実は武力による侵略に踏み切った。論外というほかない。

 

「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」(ウィンストン・チャーチル)。

コミュニズム連邦国家から独立して民主主義という「最悪の政治形態」の道をあゆんでいる国が最悪の事態に陥っている。腹立たしく、また早急に救う手立てがなく戦闘状態にはいっており怒りは二乗である。

冷戦時代の社会主義国は実態はともかく理念としては自由主義諸国に対抗し、世界に平等を標榜していた。プーチンのロシアにそうした理念はなく、あるのは独裁者による軍事大国の野望である。

今回の侵略により世界は民主主義国家vs一党独裁制国家の様相を帯びるのかもしれない。 前者はよくもわるくも多様であり、利害が絡んでいてなかなか一枚岩になれない恐れがある。それにホワイトハウスへの乱入事件が示したように民主主義の劣化も気がかりだ。

ここは民主主義国家が踏ん張り、しっかり協調して事態に対処するよう期待したい。

国連による実効ある停戦、平和活動を望みはするが実現の可能性は小さく、あれやこれやでペシミズムに陥るとニュースを見る気がしなくなる。

 

レーニン日露戦争での日本の勝利はロシア革命を結果的に後押ししてくれたと論じたが、スターリンは日ソ中立条約を事実上破棄して対日参戦するにあたり、日露戦争の敗北に対する復讐と雪辱を訴えた。

林達夫は「旅順陥落」において、ソ連の庶民もマルクス・レーニン主義よりこうした「政治的子守唄」を必要としていたと述べている。いまプーチンは「ウクライナファシストからロシアを守っている」といった「政治的子守唄」を流していると聞く。

それはともかく、ロシアがウクライナではなく日本を攻撃してきたと仮定しよう。わが国はただちに北方領土問題解決の意思を示し、ソ連が対日参戦したときの満洲への雪崩れ込みや南樺太、千島列島での一連の戦闘を取り上げ、 国民を鼓舞しなければならない。スターリンは対日参戦を日露戦争への復讐と雪辱に見立てたが、今度は日本がソ連の対日参戦に復讐と雪辱を果たす番である。

ロシアの侵略と蛮行からこんな想像をしてしまった。

もちろん復讐と雪辱の連鎖は危うく、平和を愛する日本国民の合理的な政治思考ではない。しかしながら有事を仮定するとこうした想像が浮かんでくるのはどうしてだろう。わたしのなかで第二次世界大戦はまだ終わっていないのか、それともプーチンが呼び起こした悪夢なのか。