2019マルタ共和国

 二0一九年十二月にマルタ島を訪れ、それから先はコロナ禍で海外へは行っていませんから、ずいぶん日が経ってしまいましたが、以下はいまのところわたしの最新の海外旅行の記録です。

十二月四日、 成田空港からイスタンブール経由でマルタ共和国に来た。 偶然だがことし一月には南イタリアの旅でシチリア島を再訪し、 二月にはチュニジアへ行ったから、 マルタとはいちばん近いところを廻っていたことになる。マルタといえば古くは十字軍で勇名を馳せた聖ヨハネ騎士団が築い た要塞都市、 近くは米露首脳が冷戦終結を宣言したところとばかり思っていたが 、 最近パナマ文書の関連でこの国の政界の暗部を追求していた女性ジ ャーナリストの殺害事件に政府関係者が関与していた疑惑が浮上し首相が退陣を表明した。

いまのところ香港のように街頭でのデモ隊と警官隊との衝突は起こっていないが現地ガイドの話によると厳しい政治的緊張感が続いているとのこと だ。

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マルタに到着してまずはスリー・シティーズ(ヴィットリオーザ、 セングレア、コスピークワの三つの町の総称) へ行き城塞の跡を見た。 ロードス島を追われた騎士団はのちに首都となるヴァレッタに先駆 け、一五三0年敵の侵入を防ぐためここに城塞を築いた。 その城塞に国旗と並んでマルタ騎士団旗(左) が立つのは歴史の威光というべきだろう。

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マルタ共和国は面積が東京二十三区の半分ほどで今回はホテルを移動する必要がないのがありがたい。ホテルは首都ヴァレッタの北東海岸に沿って広がるリゾート地、スリーマにあり、うれしいことに海岸に沿い遊歩道が設けられてい、ジョギングに適した道である。

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わたしはジョギングを休む勇気がない。よいことのように思われるかもしれないけれど稀勢の里の例を思うまでもなく休む勇気はスポーツには重要な要素で、 この点は天下の横綱下流のランナーも変わりはない。 そこで旅行中は休む勇気を思ったが、 迷いながら最後にランパンをスーツケースに入れたのが大正解だっ た。走りながら眺める光景はイスタンブールを思わせるたたずまいで夕刻の入江もたいへんに美しい。

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地中海性気候のマルタはこの時期でも温暖ではあるが、 他の季節にくらべると雨の日は多く、海も荒れやすい。 事前に旅行社から送られてきた説明書には、名所の青の洞門観光が催行できないときは代替案になりますといったことが書かれてあり、添乗員の方も何度か青の洞門観光の可否について問い合わせをしていた。最終的には朝、バスに乗る前にOKの連絡があり、参加者みんなで拍手をして出発した。この時期、天候、海岸の状況等により催行の確率は五割だそうで、昨日は×、今日は ○というしだいでまことにラッキーなスタートだった。

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青の洞門に続いてはマルタ本島南部にあるハジャーイム神殿とイムナイドラ神殿の二つの巨石神殿を訪ねた。前者は紀元前2800~ 2400年、後者は紀元前3000~2400年に建てられたと説 明があったからおよそ五千年前の巨岩神殿群で1ユーロ貨幣の裏の模様はイムナイドラ神殿の入口の石積みに由来している。

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二つの神殿のほかにもマルタ本島、ゴゾ島の各地に巨石神殿があり、その数は三十にものぼる。どうやって数十トンもの巨大な石が運ばれ、組み立てられたのかはいまなお完全には解明されていない。

巨石神殿群をあとにして聖ヨハネ大聖堂と聖ヨハネ大聖堂美術館へ 。盛りだくさんの観光だ。

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大聖堂は名前の通りマルタ騎士団守護聖人ヨハネに捧げられた教会で一五七三年から一五七七年にかけて騎士団の建築技師ジェラー ロモ・カサールの設計により建立された。

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詳しいことは旅行案内書に譲って、特筆しておきたいのは美術館にあるカラヴァッジョの二点の傑作「 聖ヨハネの斬首」と「聖ヒエロニムス」だ。 光と影のコントラストといえば日本ではレンブラントだが、 イタリアやマルタではカラヴァッジョだ。

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はじめてカラヴァッジョの現物に接したのはシチリア島だったが、 今回はからずもその絵画に出会えた。予習せずに廻るのもまたたのしい。

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今回の旅はリーズナブルな価格だったからだろう夕食が付いておらず 、こういうときはレストランではなくスーパーマーケットで買い出しをしてホテルでお安く食事をするに限る。

ホテルに着き、ジョギングをしたあと近所のスーパーへ行き夕食とビールを買ってきて自室で乾杯!

ありがたいことにラガービールにチスク(CISK) という名品があり、500mlの缶ビールが1ユーロと少し、 おなじ銘柄のスペシャル缶も2ユーロしないから日本と比べて断然 安い。総じて財布にやさしいマルタである。

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マルタ島からフェリーでゴゾ島へ渡った。所要時間およそ三十分。 ロレンツォ・ガッファの設計により一六九七年から一七一一年にかけて建立された大聖堂、巨石神殿のジュガンティーヤ神殿などを見学したあとショッピングと散策で地中海でのリゾート気分を満喫した。

ショッピングではダシール・ ハメットのハードボイルド小説の古典「マルタの鷹」( ハンフリー・ボガート主演で映画化)Tシャツをこの島の土産物屋 で見つけ、さっそく購入した。 ひそかに気にしていたものを見つけたときはうれしい。

マルタを冠した小説でおそらく世界でいちばん知られたフィクショ ンであり、わたしの唯一知る小説「マルタの鷹」のグッズが「 ないはずはあるまーが」と「仁義なき戦い」ふうのせりふを心でつぶやきながら、探しあてたときは「おっ!」なのだった。

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フェリーでマルタ島へ帰りジョギング。夜の街はクリスマス・モードがスタートしていて華やかな街並を散歩し、 立ち寄ったスーパーでチスクと食料とおみやげを買い、今宵も自室で乾杯。

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マルタ島の中央部、小高い丘のうえにあるイムディーナへ。 アラビア語で「城壁の町」を意味するところで、 騎士団員が闊歩していたであろう十六世紀にはヴァレッタに先立ち首都がおかれていた。いまはつわものたちの夢の跡の風情ただようオールド・シティだ。

メインゲートをくぐるとくねくねとした狭い小路が続き、 両側にはマルタ・ストーンの家々が櫛比する。 多くの家々のバルコニーには鮮やかな花が飾られ、窓枠に色彩をほどこしてある家もあり、目を楽しませてくれる。 わが国の路地裏にある植木鉢とおなじくバルコニーの花々が心をなごませてくれる。庭をもたない家庭の心映えも偲ばれてうれしい。

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この国の人々の気風について現地で暮らす日本人女性ガイドさんの話をしるしておこう。

マルタは経済成長志向はなく、その日その日の幸せ志向。 がむしゃらに働く気風はなく、 勤務時間が来れば皆さんさっさと退勤する。働き方改革とは無縁であり、 超過勤務手当という概念などないかと思われた。

かつてはイギリスの統治領だったから社会システムもイギリスの影響が強く、郵便ポストは赤く、車は左側を走る。

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ゆりかごから墓場まで」の伝統があり、 税金は収入の三割ほどを持っていかれるが、医療、教育はタダ( 大学生には生活費が支給される)で特段の不満はないという。

仕事はほどほどに、日々をゆったり楽しく、 勤務時間を超えて働く人は見たことがないとガイドさんはおっしゃっていた。日本が見習おうとしてもとても無理だろう。現地の方と過労死について話してみたかった。

かつて社会保障負担の増加、 国民の勤労意欲の低下などからくる経済・ 社会的な問題の発生現象として英国病がいわれ、 これにサッチャー首相が鉄槌を下したのだったが、 察するにマルタはイギリス病との批判を甘受してもその長所を活かそうとしている国のような気がした。

旅の最後は自由行動で、 わたしはリパブリック通り界隈つまり町の、 国の中心部で三時間ほどをのんびり過ごした。 そして空港に向かうバスに乗るため集合場所に行く途中でデモ行進 に行きあった。近くには国会、首相官邸があり、 ここに鉄柵が設けられたのはマルタ政治史上はじめてなのではとガ イドさんが言っていて、デモも稀有なことだろう。

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税金逃れとそれを追求しようとしたジャーナリストの殺害に対してはさすがにのんびりしたマルタの人々も怒っている。首相が引責辞任するだけではだめだ、大事なのは< JUSTICE>と訴えているのだ。

面積は東京23区の半分ほど、人口は約43万人、 マルタ騎士団や巨石神殿群のおかげで多くは観光業に携わる。 小さい国だが歴史的遺産、見どころたっぷりのとてもたのしい旅だった。

「正義」の実現を願いながら帰途についた。

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