小晦日(こつごもり)

大田南畝「吉書初」にこんな一節があった。

「もういくつねて正月とおもひしをさな心には、よほど面白き物なりしが、鬼打豆も片手にあまり、松の下もあまた潜りては、鏡餅に歯も立がたく、金平牛蒡は見たばかり也。まだしも酒と肴に憎まれず、一盃の酔心地に命をのべ、一椀の吸物に舌をうてば、二丁鼓の音をおもひ、三線枕のむかしを忍ぶ」

鏡餅と金平牛蒡とがセットになっているのはどうしてなのか戸惑っているけれど、それは別にしてあまりに調子がよいものだから、「よっ、大田屋」とかけ声を発したかったところで、代わりにここに写してみた。むかしの長歌祝詞のような感覚をもつ流れに漢文脈が重なってできた文章は江戸の戯作はもとより永井荷風石川淳の文体にも大きな影響をあたえているようだ。

狂歌の第一人者は名調子で戯れ歌の響きを打ち出していて、そこにはノリのよい日本語はお堅い漢文とリンクすることで独特のユーモアを醸し出すという事情がある。日本語の歴史や性質と関係することがらである。

それと「吉書初」からは江戸時代の子供も明治になってできた童謡にあるように、もういくつ寝るとお正月……と口にしていたことがうかがわれる。

久保田万太郎の句に「数え日となりたるおでん煮ゆるかな」がある。「数え日」はことしもあと何日と数えたくなるような年末の数日を表す季語で、もういくつ寝るとお正月、お正月には凧あげて、の「お正月」(東くめ作詞 滝廉太郎作曲)はその唱歌にあたる。初出は一九0一年(明治三十四年)七月二十五日に共益商社書店から刊行された『幼稚園唱歌』で、そこには江戸時代の子供たちの姿も映し出されている。

いっぽう大人も蜀山人先生のむかしとおなじくお正月には一盃の酔心地を求め、一椀の吸物に舌をうつのだが、ただしきょうは小晦日(こつごもり)の十二月三十日だから、大晦日と元旦を前に派手な酒ははばかられる。地味となるとビールのつまみには柿ピーくらいがよさそうだ。

 柿の種に隠れてピーナツこつごもり 遅船庵