ほんのはなし

ジャズで彩る叙情精神~『スタン・ゲッツ 音楽に生きる』

ドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ 音楽に生きる』(村上春樹訳、新潮社)。B 5版五百七十頁余、しかも上下二段組で細かい活字がぴっしりと並んでいて、けっこうなボリュームにたじろぎながら読みはじめた。とことがどうだろう原書の魅力と村上春樹の翻訳…

狂気と無知と痴愚を問う~渡辺一夫『ヒューマニズム考』

碩学が生涯かけて学んだことのエッセンスを、素人、初学者に説いた本には素晴らしい著作が多い。わかりやすく、分量も少ないからよみやすい。昨年(二0一九年)十一月講談社文芸文庫で復刊された渡辺一夫『ヒューマニズム考 人間であること』もそれに該当す…

四十年にわたる大河スパイ小説〜『CIA ザ・カンパニー』

ロバート・リテルは気になるスパイ小説の書き手だが、読んだのは『ルウィンターの亡命』だけで、しかも長いあいだご無沙汰だったところ、自粛生活の余得で『CIAザ・カンパニー』(渋谷比佐子監・訳、2009年柏艪社)を読む機会を得た。上下二段組、六百頁にな…

『大江戸の飯と酒と女』~『政談』のあと

享保十一年(一七二六年)荻生徂徠は八代将軍徳川吉宗の諮問にこたえ時代に即応する政策体系を論じた『政談』を書き上げた。(成稿の年は平凡社東洋文庫版『政談』校註平石直昭による) 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いて百二十年余り、貨…

永井良和『風俗営業取締り』再読

新型コロナ感染症の拡大をうけ五月一日から持続化給付金の申請受付がはじまった。感染症禍のもと営業自粛等で特に大きな影響を受けている中小企業、小規模事業者、フリーランスを含む個人事業者等にたいして事業の継続を支え、再起の糧とするための給付であ…

二重の奇跡~フランクル『夜と霧』

そのうち読もうと思ったのがいつだったか思い出せないほど遠い昔のことに属するヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(池田香代子訳、みすず書房)をようやく読んだ。 フランクル(1905-1997)はユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に囚われ、奇蹟的に生還…

魅力の巻き込まれ型スリラー〜『魔女の組曲』

ベルナール・ミニエ『魔女の組曲』上下巻(坂田雪子訳、ハーパーBOOKS)を読み、久しぶりに巻き込まれ型スリラーを堪能した。 クリスマスイヴの夜、ラジオパーソナリティのクリスティーヌに差出人不明の、自殺を予告する手紙が届く。それを機に放送中の事故…

「愛のコリーダ」におもう

「週刊文春」の映画の紹介と短評からなるシネマチャートのコーナーを長年にわたり重宝してきた。ありがたいことに一昨年(二0一八年)五月には四十年におよぶ名物企画を再編集し、洋画二百七作品、邦画五十三作品の情報と評価を掲載した『週刊文春「シネマ…

『古書肆「したよし」の記』

永井荷風は『断腸亭日乗』昭和二年十一月二十五日の記事に「近年文士原稿の古きものを蒐集すること流行し、御徒町の古書肆吉田屋の店などにては屑屋より買取りし原稿を見事に綴直しなどす。されば反古紙もうかとは屑屋の手には渡されぬなり」と書いている。 …

役者を見抜く力と表現力~芝山幹郎『スターは楽し 映画で会いたい80人』  

「繊細よりも精気を誇り、屈託よりも痩せ我慢を選んだゲイブルには、やはりキングの名がふさわしかった」 「クーパーには荒野と摩天楼の両方が似合った」。 芝山幹郎『スターは楽し 映画で会いたい80人』(文春新書)にあるクラーク・ゲイブルとゲーリー・ク…

『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』に導かれて

昨二0一九年十月に創元推理文庫から福永武彦、中村真一郎、丸谷才一『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』が刊行された。書誌については後回しにして今回の創元推理文庫版は三人の著者のこれまで未収録だったミステリについてのエッセイや丸谷才一さんが収録しな…

警察小説の源流~『彼女たちはみな、若くして死んだ』

ヒラリー・ウォー(1920-2008)はわたしの大好きなミステリー作家で、さきごろも『生まれながらの犠牲者』の新訳本(法村里絵訳、創元推理文庫)を読み、あらためてこの人の作品にはハズレがないなあと感心した。 『生まれながらの犠牲者』は行方不明となっ…

はじめてのお茶の本~『日日是好日』

映画「日日是好日」に誘われて原作の森下典子『日日是好日ー「お茶」が教えてくれた十五のしあわせ』(新潮文庫)を手にしました。わたしにははじめてのお茶の本で、素敵な映画がよい機会をもたらしてくれました。 一読、期待していた通り、映画とおなじくゆ…

政治と宗教と寛容と~辻邦生『背教者ユリアヌス』

フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス(331年もしくは332年-363年6月26日)はキリスト教を批判し、ローマ多神教を支えとした「異教徒皇帝」であり、ローマ帝国最後の「背教者」皇帝だった。(在位361年11月3日-363年6月26日) 辻邦生『背教者ユリアヌス…

『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』

時を忘れて没頭し、頁を繰る指に力がはいる。至福の読書であり、もしもこれがミステリーであればわたしはもうひとつスピード感をくわえよう。 例外を認めたうえであえて言う、しばしば滞って軽快に運ばないミステリーは困ったものだ。その点でA・J・フィン『…

『脇役本』

濱田研吾『脇役本』(ちくま文庫)は映画、テレビで知る懐かしいバイプレーヤーたちの本やエピソードを満載したエッセイ集だ。とりあげられているのは山形勲から吉田義夫までおよそ八十人のシブい役者たち。わたしには多くが写真を見なくても目次だけで顔が…

『15時17分、パリ行き』

クリント・イーストウッド監督の新作「15時17分、パリ行き」をめずらしく同名の原作本を読んだあとで鑑賞した。 原作は、二0一五年八月二十一日、十五時十七分にアムステルダム駅を出発し、パリに向かっていた列車内で、武装したイスラム過激派の男が企てた…

『シンドラーに救われた少年』

第二次世界大戦のおわりを十五歳でオスカー・シンドラーの工場において迎えた、つまりホロコーストを生き延びた少年の体験記である。原書《THE BOY ON THE WOODEN BOX》は二0一三年刊、邦訳は二0一五年古草秀子の訳で河出書房新社から刊行された。 少年の…

粕谷一希『戦後思潮』を読む

ことしの憲法記念日に安倍首相は自民党総裁として改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、憲法を改正し二0二0年に施行をめざす意向を表明し、改正項目のひとつとして憲法九条を挙げ「一項、二項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な…

人生のトレーニングあるいは『初秋』の研究

「セプテンバー・ソング」と「セプテンバー・イン・ザ・レイン」について書いているうちにロバート・B・パーカーの代表作『初秋』を読みたくなり、久しぶりに頁を開いた。この前読んだのは作者が亡くなったときで、そのときわたしはこの名作を「人生のトレ…

『武士道の精神史』

「分別らしきもの腰ぬけべし」「武辺は無分別とそこつ(粗忽)の間より出る」 天野長重という旗本が書いた教訓的備忘録『思忠志集』の寛文八年(一六六八年)の記事にある、かつて武勲を立てた老人が語った言葉だそうで、氏家幹人『江戸藩邸物語』で知った。…

『あのころ、早稲田で』

著者の中野翠さんは一九四六年生まれ、埼玉県立浦和第一女子高を経て一九六五年四月早稲田大学第一政経学部経済学科(当時は夜間部の第二政経学部があった)に入学、六九年三月同校を卒業した。「あのころ」とはそのころを指している。 中野さんの同級および…

『救出への道 シンドラーのリスト・真実の歴史』

ドイツ人実業家オスカー・シンドラーは強制収容所にいた千二百人を数えるユダヤ人を自身の工場に雇用することでナチスの虐殺から救った人物として知られる。 一九四五年五月その努力がドイツの無条件降伏決定によりようやく実を結んだときシンドラーは囚人た…

季語あれこれ〜『俳句世がたり』余話

小沢信男『俳句世がたり』を読んでいて幾度となく季語についての知見に興味をおぼえた。 たとえば夜学。夜間の定時制高校に勤務したことのある身なのにわたしは本書を読むまでこれが秋の季語と知らなかった。「夜学校は一年中のことながら、とりわけ勉学の灯…

『俳句世がたり』

ジョギングコースのひとつで谷中にある小沢信男氏のご自宅前を通る。 何度かアンソロジーでお目にかかっており、表札を眺めてそのうち単著も読んでみたいと願っていたのだがこれまで機会がなく、ようやく昨年末に岩波新書で刊行された『俳句世がたり』を通読…

『山猫』を読む〜マフィアについて

『山猫』のドン・カロージェロはドン・ファブリーツィオ公爵家が所有する大農地の管理人を務めているが、その経済力は主家を凌ぐほどに強く、また「お館さま」の土地を含むドンナフガータ村の村長でもある。その娘アンジェリカが公爵の甥タンクレーディと結…

『山猫』を読む〜シチリアの挽歌

ことしのはじめシチリア島を含む南イタリアを旅したのを機に長年書架で眠っていたジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの名作『山猫』(小林惺訳、岩波文庫)を手にした。 イタリア統一戦争を背景に、シチリアの名門貴族サリーナ公爵家の有為転変の軌…

『フランス組曲』

イレーヌ・ネミロフスキー『フランス組曲』(野崎歓、平岡敦訳、白水社)、第一部では一九四0年六月ナチスによるパリ占領にともない同市を脱出する人々の姿がアラカルトふうに描かれ、続く第二部では占領の具体のありさまが起伏に富んだ物語として綴られて…

『伯爵夫人』

蓮見重彦氏の小説をはじめて読んだ。『伯爵夫人』である。 かねてより谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』を現代日本文学の大傑作と評価するわたしは蓮見氏が二十二年ぶりに書いたというこの小説を読むうち、ときに卯木督助老人が日米開戦前夜にタイムスリップして小…

『レディ・ジョーカー』再読

Amazonビデオにあった二0一三年WOWOW製作「レディ・ジョーカー」を視聴してすぐに高村薫の原作を再読した。元版は一九九七年に毎日新聞社から刊行されているが、その後作者は新潮文庫版で全面的に改稿改訂の措置をとっており文庫版『レディ・ジョーカー』と…