2010-01-01から1年間の記事一覧

奈良光江のこと

その日、父は懐メロ番組を見ていた。手持ちぶさたのわたしも、なんとはなしにテレビに眼を遣っていたところ、司会者が奈良光江という歌手を紹介して、彼女がステージに立ったその瞬間、世にこれほど気品のある、美しい人がいるのかと、感に堪えない状態とな…

瞬間日記抄(其ノ二)

神保町の古書会館で書窓展を覗いたあと、秩父宮ラグビー場へと急いだ。きょう十二月十一日の東芝vs神鋼、サントリーvs三洋の二試合はトップリーグ屈指の好カードだ。観戦後、引っ返して神保町シアターで「淑女は何を忘れたか」を観て、東京堂書店経由で夜の…

瞬間日記抄(其ノ一)

某日。衝動的にツイッターなるものに興味を覚えた。されどフォローするとかされるとか、いまひとつよくわからないままでは不安なので、すこし勉強が必要。とりあえずはiPod touchにあるツイッターと連動する瞬間日記というアプリを用いて140字制限のつぶ…

洲崎パラダイス(其ノ四)

■作家のまなざし 伝統工芸や絵画、舞踊などの技芸にたずさわる女性が、男女の情愛に悩みながらも、自身の専門的技術、芸術を支えとして人生の光を見いだしてゆく、芝木好子にはそのような作品が多くある。 代表作のひとつ『隅田川暮色』の冴子は、戦時中、友…

慰問のはなし

三遊亭圓朝門下に四代目橘家圓太郎という人がいた。新橋と浅草のあいだを、粗末でガタガタと音を立てて動くところからガタ馬車と呼ばれた乗合馬車が走っていた時代、この御者が吹く真鍮のラッパを高座で吹いて人気を博した。明治の二十年代のことで、ラッパ…

荷風の映画をもとめて

川本三郎『荷風好日』(岩波書店2002年)によると、永井荷風の作品をもとにした映画はこれまでのところ八本を数える。 いちばん新しいのは平成五年(一九九三年)に板東玉三郎の監督で、吉永小百合が主演した「夢の女」(松竹ほか)。その前年には新藤兼人監…

『小さいおうち』

中島京子の直木賞受賞作。帯には〈昭和モダンの記憶を綴るノートに隠されたひそやかな恋愛事件〉とある。昭和のモダニズムに惹かれて一読。読後、ああ、よい物語を読ませてもらったと大満足だった。 昭和五年(一九三0年)春、尋常小学校を卒業した布宮タキ…

初老と女ざかり

初老ということばを辞書で引くと、老人になりかけた年代などというひどくつまらない語釈があったりするが、そこへいくと新解さんの愛称で知られる三省堂『新明解国語辞典』(第四版)には〈肉体的な盛りを過ぎ、そろそろからだの各部に気をつける必要が感じ…

洲崎パラダイス(其ノ三)

大学生だった六十年代末から七十年代はじめにかけては阿佐ヶ谷に住んでいた。同学の親しい友人が高円寺にいて、ともにアパート暮らし、場所も中央線の駅の北口方面にあり、ビールや安ウイスキーを提げてよく往き来した。 双方のアパートをつなぐ通りの途中に…

洲崎パラダイス(其ノ二)

地下鉄東西線の木場駅から永代通りに出て東陽町方面へ沢海橋を渡ってすこし行くと南北に延びる道路と交わる。洲崎パラダイスのアーチの架かる洲崎橋はここを南へ折れてすぐのところにあった。現在の町名は東陽一丁目、かつての洲崎弁天町である。町の名は変…

洲崎パラダイス

八月下旬に神保町シアターで「洲崎パラダイス 赤信号」を観た。スクリーンでは二度目で、はじめは銀座並木座だったと記憶しているものの、ずいぶん昔と言えるだけでいつの年だったか定かでない。なつかしさとうれしさから翌々日の午後、映画の面影をもとめて…

小津のことばつかい

一九二七年(昭和二年)の春、田口商店というドイツ映画を輸入する会社に岩崎昶(1903-1981)という青年が就職する。東京府立一中、第一高等学校、東京帝国大学独文科というエリートコースを経たこの若者はすでにシナリオやドイツ映画の評論を書いており、そ…

『映画となると話はどこからでも始まる』

スローボートの就航です。本や映画の話題のさいしょは淀川長治、蓮實重彦、山田宏一『映画となると話はどこからでも始まる』(1985年勁文社)を採り上げてみます。お三方の鼎談本はほかにもあるけれど、この書名で決まり。 ここで主旋律を奏でるのは淀川長治…