『ウディ・アレン追放』〜「事件」を知るためのまたとないノンフィクション

 日本で公開されたウディ・アレンの映画(監督作品、出演作品ともに)はずっと見てきた。出来不出来はあっても長年にわたるおつきあいだからなんだか生活習慣のようになっていて、書店で猿渡由紀『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)という本が並んでいて、ひょっとしてもうこの人の映画は鑑賞できないのだろうかと不安になった。一九三五年十二月一日生まれだから高齢で映画が撮れなくなったのではなく「追放」なのだ。

原因はセックスが絡んでいると推測はつく。しかしハリウッドの有名人たちの私生活にさほど興味関心のないわたしは、ウディが恋人だったミア・ファローの養女スンニに手を出して、のちに結婚したくらいのことしか知らない。#MeTooと「追放」との関連もよくわからない。わたしが本書を手にしてのはひとえにここにかかっていると書きたいところだが、ほんとはこれにセレブリティ家族を覗き見する気持が加わってのことだった。

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一読、いやはや、なんと。ウディの私生活についてあまり知らなかった者には大きな衝撃で、内容はこの人の人生全般にわたるが、ここではわたしなりに「事件の核心」をまとめておこう。

一九九二年一月、ミア・ファローは自宅で偶然にパートナーのウディが撮った六枚のポラロイド写真が置かれてあるのを目にしてショックを受けた。そのすべてに女性の顔と性器が写っていて、女性は紛れもなくミアと夫だったアンドレ・プレヴィンとのあいだの養女スンニ・プレヴィンだったのである。

アンドレ・プレヴィン(1929-2019)は指揮者、クラシックとジャズのふたつのジャンルにわたり高い評価のあるピアニスト、また「キス・ミー・ケイト」「絹の靴下」「マイ・フェア・レディ」など多くの映画音楽にもたずさわった。

韓国出身のスンニが音楽家と女優の養女となったのは一九七八年、推定年齢七歳のときだった。

スンニとの関係が発覚したとき、ウディはミアに「私はスンニを愛しているんだ。結婚するつもりだ」と言ったかと思うと「いや、私が愛しているのは君だ。これをきっかけに、愛をより深めよう」と言ったりして支離滅裂に陥った。これを機にミアはウディへの燃える憎悪と、断ち切れない未練とのあいだで苦しむようになった。

同年六月。ミアは家政婦兼ベビーシッターの女子大生クリスティ・グロティキに「今後、ウディが来たら、必ず目を光らせてね。ウディのディランに対する行動に疑いを持ってるの」とウディの少女への性虐待を疑う言葉を告げた。

アメリカ生まれのディランがミアに養子として引き取られたのは一九八五年、乳児のときで、以後ディラン・ファローとなり、一九九一年にはウディと養子縁組をしてウディが父親となつたが、翌年にはミアは養父の養女へのセックスを疑うようになっていた。

運命の日は八月四日。ミアのコネティカットの家に彼女の親友ケイシー・パスカルと三人の子供、そのベビーシッターのアリソン・スティックランドが訪れ、ミアとプレヴィン、ミアとウディの子供たちと賑やかなときを過ごしていた。

ひととき、ミアとケイシーは買い物に出かけ留守にした。そのかん、テレビのある部屋でウディがディランの膝に顔を埋めているのを、ケイシーのベビーシッター、アリソンが目撃し、そのことをケイシーに告げ、ケイシーはミアに知らせた。ミアは、一家をよく知る心理カウンセラーのスーザン・コーテス医師に相談し、医師は責務としてニューヨークの警察に通報したのだった。

刑事捜査では信憑性のある証拠が見つからなかったことから事件性はないと判断されたが、他方で「虐待があった可能性はある」と発言した検事もいた。

ミアとアンドレ・プレヴィン、ミアとウディ・アレン、ふたつのカップルの実子と養子を合わせると死者を含め十三人を数える。ウディの性虐待疑惑による起訴はなかったが、これを機に子供たちはウディ側とミア側に分断され、公の場でお互いを嘘つき呼ばわりするようになる。さらに#MeTooが事件性を増幅するかたちで呼び起こされ、その結果、アマゾンと映画製作の契約を結んでいたウディに、アマゾンは「ウディ・アレンの虐待疑惑が再浮上し、多くの俳優がもうウディ・アレンとは仕事をしないと言っている中、この契約はもう現実的でない」と契約破棄を申し渡した、すなわち「追放」である。

一九九二年八月四日、事件が「起こった」というミアは、ウディを性犯罪者として告発し、ウディは事件が「起こったことにされた」と主張する。いまも続く両者の言い分を読者は本書を通じて判断することになる。

在米三十年、ハリウッドを見続けた著者の記述は公平で、信頼度は高く、それぞれの主張のもとになる典拠、傍証も的確に紹介されている。「事件」を知るにはまたとないノンフィクションである。