吉村昭『海も暮れきる』

丸谷才一『横しぐれ』は語り手が四国の松山市種田山頭火(1882-1940)とおぼしい人物が本物それとも幻影だったのかを探ってゆく優れた中編小説で、一読のあとはおのずと山頭火が慕い、尊敬した尾崎放哉(1885-1926)のことが気になってくる。僧形に身をやつし貧窮のうちに病没した二人の風狂俳人はともに 荻原井泉水に師事し、無季自由律俳句を旨とした。また両者とも酒を愛するというよりも酒なしの人生はありえないタイプの人だった。

『横しぐれ』をはじめて読んだのはずいぶんむかしだったが、このほどようやく尾崎放哉の小豆島での最晩年を主にその生涯を描いた吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)を読んだ。

尾崎放哉(本名 尾崎秀雄)は鳥取県鳥取市の出身、一高、東大法学部を卒業した学歴エリートで、一高の同級生に安倍能成小宮豊隆、藤村操、野上豊一郎、一年上級に荻原藤吉(井泉水)、阿部次郎がいた。中学生のときから俳句に興味をもち、一高では一高俳句会に所属した。その中心は荻原藤吉、また会には内藤鳴雪、川東碧梧桐、高浜虚子ら著名な俳人が招かれその指導を受けた。

いっぽうで大学を卒業するころには酒席で人にからむ悪癖をもつ 大酒飲みになっていた。卒業後はじめ東洋生命保険、ついで朝鮮火災海上保険という大企業に勤めたがいずれも酒でしくじった。後者を免職となったのが一九二三年(大正十二年)、つづいて妻に去られ、流浪の身となった。

落ちるところまで落ちた放哉が頼りとしたのは句友の作品評価と同情からの拠金だった。 荻原井泉水の紹介で小豆島の西光寺奥の院の南郷庵に入庵したのが一九二五年八月、翌年四月七日、癒着性肋膜炎の合併症、湿生咽喉カタルにより南郷庵で亡くなった。享年四十二。

本書『海も暮れきる』にある破滅型の風狂俳人の飲酒は目を覆いたくなるほどで「まずい酒だな。これでも酒かい」「なにか気にさわるようなことを言ったかい。まずい酒だと言っただけだ」「おい、女、まずい酒のお代わりだ」、そこへ店の年寄りの女が「ひどく酔っているじゃないですか。もうそこらで切り上げなくちゃ体に毒ですよ」と言えば「いいこと言ってくれるじゃないか、婆さん。客にそんなことずけずけ言えるのはなかなか出来ないもんだ。遣り手婆でもやっていたのかい」と切り返した。

放哉が歿して半世紀経った一九七六年、吉村昭が取材のため小豆島を訪ねたとき、なおも地元の人たちから「なぜあんな人間を小説にするのか」と詰問された。吉村は「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と述べている。

本書と併読した石川桂郎俳人 風狂列伝』(河出書房新社)には、妻と別れて西田天香の主宰する京都の一灯園にいたころ、酒が欲しくなると、荒縄で腰をくくった異形の僧の姿で、かつて勤めていた東洋生命保険大阪支社に現われ、以前の同僚や部下の名を威丈高に呼んでは酒代を脅し取った放哉の姿があった。人間、恥もなくなるとここまで堕ちるものか。 人間の品位、良心、面目、意地、世間の見栄、心の張りを棄て切った者の所業である。

それでもこの人物の句に結核療養中の若き吉村昭は惹かれ、のちに伝記小説を書くのだから人と作品(俳句)の関係は複雑である。「私はいつの間にか尾崎放哉の句のみに親しむようになった。放哉が同じ結核患者であったという親近感と、それらの句が自分の内部に深くしみ入ってくるのを感じたからであった。放哉の孤独な息づかいが、私を激しく動かした」のだった。

放哉はときに妻、馨の豊かに張った形のよい乳房を、豊な黒々とした髪を思い浮かべ「すばらしい乳房だ蚊が居る」「髪の美しさもてあまして居る」という句を作った。 

南郷庵の裏山に登って「山に登れば淋しい村がみんな見える」とよんだ。

その淋しい村に住む老婆がお地蔵様の祭日に酔って問うた言葉から「なにがたのしみで生きてゐるのかと問はれて居る」という句が生まれた。

そして庵で夕陽に輝く前庭をながめていると「之でもう外に動かないでも死なれる」という句が自然と浮かんだ。

ほとんど食物が通らなくなった最期に放哉をなぐさめたのは煙草だった。友人の俳人たちに英国製高級煙草のスリーキャッスルをねだって送ってもらったかれは一口すって、うまい、と思わずつぶやいた。高価な英国製煙草がこれほどの味であったのか、とあらためて感嘆した。食欲も失われたかれには煙草の味と香りが得難い貴重なものに感じられた。酒の人であった放哉と煙草は皮肉のようにも映るが、ここではかれによろこびをもたらした気品に満ちた煙を供養としておこう。

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『海も暮れきる』を読み放哉の句をながめてみたが、それよりも安定した堅気の世界からドロップアウトを敢行した、その愚かさを伴ったかれの人生についてあれこれ思った。

人の世に住みにくさはつきものでドロップアウトはなにほどか憧れとなる。気兼ねなく身すぎ世すぎできるならそれに勝るものはなく多少の貧乏には耐えられる。けれどあくまで程度の問題であり、堕ちるところまで行く勇気はない。

絶対お近づきになりたくない人物であり、独立自尊も恥も外聞もなくここまで来れば終わりである。しかしながら、ドロップアウトを決断したその勇気は忘れることはできない。

そうしているうちに先般来報道されている政治資金パーティーで裏金を稼いでいた国会議員諸公の顔が浮かんだ。あの人たちも人間の品位、良心、面目、意地、世間の見栄、心の張りなどを喪失している点で、かつての職場で酒代をせびった俳人とおなじである。しかし放哉には俳人としての矜持があった。対して 国会議員諸公にあるのはキックバックの裏金と鉄面皮である。

俳人の伝記小説を読んでこんな政治談義はいかがなものかと苦笑していると『俳人 風狂列伝』の解説に作家の戌井昭人氏が「本書を読み終り、昨今のお偉い人たちのことを考えると、正気を装って裏でドス黒いものを隠している人間より、狂気がむき出しになっている人間の方が、よっぽどマシなのではないかと思えてくる」と書いていた。