『S S将校のアームチェア』〜「普通のナチ」の実像

ダニエル・リー『S S将校のアームチェア』を読み、まだ一年の半分も経っていないのにもうことしの歴史・ノンフィクション系のわがベスト作品となるだろうと予感している。同書は二0二一年十一月にみすず書房から庭田よう子氏の訳で刊行されており、原書THE SS OFFICER’S ARMCHAIRは二0二0年に出されている。素晴らしい作品がしっかりした訳で、早く上梓されたことに書肆と訳者に感謝したい。

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二0一一年ヴィシー政権下のユダヤ人に関する研究で歴史学の博士課程を修了した著者のダニエル・リーは知人のヴェロニカからある書類の扱いについて相談を受けた。

アムステルダムにいるヴェロニカの母親ヤナがアームチェアの張替えを家具屋に依頼し、取りに行ったところ修理職人から鉤十字のスタンプが押された書類の束を見せられ、ナチやその家族のために仕事はしないと言い放たれた。書類は座面に隠されてしていて、ヤナには寝耳に水、まったくあずかり知らないものだった。

ヤナの家族は一九八0年代はじめチェコスロバキアからオランダへの移住を認められ、以前から自宅にあって、彼女のお気に入りだった椅子もこのときアムステルダムに運ばれてきた。隠されていた書類はローベルト・グリージンガーという名前のある、戦時中に発行された複数のパスポート、戦時債権、法学博士号を取得した二年後、一九三三年の日付のある上級公務員二次試験の合格証明書などであった。

これを端緒にダニエル・リーは一九0六年生まれのローベルト・グリージンガーという男の人生の再現とその家族の足跡を追いはじめた。

椅子の来歴を知るため椅子職人に訊ねるとプラハでつくられたとわかった。またローベルトの関係した職場を訪ね、各国の公文書館に足を運びするなかで、彼がドイツで官庁や大学で勤務し、一九四三年にプラハに転勤してからは経済労働省の官僚、また法務官、そしてSS(親衛隊)の将校でもあった人物と知れた。ただしそのポストは低く、いわば「普通のナチ」である。ところが「普通のナチ」は外見上は一般市民と変わりなく生活していて、戦後は裁判の対象にはならなかったために実態はよく知られていない。

ローベルトは亡くなっていたが探索を続けるうちに著者はその長女ユッタ・マンゴルト(旧姓グリージンガー)、次女バルバラ・シュレンゲル(旧姓グリージンガー)、ローベルトの弟の息子ヨッヘン・グリージンガーとめぐりあい、話をうかがうことができた。

ローベルト・グリージンガーはプラハの自宅にあった椅子に書類を隠し、みずからナチであったことを隠し、責任を逃れようとした。妻は知っていたが娘二人はともに父がSSの将校だっとは知らなかった。おのずと著者の調査は戦後のグリージンガー家の軌跡にも及んだ。

ローベルトとその家族の実像がだんだんと明らかになってゆき、立体的に浮び上がる。ここでわたしが思い浮かべたのは森鴎外渋江抽斎』だった。本書は謎の解明に向けた著者の行動の記録をともなったナチスの時代の歴史研究、ノンフィクションである。そして謎の解明という点では生半可なミステリーをはるかに凌いでいる。その意味でネタバレは慎まなければならない。ここでは歴史学の成果として「普通のナチ」について語っておこう。

上に述べたようにローベルト・グリージンガーは一九四三年にプラハに転勤し、敗戦時もプラハにいた。プラハユダヤ人虐殺といえば「金髪の野獣」ラインハルト・ハイドリヒがよく知られているが、ならば下級官僚としての「普通のナチ」はどのような仕事、役割をしていたのか。

一九三0年代半ばのシュトゥトガルトでは社会主義者共産主義者ユダヤ系ドイツ人たちが強制収容所に入れられた。彼らを収監に追い込んだ官僚の名前は知られていなかったがようやくローベルト・グリージンガーだったことが本書で明らかになった。

彼はまた、プラハでドイツへ強制的に行かせる何万人ものチェコ人労働者の決定に関与した。その地位が低かったために収容所や強制労働から戻らなかった人々の親戚や遺児はその悲しみの元凶を知ることはなかったがこれについても本書で明るみになった。

ダニエル・リーはいう「グリージンガーが与えた苦痛は、アドルフ・アイヒマンのような著名な机上の殺人者には及ばないとしても、彼をはじめとする何千人もの下級官僚は、ナチの恐怖に積極的に加担していた。ユダヤ人がどうなるのかその運命は知らなかったという戦後の主張は、証拠を突きつければ無効になる。グリージンガーはオフィスを離れずに殺人に関与した多くの机上の殺人者がのちに主張したような、けして大きな機械の『小さな歯車』などではなかった」と。

 

以下は「金髪の野獣」ラインハルト・ハイドリヒに触れた本ブログの拙文です。よろしければ参考にしてみてください。

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20180130/1517275769

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20170905/1504570632

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20131210/1386632518

 

「流浪の月」

小児性愛者にして誘拐犯とされた十九歳の大学生、そして事件の被害者とされた小学五年生の女児。「〜とされた」というのはあくまで世間の視線、また法律の世界における扱いであって、この事件の当事者には人知れない事情がありました。

帰宅したくない家内更紗(さらさ、広瀬すず)と、彼女を自分の部屋に招き、留め置いた佐伯文(ふみ、松坂桃李)。いっしょの暮らしが二か月経ったところで文は逮捕され、更紗は保護されました。

それから十五年。外食チエーン店でアルバイトをしている更紗は会社員の中瀬亮(横浜流星)と結婚を前提に同棲しています。いっぽう、文はひとりで小さな喫茶店を経営していて、谷あゆみ(多部未華子)という恋仲の女性がいます。ある晩、職場の飲み会のあと、更紗と同僚の安西佳菜子(趣里)がたまたま入ったお店が文の小さな喫茶店でした。

亮は更紗の事件を知っていて、彼女の変化に気づいた彼はまもなくその原因を探り出しました。ネット上では過去の出来事と二人の現在が話題となり、マスコミも醜聞として報じたために、文の過去はあゆみの知るところとなります。こうして「誘拐事件の犯人と被害者」の再会は更紗と亮、文とあゆみの関係に激震をもたらしました。

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スクリーンでは現在と十五年前とが往き来し、ときに交叉します。ただし逮捕され、保護されてから偶然の出会いまで何があったのかはあまり語られません。おそらく李相日監督はそのことで観る人の想像力を刺激したかったのではないでしょうか。

素晴らしい語り口とそれにふさわしい美しい映像。主役、準主役の役者陣からは新たな領域に向かう意欲と熱意を感じました。また十歳の更紗を演じた白鳥玉季の演技は特筆しておかなければならないでしょう。二時間三十分の長尺ながらわたしは一瞬の心のゆるみも覚えませんでした。

十五年が経過し生活も環境もずいぶん変わったけれど更紗と文の内面はさほど変わったようには見えません。ネットもマスコミも人びとの興味関心を煽り、喫茶店の入り口には「ロリコン」の殴り書きがある、そんな激しい事件なのに、更紗と文の心に通奏低音として流れているのは激しさとは無縁の静かで穏やかで、できればともに生き合いたいという思いです。「できれば」というのには文の人生を台無しにしてしまったという更紗の罪の意識と、更紗がしあわせになるには自分と居てはならないという文の願いとが深く関わっています。

事件はいまに呼び起こされ、現在の二人の姿がSNSに、週刊誌にスキャンダル満載であぶり出されます。更紗と文に社会の視線をはね返す力はなく、隠れもできません。

観ているうちにわたしは文に、丸谷才一『笹まくら』で描かれた戦時中の徴兵忌避者という補助線を引いてみました。彼は終戦というゴールに向かって逃亡を図りました。ゴールの先には戦後社会という逃げ場が待っていたのです。ただしこの小説で忌避者というレッテルは戦後もついてまわりますから完全なるゴールではなかったのは言っておかなければなりません。

対して「ロリコンの誘拐犯」というレッテルを貼られた男にはゴールも来るべき社会という逃げ場もありません。逃げることさえままならない。逃げるというのは冒険という要素を含んでいます。逃げるためにはときに追手と対峙して戦わないといけないからです。しかし文には冒険や戦いという契機や動因はありません。

そうしたなか更紗が文にそっとつぶやきます、どこかへ流れてゆけばいい、と。逃亡とは異質な、現代社会で流れてゆくという心模様を思ったところで、微風に揺れる文の部屋のカーテンや月影、立ちつくすふたりのシルエットなどの映像にもこの成分がなにほどかあった気がしました。

(五月十七日 TOHOシネマズ上野)

日本の牡丹はロシアでは咲かない

昨年英語の辞書を紙から電子に変えたところ、なかに語学学習用のテキストとして「OXFORD BOOKWORMS」という読物群が収められていた。難易度で六段階に分けられており、いまようやくレベル3まで来た。 

内容はアンネ・フランクガンジージョン・F・ケネディネルソン・マンデラスティーブン・ホーキングといった人たちの伝記、ヘンリー八世とその妻たち、四十七士などの歴史読物、もちろん有名な文学作品もリライトして収録されている。これまで読んだ文学作品は「オペラ座の怪人」「オズの魔法使い」「ドラキュラ」「ロビンソン・クルーソー」「オー・ヘンリー短篇集」「野性の呼び声」「クリスマス キャロル」、このあと「オセロ」「ベニスの商人」「秘密の花園」「ボートの三人男」「宝島」などが並んでいてちょっとした縮約版世界文学全集だ。そして最後はウィルキー・コリンズ「白衣の女」が控えている。これまでに二度夢中で読んだ大長篇小説で、なんとかここまで順調に進めるよう願っている。

既読の文学作品の多くは邦訳や映画などで知識はあったがジャック・ロンドン「野性の呼び声」は名前のみ知る作品で、語学学習だけでは物足らず、深町眞理子訳『野性の呼び声』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。ほんとは原書に当たりたいがまだまだ力不足、ファイトだ!

物語は、裁判官の家でだいじに飼われていた大型犬バックが、その家の使用人の金欲しさから売り飛ばされ、ゴールドラッシュに沸くカナダ・アラスカ国境地帯で橇犬となる。大雪原を駆け抜け、力が支配する世界で闘ううち、その血に眠っていた野生の荒々しさがめざめはじめる、といったもので、わたしは犬を主人公とした冒険小説として読んだ。

巻末の信岡朝子氏の解説によると「『野性の呼び声』という作品は、批評家たちの間では動物の物語である以上に、人間に関する寓話であり、「文明批判」の物語であるという解釈が一般的である」「たとえばこの物語は、過酷な環境に耐えて主人公が自立を目指すというプロットから、しばしばロンドンの境涯とあわせて解釈される」「あるいは、類まれな「スーパー・ドッグ」として成長するバックの姿に、ロンドンの、ニーチェの「超人思想」への傾倒を読み取る解釈がある一方、一九0四年に書かれた小説『海の狼』は、ロンドンがその超人思想を疑うために書いたといわれている」とあり一筋縄ではいかない作品のようだ。若いときはこうした議論は気になっていただろう。しかし、いまのわたしには専門家のブンガク談義はどうでもよろしい。『野性の呼び声』はあくまでも優れた冒険小説である。

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和歌。散歩のとちゅう、本郷通りに面した向丘の浄心寺でお花見をした、と日記に書いたのが三月二十八日。きょう四月八日、同寺の前を通るとはや葉桜の準備状態にあった。

「さく花のちれる木末に夕風のそよぐも春の名残ならまし」大田南畝

「花径暗水 ちる花の音きくほどのうき枕夢路もかほる春のうたたね」藤原惺窩。

俳句。見当違いの付け合わせの最たるものとして「木に縁りて魚を求む」(孟子)がある。類義として「天に橋をかける」「山に蛤を求む」「水を煎りて氷を作る」「水中に火を求む」などがある。でもこんなところから俳句の妙も生まれる気もする。

「くづ砂糖水草清し江戸だより」

隅田川はるばる来ぬれ瓜の皮」

キャッチコピー。「自然に帰れ」はルソーの思想の核心にある言葉とされるが彼の著作のどこにも見出されないそうだ。おなじく「天災は忘れた頃にやって来る」も寺田寅彦の著作にはない。おそらくキャッチコピーに長けた人がいて、それぞれの本質を示す言葉として提示したのだろう。昔からコピーライター向きの人はいたのだ。

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四月九日。10kmヴァーチャルマラソンを走った。

フィニッシュタイム56:31。総合ランキング320/799。男女別ランキング294/685。

嘆きや不満はあってもこれで一喜一憂しているあいだはしあわせとしておかなければいけないな。

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毎月十二日はパンの日だと知った。なかでもきょう四月十二日はパンの記念日とされている。一九八三年パン食普及協議会によって定められたこの記念日は、一八四二年四月十二日に伊豆国韮山代官にして、洋学の導入に貢献し海防の整備に実績を挙げた江川太郎左衛門が日本で初めてパンを焼いたことに由来している。軍用携帯食糧で「兵糧パン」と呼んだパンである。

いくつかの歳時記にあたってみたがパンの日は立項されていない。ただ『季語集』(岩波新書)の著者、坪内稔典氏が個人的に、あんパンを春の季語としている。ことし二月から『新版 角川俳句大歳時記』が刊行されている。未見だが、はたしてパンの日、あんパンは歳時記入りしているだろうか。

「あんパンに空洞窓に楠(くす)の花」坪内稔典

もっともパンは季節のものではないから季語にはなりにくい。槌田満文編『明治東京歳時記』には四季につながりのない物売りとして、新聞の号外売り、納豆売り、パン売りなどが例示されている。

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ことしの東大の入学式はパンの日に当たっていて、映画監督の河瀬直美さんが祝辞で、ロシアによるウクライナ軍事侵攻に言及し、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかりあっているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか」と述べた。

ロシアとウクライナの戦争に双方の信ずる正義の対立という要素があるのは否定しないけれど、どうやらこの方からすると多くの国民は「一方的な側からの意見に左右されて本質を見誤っていないか」ということになるらしい。問題は互いが主張する正義の対立を武力で解決しようとするロシアの行動だと思うんだけど。

要はロシアはすべて邪悪、ウクライナは善などと多くの人々は思っていない、わたしも含め。問題は議論すべきissueを軍事で片付けてしまおうとする思考と行動なのである。ロシアがウクライナとの関係から生ずる諸問題を検討したいなら話合いをすればよい。しかしこの国は侵略戦争に踏み切ったのだ。

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ついこのあいだまで知らなかったウクライナの国旗🇺🇦だが、ふと見るとおなじ色合いのものがわが家にもありました。

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犠牲者の数とか、ロシアが攻勢を強めているといった報道は重要ではあるが、ときに気の毒で見ていられなくなる。先日はニュースを打ち切り、犠牲者が少なくなるよう願いYouTubeウクライナ国歌と映画「ひまわり」の主題歌を聴いた。

憂慮する国が追い詰められているのを見るのはつらい。米国もNATOウクライナに戦争を請け負わせているだけじゃないか、無責任ではないかと怒りをこちらに向けるときもある。

ウクライナに軍事支援するにしても、いっぽうでこの戦争の着地点を探ることはそれ以上に重要だが、支援する国々はどのような意向なのだろう。

ロシアがめざす着地点はわかっているが、ウクライナを支援する国々、とりわけ米国とEUがめざしている着地の構想がよくわからない。ウクライナがロシアを追い返せるとでも考えているのだろうか。いやなことだけれどそれが難しいとなれば支援している国々はどうするのだろう。

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四月十四日、ロシア国防省黒海艦隊の旗艦である巡洋艦モスクワが重大な損傷を被ったと発表した。原因についてはロシアとウクライナで主張は異なるが、いずれにせよウクライナの被害が少しでも和らげられるよう願っている。そんなことを思いながら百均のお店をのぞくと赤飯があり、なぜか急に食べたくなった。家でレンチンして味わったところ百円の数十倍はする美味しさだった。

中里恒子「牡丹の客」によると、牡丹の花は老木になるほど花にこくが出て、言い知れぬ気力を漂わすが、風土が気に入らなければすぐ枯れるそうだ。どうやら好き嫌い、相性は人間だけじゃなく花木にもあって、中国の牡丹はともかく、日本の牡丹をいまのロシアに移し植えてもすぐに枯れてしまうだろう。

ほんとうはこんな偏狭な心は戒められるべきだ。日本、ロシア、中国どこであれ人の心を慰め、癒してくれるのが自然のやさしさである。そうとはわかっていても心の傾きを修正するのは難しい。

「花ながら植ゑかへらるる牡丹かな」越人

牡丹の原産地は中国で、日本には平安時代初期に薬用植物として渡来した。一般に鑑賞されるようになったのは江戸時代からだから花の王と称せられるわりに鑑賞されるようになったのは新しい。

「はなやかにしづかなるものは牡丹かな」暁台

「美服して牡丹に媚びる心あり」子規

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週刊誌にあった某社のジンが気になり、さっそく買ってきて晩酌の食卓に置いた。何年かぶりのジンで、そのときはライムで割って飲んだのを思い出したがライムは買いおきがなくて今回はロックで飲んだ。久しぶりのジンはきつかったが水で割るのは好きじゃない。

晩酌は焼酎かウィスキーを飲むが、どちらもロックがほどよい。焼酎はその日の料理と気分で芋、麦、黒糖のいずれかを選ぶ。ウイスキーはスコッチもバーボンも好きだがハイボールは多量に飲まないようにしている。ビールも同様で、若いときビールの二日酔いで酷い目にあったことがあり、体内に水分が増えるのを警戒しなくてはならない。

モンテーニュが『エセー』に引用しているセネカの書簡文に「アッタロス(セネカの師でストア学派)はなくした友の思い出は、古くなったワインの苦味のように心地よい、《ファレルの古酒をついでいる少年よ、いちばん苦いやつを注いでくれ》。あまずっぱいリンゴみたいにこころよい」とある。

コロナ禍で口福の楽しみの比重が高まり、お酒が好きというより恋しくなった。老いらくの恋である。晩酌は定量だから量が増えたわけではないが精神的にはアルコール依存症に陥った。けれどアッタロスのいう古くなったワインの苦味の心地よさは未経験だし、ファレルの古酒は見たことも聞いたこともない。まだまだ開拓の余地は大きい。

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Amazon Prime Videoにある「Cold Case」のシーズン1を見た。フィラデルフィアを舞台に、未解決の殺人事件(通称「コールドケース」)を女性刑事リリー・ラッシュを中心とする殺人課のメンバー、未解決事件専従捜査班が解決していく物語で、エピソードは二十三もあるが四十五分の一話完結なので空き時間に気楽に見られる。

米国での放送は二00三年から二0一0年にかけて、七シーズンにわたるエピソードの総計は百五十六にのぼる。いくら閑のある隠居といってもすべておつきあいすると大変だぞ。さてどうするか。

それはともかくこのTVドラマに刺激されて韓流ドラマ「シグナル」を視聴し、 ロイ・ヴィカーズ『迷宮課事件簿』を読みはじめた。ちなみに「Cold Case」には「 迷宮事件簿」と副題が付いている。

ここへきてわがエンターテイメントの世界は未解決事件の再捜査作品が大流行、「シグナル」には日本版リメイク『シグナル 長期未解決事件捜査班』と映画編もあり、しばらくは迷宮課に浸ることになりそうだ。

日本では二0一0年に改正刑事訴訟法が施行され、強盗殺人、殺人などは二十五年だった時効を廃止した。韓国でも最高刑が死刑に当たる罪の公訴時効期間が二00五年に十五年から二十五年に延長され、二0一0年には公訴時効そのものが廃止された。時効の廃止があり日韓の「シグナル」は成り立つわけだ。

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JSPORTSでヴァーシティーマッチと呼ばれるオクスフォード対ケンブリッジラグビー対抗戦の放送があった。さいしょは女子、次に男子。体育会に女子ラグビーチームがあればの話だが、早慶戦早明戦でも取り入れたら女子ラグビーの普及が進むだろう。わたしが学生のころは選手の交代が認められていなかったから、本戦に先立ち二軍戦をしていた。

在職中はよくラグビー場に足を運んだが年金生活となってからはお誘いがあればおつきあいする程度で、ほとんどはテレビで観戦している。ただ、世界の強豪やジャパンのテストマッチがJSPORTSからWOWOWへ移ったのが残念。ま、そこはよくしたもので後輩の友人がときどき録画したDVDを貸してくれるのが有難い。

わたしは欲の強いほうではない。なんとか生活できる資金があれば、あとは時間を大切にしたい。金がなければないで、それに合わせてつましく生きる。まなじりを決して金儲けに走ったりするのはいやだ。家族はなんでもパクパク食べることと体重がほぼ一定で服が長く着られること(だけ)が取り柄だという。長距離走が洋服代の節約に一役買っている。

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津野海太郎『百歳までの読書術』(本の雑誌社)を読んだ。著者は一九三八年生まれだから一九五0年生まれのわたしとはちょうどひとまわり違う。

年齢はともかく、元大学教授で著名な文筆家だから、本と家計をめぐる様相はだいぶん異なるだろうと考えながら読んでいると、そうでもなく、年金生活者として共通する要素は多い。

「いかに収入が減っても読みたい本は読みたいし、けっきょくは読むのである。そのために収入激減老人がこらす工夫のあれこれ」となるとまずは図書館を使いこなさなければならない。図書館の本を読むようになって津野氏はメモをとりながら読むようになったという。わたしはメモを兼ねたこのブログである。

近年の津野氏は森銑三柴田宵曲の共著『書物』の現代版を書き継いでいる印象がある。『書物』に「書物の愛好家も、活字本から木版本、写本へ……」とあるが、いまはよくもわるくも活字本とデジタル本で、おのずと『書物』の現代版が求められる。

おなじく津野氏の『読書と日本人』(岩波新書)に一九七0年代後半から同世紀末あたりまでの日本の読書界の俯瞰図が示され、三つに分類されている。

「昭和軽薄体」系 (嵐山光三郎椎名誠赤瀬川原平林真理子糸井重里

〈かたい本〉を代表する「ニューアカ・ブーム」系( 山口昌男浅田彰栗本慎一郎中沢新一上野千鶴子四方田犬彦

〈やわらかい本〉よりの「博識」系( 丸谷才一開高健井上ひさし大江健三郎司馬遼太郎

こうして眺めてみるとわたしがいちばん親しんだのは〈やわらかい本〉よりの「博識」系のなかの丸谷才一だった。どうしてこの人だったかは、わたしにおける人間の研究で、とりあえずは多読、博識の人が好きで、そのためか「ニューアカ・ブーム」系の山口昌男は気になっていて、いずれ読みたいと思っている。何という遅々たるあゆみ。

 

 

 

 

 

 

今戸橋

浅草の山谷堀公園を散歩した。ここには山谷堀に架かっていた今戸橋の欄干が遺されてある。橋は昭和の記念碑、というのも竣工したのが一九二六年 (大正十五年) 、山谷堀が埋め立てられたために役割を終えたのが一九八七年(昭和六十二年)だったからまさしく昭和を生きた橋である。

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下の写真の道路はなんの変哲もないものだが、かつての山谷堀を埋め立てた道で、水が流れていた時代はここを吉原へと猪牙舟が通った。

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一九一一年(明治四十四年)に発表された永井荷風『すみだ川』では俳諧師の松風庵蘿月が「向河岸へつくと、急に思出して近所の菓子屋を探して土産を買ひ、今戸橋を渡つて真直ぐな道をば自分ばかりは足元の確なつもりで、実は大分ふらふらしながら歩いて行つた」と今戸橋を渡る。

明治の東京に残る江戸情緒を描いた『すみだ川』、俳諧師が渡った橋は山谷堀公園にあるものではなく井上安治の「今戸橋雪」にみえている木の橋である。そこは荷風によると「名物の今戸焼を売る店の其処此処に見られる外には、何処も同じような場末の横町の、低くつゞいた人家の軒下には話しながら涼んで居る人の浴衣の白さが、薄暗い軒燈の光に際立つばかり。あたりは一体にひつそりして何処かで犬の吠える声と赤子のなく声が聞える」町だった。

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人力車のまだないころ、吉原へは四手駕籠か山谷堀を猪牙舟で向かった。駕籠かきのホイホイという掛け声や船頭の艪が軋る音が聞こえたという。今戸橋の下は「今戸橋上より下を人通る」の賑いだったが、悪所行きの船だったから「親不孝舟」といったと伝えられている。『すみだ川』にある今戸橋は遠い昔となり、次に架けられた橋も廃されて三十余年が過ぎた。

東海林太郎のヒット曲に「すみだ川」があり、 作詞佐藤惣之助、作曲山田栄一田中絹代が台詞を担当していて、歌詞には今戸の地名もよまれている。

リリースされたのは一九三七年 (昭和十二年)、荷風の小説を素材にしたいわゆる文芸歌謡のはじめは「銀杏返しに黒繻子かけて泣いて別れたすみだ川」と歌われる。

ネットにある「二木紘三のうた物語」によると銀杏返しの髪型に、黒繻子すなわち黒いサテンをかけるのは大正から昭和初めごろの流行だったから、小説と歌謡曲とは時代的にズレがあることになる。

荷風がオペラ館の楽屋で踊子から『すみだ川』を流行歌にしたレコードが出ていると聞いたのは一九四0年の暮れだった。

「踊子の一人余の小説すみだ川の一節を取りて流行唄にせしものレコード屋に在りといふ。国際劇場前のレコード屋なりと云ふに程近きければ幕間の休みを見て共に往きて之を購ふ。表面はすみだ川裏面は森先生の高瀬舟なり。何人の為せしものなるや。其悪戯驚くべきなり。」(『断腸亭日乗』昭和十五年十二月二十七日)

 

 

 

 

 

 

叙 勲

令和四年春の叙勲が四月二十九日に発令され、なかに旭日大綬章を受章した田中直紀田中真紀子ご夫妻の名前が見えていた。政治家の受章は政治利用を防止する観点からだろう、以後選挙に立候補しないことを条件としているから受章は政界引退の記念でもある。

またこれに関連して、亡くなった戦後の首相経験者で叙勲を受けていないのは田中角栄宮澤喜一のおふたりと知った。角栄氏は亡くなったときロッキード事件最高裁に上告中で、刑事被告人だった。宮澤氏は生前、本人の意向で辞退していた。

トルストイは『アンナ・カレーニナ』に「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と書いた。それになぞらえていえば、勲位勲章を授けられ、それを受ける方の気持はどれも似たようなものだが、辞退した方々の気持は一律ではなく、それぞれであるだろう。そのひとり宮澤元総理はどうして受章を辞退されたのかは気になるところである。

ご存命の元総理では細川護熙氏が辞退の意向を表明していて『内訟録 細川護煕総理大臣日記』に「叙位叙勲勲章葬式戒名など晴れがましく且つ煩わしきものは、わが存命中、没後たるを問わず、すべて拒否、辞退する旨かねて佳代子(夫人)に申し付けおりしところなり」とある。

こうして勲位勲章を授けられた方々を寿ぎつつ、他方で辞退した方々の思いに関心が向かう。一律で似たような祝賀よりも辞退をめぐるそれぞれのドラマに興味が湧く。

古くは「余ハ石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス 宮内省陸軍皆縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス」「宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ」と遺言した森鴎外がいる。
同時代では杉村春子大江健三郎文化勲章を辞退し、いずれもその理由を述べている。ほかにも「人の値打ちを役所に決めてもらうのはたまらん」(日本興業銀行頭取や経済同友会代表幹事を務めた中山素平)、「読者とお前と子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のものは要らない」(作家城山三郎)、「私は勲章をもらうほど偉くありません」(アサヒビール中興の祖、樋口広太郎)といった辞退の弁がある。(広島市廣文館という本屋さんのホームページを参考にさせていただきました)

辞退を公言した方がいれば、お墓まで持って行った人もいる。作家の佐多稲子は叙勲内示の前段階で辞退を伝え、生涯ひとことも語らなかったと歿後関係者が伝えている。

暗い見通し、ふたつ

一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市東方沖を震源とするマグニチュード8.1の昭和三陸地震とそれに伴った津波を機に、寺田寅彦は「津波と人間」というエッセイを書いた。そのなかで関東大震災にも触れ「二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼き払われたのである」として、歴史の教訓を活かせなかった反省を求めた。

いっぽうで寅彦は、時代が下るとともに地震津波の被害は大きくなりやすいことも指摘している。すなわち、安政の大地震と次に起こるであろう安政の大地震では、次に起こったときの被害は前のときとは比較にならないほど大きく、「安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸であったが、次に起る『安政地震』には事情が違うということを忘れてはならない」というのがその理由だった。

そして次に起こった安政地震すなわち関東大震災安政年間にはなかった電信や鉄道や電力網などが被害を大きくした。利便性の代償がもたらす危うさである。

有機的結合が進化し、内部が密接化する。このことは「有機系では一部の損傷損害が系全体に有害な影響を及ぼす可能性を高め、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となる」と寺田寅彦はいう。ここにある「有機系」を国際化した経済、もしくは相互連鎖関係が構築された経済と読み換えると、おなじことがロシアによるウクライナ侵略にもいえる。

『Global Issue』(Oxford University Press )にこんな事例があった。オランダのある青年がメイド・イン・バングラデシュのTシャツを買った。もとの綿花は米国アーカンサス州で栽培され、メキシコで木綿となり、バングラデシュに送られ、製品の販売は中国の商社が担当した。ちなみにメキシコの工場の機械は日本製とドイツ製だった。これと同様の事情がロシアにもウクライナにもある。

こうして国際的な分業は進み、相互連鎖関係は深まる。けれどいったん有事となると安政の大地震と次の大地震との関係とおなじことが起こるのは石油、天然ガス、食糧をめぐる世界の現状がよく示していて、「有機系では一部の損傷損害が系全体に有害な影響を及ぼす可能性を高め」るのである。

ロシアによるウクライナ侵略はグローバリゼーションのなかの有事であり、被害の連鎖もそれだけ大きい。しかしこの有事は地震津波と違い人間が引き起こすのがやりきれない。

そしてこの延長線上には宇宙空間への飛び火また戦闘がある。被害は大きくなるばかりである。

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アメリカ合衆国憲法の父」といわれるマディソンは、人間が人間のうえに立ち統治を行なう以上、権力濫用の危険はなくならず、抑制せねばならないと述べ、「野望には野望をもって対抗させなければならない」として権力を分散させ、互いの抑制と均衡を説いた。(阿川尚之憲法で読むアメリカ全史』ちくま学芸文庫

マディソンの対極にプーチンがいて、ロシアの首相、大統領として権力を掌握して以来あるいはそれ以前から権力の濫用と野望を追求しまくってきた。自由と民主主義から見れば、不都合と悪事を一貫してひたむきに、まじめに、真剣に考え、実現してきた。内政は別にしても、チェチェン独立派武装組織を弾圧し、ジョージアに戦争を仕掛け、クリミア半島を併合し、そしていまのウクライナ侵略がある。

西側の首脳や国際機関に「野望には野望をもって対抗させなければならない」としてプーチンの権力の濫用と野望、不都合と悪事を抑えることを考えていた政治家はいたとは思うが、そのひたむきさ、まじめさ、真剣さの度合は彼の比ではなく、これでは勝てない。

ふたつの悲観がはずれるように願う。

 

 

「親愛なる同志たちへ」

一九六二年六月にソ連の地方都市、ウクライナにほど近いノボチェルカッスクで実際に起こった虐殺事件と、その渦中にいた母娘をめぐるドラマです。事件はソ連崩壊後の一九九二年まで三十年間にわたり隠蔽されていました。

いくら社会主義の優位が喧伝されても、物価高騰と賃金カットに直面する現実がある。暮らしのままならないノボチェルカッスクの労働者はストライキを打ち、五千人を超える人々がデモに参加します。この地方を管轄する共産党の書記は怒り、収拾を図ろうとしますが、事態は党中央の管掌するところとなり、本格的に軍が乗り出しKGBが関与します。

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母リューダはソ連の繁栄を素直に信じている下級の共産党員、この素朴で硬直したコミュニストは市政委員を務めています。当時の党第一書記はフルシチョフでリューダの勤める役所にもフルシチョフの肖像が掲げられています。ただし彼女は一途にスターリンを敬愛しています。

そこに起こった事件。リューダは会議の席で、事件をあいまいにすることなく、首謀者については逮捕も含めしっかり対応しようと口にします。真面目ばかりで柔軟性を欠いた意見に批判はありませんでしたが、上級幹部を飛び越えての意見表明は下級党員としてふさわしからぬ言動として一部に顰蹙を買ったようです。

ふさわしからぬといえば、このお堅い母の十八歳になる娘スヴェッカがデモに加わっていたのです。しかも所在がわからない、そのうえ非武装の市民のデモ隊に銃弾が発せられたのです。母は娘の安否、居所を確かめるため駆けずりまわりますが官僚主義の壁に阻まれて一切不明のまま。個人的な不安に、政治への不満が忍び寄ります。信念の揺らぎの萌芽といってよいでしょう。

真面目でお堅い共産党員が娘を思ってほとんど半狂乱となるなか、KGBのメンバーであるヴィクトルが娘の捜索に力を貸してくれます。そして彼も事件を通じてソ連という国家の実態を目撃することになります。不満をいえば、KGBの職員が一介の党員であるリューダに協力するいきさつがよく理解できなかった。

それはともかくモノクロ、スタンダードのスクリーンには当時のソ連の空気が漂っているようで目を見張りました。社会主義一党独裁への礼讃。ことあれば軍や諜報機関による即座の発砲という契機を秘めた冷たく静かな不気味。沈潜する不満とそれを監視する視線。これらを掛け合わせるとこの空気になると想像しました。

余談ですがウクライナの情勢を機にいま話題となっている「ひまわり」でジョバンナ(ソフィア・ローレン)が、第二次大戦に出征したまま生死不明となっている夫アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)を捜すため意を決してソ連へ向かう場面で「スターリンも死んだことだし」と言っていました。ノボチェルカッスクの事件の何年か前のことだったと思います。

監督はことし八十四歳になるアンドレイ・コンチャロフスキー。日本でよく知られていることがらとしては「僕の村は戦場だった」の共同脚本家のひとり、黒澤明の脚本を元にした「暴走機関車」の製作があります。

(四月十九日 ヒューマントラストシネマ有楽町)