わたしの健康ノート (一)あたりまえについて

在職中、発熱があったのは数年に一度で、それも多くは翌朝には引いていた。ところが退職して二年ほどのあいだに何回かかぜと発熱の症状があったから驚いた。いちばんひどかったのは二0一二年の夏にこれまで経験したことのない極度の疲労を覚え、翌日には熱が出て復調するまでに三週間かかった。軽度の熱中症とジョギングの疲労とが引き金となったのかと疑ったがほんとうのところはわからない。咳が止まらず、一時は喘息が疑われた。

翌年のはじめにもかぜを引いた。のどが腫れ、熱もあったので、病院へ行き、調剤薬局でもらった薬を服用し、翌朝は三十六度台なかばまで下がったので、午後に映画館へ行き、帰りにいつもの飲み屋さんで一杯やって就寝に及んだところ翌日には熱がぶり返し、しばし床で安静にしなければならなかった。

ここまで来ると、いくら感度の鈍いわたしでもジョギングの負担を減らさないといけないと気がついた。土日を中心に走っていたのが、退職してからほぼ毎日走るようになった、その負荷が重しとなったらしい。

そこで走る距離を減らしたところ在職中の体調に戻った。そんなこともわからなかったのかと家族から叱られたが、行き着くところまで行ってようやくわかる場合だってある。

ミック・ヘロン『死んだライオン』というスパイ小説で窓際に追いやられたロートル工作員が《若さに未練があるとすれば、井戸にバケツを落としたようにストンと眠りに落ち、朝、目を覚まし、バケツを引っぱりあげたときには、そこに水がふたたび満ちていることだ》としみじみ語っていた。年をとるとはこの若い日のあたりまえがだんだんと減退していくということなのだ。若いときは長い距離を走ってもなんともないあたりまえが、いまはあたりまえではない。

野村胡堂を読む

電子本『野村胡堂作品集 214作品』( 九十九円!)に収められている『胡堂百話』を読んだ。銭形平次の作者と知るばかりでご縁のない方だったが、この素晴らしい随筆集で一気にファンとなった。いずれ銭形平次もいくつか読んでみよう。なお本書は昭和三十四年の刊行。一篇千二百字ほど。話題は生い立ちや交友関係、生活雑事、銭形平次、それにクラシックレコードの蒐集など。

なかで「内村鑑三全集と今村均」は一読忘れ難い。戦争中、胡堂の家へ参謀本部の将校が訪れ、在ラバウル今村均司令官が、陣中で内村鑑三全集を読みたいから送れといって来たが、岩波書店、また本郷、神田の本屋街にもなく、とまどっていると金子少将が、野村胡堂氏が持っているはずだとおっしゃったので訪問させていただいた、無理を申し上げるようだがまげてお譲り願えないだろうかとの話だった。

胡堂はお安い御用と返事をしたかったがその全集は昭和九年東大在学中に歿した一人息子一彦が死の間際まで愛読していた書き入れの残る遺品だ。けっきょく銭形平次の作者は妻ハナと相談し、参謀本部の求めに応じた。そして全集を携えた飛行機がラバウルへと飛んだ。戦後、巣鴨拘置所に収監されていた今村均から胡堂に手紙が届く。あとはご一読あれ。

明治二十四年一月九日第一高等中学校(東大教養学部の前身)講堂で挙行された教育勅語奉読式において、内村は教育勅語の前に進み出て、明治天皇の親筆の署名に対して、最敬礼しなかったとして不敬を問われ教員を辞職した。その人の全集を軍営で読みたいと部下に求めた陸軍司令官の話は異彩を放つというより異様に近い。その今村について胡堂は「ラバウル十万の将兵を無謀な玉砕に追いやることなく、地下に潜って百年持久の計を樹て、貴重な生命を救い得たのは、戦陣の中に、内村鑑三全集を読みたいと考えたその魂であったと思う。玉砕の名は美しいが、忍びがたきを忍んで、十万の生命を助けたのと、今から考えて、いずれが本当の勇気であったか」と述べている。

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『胡堂百話』に収める「内村鑑三全集と今村均」を読んで急遽読書の予定を変更して、角田房子『責任 ラバウルの将軍今村均』(ちくま文庫)を胡堂と併読することとした。とりあえず『責任』のはじめ五十頁を読み、ひと休みして鶴田浩二の「ラバウル小唄」と数曲の軍歌を聴いた。ふるさと高知ではお正月に大学選抜相撲があり、幼稚園、小学校のころ何度か観戦した。当時「ラバウル小唄」を応援歌にした大学(記憶では近畿大学)があったのが思い出された。

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いまもあると思うがJR高知駅の裏手に石川啄木(本名は一;はじめ)の父親終焉の地を示す石碑が建っていて、さいしょ中学生か高校生のときに見て、啄木は岩手の人なのに、どうしてなんだろうといささか不思議に思ったものだった。

啄木の父石川一禎(いってい)は曹洞宗の僧侶だったが一九0四年宗費滞納で罷免され、晩年は啄木の姉トラ夫妻の許に身を寄せた。なお母カツは一九一二年に死去している。トラの夫山本千三郎が鉄道官吏でその転勤に伴い一禎も各地を転々とした。一九二五年山本千三郎が高知出張所長を命ぜられたため一禎も高知に来てともに晩年を過ごし、高知駅近くにあった所長官舎で一九二七年二月二十日に七十六歳の生涯を閉じた。啄木の父と土佐の高知というのは唐突の感があるけれど、石碑にはこうした事情があった。

石川啄木は県立盛岡中学で野村胡堂の一級下だった。胡堂の同級にのち海軍大将となる及川古志郎がいて彼が啄木を胡堂に紹介したことから交友がはじまった。胡堂は「啄木の父親は、内気のように見えて、不思議に気概のある顔おしており、母親は口数も少く、何時もひかえめにすわっていた」と書いている。

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Amazon Prime Videoで「忠臣蔵 天の巻・地の巻」(1938年)総集編を観た。監督はマキノ正博池田富保。日活の製作配給で、阪東妻三郎片岡千恵蔵嵐寛寿郎月形龍之介といったスターたちが当時の日活の勢いを誇示している。忠臣蔵は本格、変格、パロディなどバラエティに富むが、本編は本格オーソドックス版だ。

圧巻は九條関白の名代立花左近を名乗る大石内蔵助阪東妻三郎)が東海道筋の宿で本物の立花左近(片岡千恵蔵)と鉢合わせをするシーンで、本物の立花左近が大石に討ち入りの決意を見て、詐称を詫びて退散する。胸が熱くなるほどの名場面である。

なおクレジットでのトップは大石の阪妻ではなく、片岡千恵蔵浅野内匠頭と立花左近の二役)で、スターたちの共演にあれこれ気遣いがあるのだろうと旧TwitterのXに投稿したところ、ある方が「日活でのキャリアは千恵蔵の方が長いですからね。アラカンやバンツマは新興キネマ配給で賄っていた自身のプロダクションがありましたので、そこを廃止して日活に新参入社したわけです」と教えてくれた。映画史に詳しい方に感謝。

大石内蔵助東下りは「赤穂浪士 天の巻・地の巻」(松田定次監督1956年東映)でもベストシーンとされていて、市川右太衛門大石内蔵助が立花左近の名前で泊まる宿に本物の立花左近、片岡千恵蔵が現れる。このときも千恵蔵、右太衛門両御大の演技に唸り、さすが名優といわれるだけのことはあると納得だった。

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松竹がYouTubeに期間限定で「蒲田行進曲」を提供してくれていてさっそく視聴した。U-NEXTその他も配信しているけれど、せっかく映画会社がアップしてくれていてありがたくYouTubeを選んだ。三度目の同作品。はじめは一九八二年の公開時、二度目の記憶はないが十年以上前だ。

一九八0年の初演の舞台は加藤健一の銀ちゃん、柄本明のヤス、根岸季衣の小夏のトリオだが わたしは映画でしか観ていない。そのころわたしの舞台への関心はオンシアター自由劇場の「上海バンスキング」しかなく、京都、大阪、神戸と追っかけしていた。

ちょっと視野を広げると「蒲田行進曲」の舞台があったのにと後悔してもいまとなっては詮ないことだ。

蒲田行進曲」「上海バンスキング」ともに松竹が深作欣二監督で映画化したが、残念ながら「上海」は舞台とは比べものにならない出来だった。 

いっぽう東映YouTubeにこちらも期間限定で石井輝男監督、鶴田浩二主演「昭和侠客伝」を提供してくれている。昭和初期の浅草を舞台とする任侠作品。なかで鶴田が一年ほど伊勢へ旅を打ち、梅宮辰夫と路上でテキ屋をする。その隣に芦屋雁之助がいて啖呵売をするシーンが絶品!ここだけでもお値打ちだ。

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忠臣蔵 天の巻・地の巻」(1938年)総集編に刺激され山本博文『これが本当の「忠臣蔵赤穂浪士討ち入り事件の真相』(小学館)を読んだ。松之廊下、赤穂城明け渡し、討ち入り、四十六士切腹など各項目ごとに典拠となる史料とその現代語訳が付いている。

とくに感銘を受けたのは吉良邸に打ち入った武士たちの手紙で、よく残っていたものだ。「さむらいのつまたるものの、さやうなるはあしく候まま、よくよく心にて心をとりなをし候へく候、われらとても、そのかたこひしく候ても、これは人たるもののつとめにて候」 。神崎与五郎が妻おかつに宛てた手紙で以下は現代語訳。

「侍の妻が、嘆き悲しむというようなことはよくないので、よくよく気を取り直しなさい。私も、あなたが恋しいけれども、これは人たる者の義務なのだ」。

こういう配慮はうれしく、ありがたい。史料を引用したままにしてあるのは一般の読者にはわかりにくく、ひょっとして訳文に自信がないのではないかと思ったりする。

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五月十九日。大相撲五月場所中日、友人たちと国技館へ。写真にあるように役力士、看板力士の相次ぐ休場で、番数は減る、それ以上に番付崩壊といった状況である。ま、それでもビール飲みながらの観戦はハッピーでしたけど。

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打ち出しのあとは錦糸町のお蕎麦屋さんへ行ったところお休みで、さてどうしようかと歩いていると高安の店というのがあってここで腰を落ち着けた。力士の高安がオーナーなのか、ファンが経営しているお店なのかはわからないが、いずれにせよ美味しかったよ。サバサンドがうれしかったな。

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五月二十日。このところ大相撲と歌舞伎がセットになっていてきょうは歌舞伎座昼席。演目は「鴛鴦襖恋睦」(おしのふすまこいのむつごと)、「毛抜」(けぬき)、「極付幡随長兵衛」。

町奴の頭領で、侠客の元祖とされる幡随長兵衛は名前のみ知っていたがその最期の物語ははじめて知った。旗本水野十郎左衛門を敵役にしたのは御政道を批判する意味合いを含ませたのだろうか。

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昨日は蕎麦を逃したので今夕は神保町の蕎麦屋さんでしっかり。

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大相撲十一日目前頭十四枚目欧勝馬が琴勝峰を破り勝越しを決めた。欧勝馬について、解説の音羽山親方、元横綱鶴竜が、タッパはなかなかあるし、これからさらに期待されると語っていた。 出身はモンゴルなのにタッパが口をついて出るんです。鶴竜ファンの贔屓目かもしれないけれど、この語学力はなかなかのものだ。(なおこの場所、欧勝馬は十勝五敗で敢闘賞を獲得)

辞書には、タッパは俗語。身長が高いことを「たっぱがある」、低いことを「たっぱがない」と表現する、とある。「たっぱ」や「タッパ」漢字では「建端」「立端」の表記がある。

この日の官報に、欧勝馬の国籍が日本となったと告示された。国籍の変更には複雑な思いがあったと想像されるが、NHKのアナウンサーは能天気に、欧勝馬の記念すべき日の白星、いかがでしょうと解説の音羽山親方に問いかけると、元横綱は、目の前の一番を大切にしているからほかのことは考えてないんじゃないですか、といなしていた。

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山田風太郎が「日常不可解事」というエッセイに「相撲のある月は、毎日、新聞の取組表を切りとって、時間がくるとテレビの前に座りこむ。そして(中略)ウイスキーをかたむけつつ観戦する。実は相撲を観るようになったのも、それが私の晩酌の時間と一致するからだ」と書いている。このあと一睡して夜半に目がさめるとそのまま本を読み、朝がくるとこんどはコップ酒を飲む。ちっともうまがって飲んでるのではなくて、朝酒を飲むのは、そのあと眠るためで、一睡してひるごろ目がさめると新聞と郵便物をチェックするそうだ。わたしの酒量では無理だがうらやましい話ではある。

わたしも見習いたいが大相撲中継の午後四時から六時を晩酌とするには時間帯が早すぎる。二度寝ができるとよいが夜中に目がさめてそのまま朝を迎えるのがいやだ。わが酒量では二日酔いはまずないが、それよりも寝不足が心配だ。

そこでわたしは大相撲の結果を知って相撲をみるのは興醒めだから、中継がはじまるころからスマホは見ないように、ニュースはいっさいシャットアウトして、午後七時ころから晩酌をはじめる。パソコンにあるNHKプラスで時間差で相撲観戦ができるのがありがたい。

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野村胡堂マイブームで大川橋蔵主演の映画「銭形平次」を観た。お静に水野久美八五郎大辻司郎。調べた限りでは橋蔵主演の映画版銭形平次はこの一本だけ。特別出演格で大友柳太朗と舟木一夫が出ている。 一九六七年の公開だから、もう東映は義理と人情を秤にかけりゃ、の任侠映画時代に移行していた。そこで橋蔵はテレビを活躍の場とした。当時映画スターがテレビに移るのはなかなかの決断だった。 さいわいテレビ版『銭形平次』はヒットして、フジテレビ系列が一九六六年五月四日から一九八四年四月四日まで放送した。

なおスクリーンでの銭形平次の多くは長谷川一夫で、野村胡堂のお気に入りだった。

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五月十六日中尾彬が亡くなった。享年八十一。何年かまえに不忍池を歩いているご夫妻をお見かけしたことがある。自宅は千駄木だから帰宅の途次だっただろう。目にしたのはこのとき限りだった。ご冥福をお祈りします。 

週刊文春」六月六日号に追悼する記事があり、妻の池波志乃がインタビューに応じていた。中尾は二0一三年から本格的に終活をはじめていて広く知られていたそうだ。一九四二年生まれだから七十歳が後押ししたのかもじれない。

 証人立会いで遺言状を作成した。 千葉のアトリエ、沖縄の別荘を売却した。 愛読した推理小説 はトラック二台分もあり、それらをを断捨離した。

死因は心不全だった。四月まではCT検査をしても大丈夫ですねといわれていたのに、五月になると腰が痛くて車に乗り降りするのも辛くなっていた。池波に託された遺言は「延命治療はやるな」。「何カ月も痛みに抗ったり、みんなの世話になりながら生きたくないという思いがあった」と池波志乃は語っている。

好物は上野、精養軒のハヤシライスだった。お近くなのでそのうち行ってみよう。

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昼食のあと日本橋へ出かけ、スターバックスレイモンド・チャンドラーの遺作となった『プレイバック』(田口俊樹新訳、創元推理文庫)を一心不乱に読んだ。マーロウ探偵は「私が若かった頃は相手の服をゆっくり脱がすことができた」なんてつぶやいていた。第二次大戦後はベットのマナーもせっかちになったのかな。

なお人口に膾炙するあのやりとり。田口俊樹訳は《「こんなにタフな男性がどうしてこんなにやさしくもなれるの?」と彼女は言った。ほんとうに不思議そうに。「タフじゃなければここまで生きてはこられなかった。そもそもやさしくなれないようじゃ、私など息をしている値打ちもないよ」》。

チャンドラーのあとは松本幸四郎主演「鬼平犯科帳 血闘」で、予定調和の世界に身を任せ、たゆたった。鬼平が強盗団の首領、網切の甚五郎(北村有起哉)にいったせりふ「悪を知って外道に堕ちるか、悪を知って外道を憎むか、それがお前と俺の違いだ」が印象的だった。池波正太郎鬼平犯科帳』はあと五冊を残したままになっている。できるだけ早く再開しよう。

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この四月から隠居生活が十四年目にはいった。退職後の生活になかなかなじめない方がいる、なかには最期までなじめない人もいると聞いたりするが、わたしは暇や退屈は大歓迎なので難なく適応できた。

朝はまずジョギング、そうしてシャワーと朝食、そのあと映画かテレビドラマを見ると十一時近くなる。昼食後はパソコンで遊んだり、喫茶店か図書館で読書をしたり。夕刻が近くなると晩酌が待ち遠しい。一週間のうち一度か二度は映画館に行く。その日は喫茶店で昼食をとり、長時間にわたり読書にふける。映画のあとは行きつけの飲み屋さんか家飲みで過ごす。老年となってこのかた酒(わたしは焼酎、ウィスキー派)はますます旨く、しかしそうなると週のうちの飲まない二、三日が過ごしにくい。 酒のない日が淋しくて、精神的には依存症だ。

むかし調子にのって飲み過ぎ、ひどい二日酔をしたことはあるが、とことん酔っぱらいたいなんて思ったことも試みたこともない。酒で気を紛らそうなんて気持はさらさらない。その代わりできれば毎日適度に飲みたいがマラソンを走りたい思いがセーブしてくれている。

           

 

「青春18×2 君へと続く道

七十歳をすぎていまさら「青春18」でもあるまいとパスに決めていましたが映画投稿サイトのコメント欄を読むうちやはり気になって劇場へ足を運びました。結果は大正解、よくぞパスしなかった。あとでチェックすると監督、脚本はわたしが「ヤクザと家族」を機に注目した藤井道人氏で、「青春18」、ま、いいかといったおっちょおこちょいは禁物です。

雨が塵埃を洗い、やわらかな薄日が差して、涼風が流れる、そうした雨あがりのさわやかさを感じた作品でした。もちろんわたしの心のなかの塵埃も洗ってくれていて、そこに人生の哀歓が沁みました。

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二00六年夏、台南。高校三年生のジミー(シュー・グアンハン)がアルバイトをしているカラオケ店に、財布をなくしたので働かせて、と日本人バックパッカーのアミ(清原果耶)がやって来ます。十八歳のジミーと、日本贔屓のカラオケ店のオーナーに雇われた四歳上のアミがひと夏の恋を経験するなかアミは唐突に帰国してしまいます。

二0二四年冬。三十六歳のジミーは、設立に関わったベンチャー企業の役員を解任され、自身のこれまでを見つめ直そうと喪失感を胸に旅に出ます。最終の行き先は福島県。アミは帰国後一度だけジミーに葉書を出していて、彼はその葉書をよすがに旅立ったのでした。去来するのはデートで観た映画「Love Letter」、ミスチルの楽曲、十份でのランタン上げなどの思い出。

日本と台湾との合作による忘れがたい恋愛映画はまた素敵なロードムービーであり、行き着いた先では、おもいでの夏のアミの急な帰国の謎解きが待っていました。その軌跡をたどったあとにジミーは再生のスタートを切れるのか。メインジャンルもサブジャンルもない、こうした要素が組み合わされた物語にはささやかな贅沢が感じられ、アミの描いた数々の絵も画集があれば求めたいほどで眼福に恵まれました。そして二人の旅を支えた善意の人たちに思わず感謝したくなりました。

(六月四日 TOHOシネマズ日比谷)

「ゴッドファーザー」の舞台裏

映画「ゴッドファーザー」は一九七二年の公開ですから一昨年二0二二年は五十周年にあたっていました。おそらくこれに合わせて製作された「ジ・オファー / ゴッドファーザーに賭けた男」を先日U-NEXTの配信でみました。

ゴッドファーザー」製作をめぐるパラマウント映画社内とその周辺のてんやわんや、またマフィアのリアクションを描いたまことによくできたテレビドラマで、十エピソードなのですが途中から終了が惜しまれるほどで、気分が高揚したわたしはシチリアを旅行したとき買ったゴッドファーザーTシャツを着て画面に見入っていました。

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アルバート・S・ラディ(プロデューサー)、ロバート・エヴァンズ(同、ただしクレジットはなし)フランシス・フォード・コッポラ(監督)、マリオ・プーゾ(原作者)それにマーロン・ブランドアル・パチーノなどスタッフ、出演陣のそっくりさんがすべて実名で登場します。中心となるのは若手のプロデューサー、S・ラディ(本作と「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー作品賞)で、企画が知れるとともにマフィアの妨害やキャスティングの難航、親会社からの横やりなどトラブルが連発、これにS・ラディ が持ち前の情熱と度胸で乗り越え、映画製作にこぎつけます。

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もちろんわたしはこのドラマにおける事実と創作を指摘する力はありませんけれど、 クレジットされていないプロデューサー、ロバート・エヴァンズの著書『くたばれ!ハリウッド』(柴田京子訳、文春文庫)を参照すると一層おもしろさは増すと思います。

ドラマではマーロン・ブランドの出演はわりとすんなり決まりました。しかし本では、ニューヨークのパラマウント本社からエヴァンズへ「(マーロン)ブランドがドン(コルレオーネ)をやるのならイタリアでの公開はないと思ってくれ。客が笑いこけてやつをスクリーンから吹っ飛ばしちまう」「ブランドをタイトル・ロールにすえるなら出資しない。問答無用。決定事項」と指令が届きます。

アル・パチーノについてはドラマでも本でもコッポラとエヴァンズが鋭く対立していました。「だれにマイケル・コルレオーネを演じさせるか、それがわれわれふたりのあいだでの大論争の種となった。フランシスは無名の俳優ーアル・パチーノーをのぞみ、わたしはそれ以外の者を望んだ」「原作でプーゾが描いているマイケル像は、あらゆる面でパチーノと正反対だった」とエヴァンズは書いています。そのうえで「コルレオーネ一家のキャスティングに関する抗争は、コルレオーネ・ファミリーがスクリーンの上で闘う抗争よりも危険をはらんでいた」と振り返っています。

キャスティングの対立がマフィア内部の抗争より危険をはらんでいたのですから、これは「ジ・オファー」のおもしろさのひとつの証明といえるでしょう。

テレビドラマのあとはもう何回目になるのだろうあらためて「ゴッドファーザー」を鑑賞しました。三時間近い長尺なのに一寸の弛みも緩みもないのに毎度驚いてしまいます。

ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の暗殺未遂事件を機に米海兵隊に所属するマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は堅気から裏社会の業界へと人生のコースを切り換えます。そしてトップに上り詰めるにつれての彼の表情の変化は凄みを帯びていきます。NHKBS放送の録画はレストア版で画像音声すこぶるよし。

『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』

春日太一著『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』ははじめ二0一三年一月、PHP新書の一冊として、そして二0一七年九月、増補した「完全版」が二0一七年九月、文春文庫から刊行された。わたしが読んだのは後者で、本書で長きにわたって映画と舞台に出演してきた一九三二年生まれの名優は、春日太一という恰好の著者兼インタビュアーを得て、出演作また監督、スタッフ、役者たちの人物論やエピソード、演技のあり方を含む映画製作の裏側などを存分に語っている。また作品のガイドブックとしても有用である。

その一例を示しておくと《東映京都撮影所。そこで仲代が出演した時代劇は一本だけある。それが、一九六五年の沢島忠監督『股旅 三人やくざ』だった》と春日のイントロに続いて仲代が《私はすごく好きな映画なんです》《沢島忠さんの最大傑作だと思います》と語る。聞いたこともない『股旅 三人やくざ』だったがU-NEXTで配信していてさっそく一見に及び納得しました。

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《私がもし死ぬ時、「今まで出演した映画から一本だけ選べ」と言われたら、いろいろいい作品に出させていただいていますけど……やっぱり『切腹』です》

切腹」は一九六二年、小林正樹監督作品、仲代初の時代劇主演作品で、このとき二十九歳だった。主人公津雲半四郎は孫ができたばかりの中年男だ。よい役者とは若いとき優れた老け役ができる人をいうのだろうかとふと思った。笠智衆がそうであったように。

切腹」から二十年後の一九八二年、仲代は「鬼龍院花子の生涯」で夏目雅子と共演した。

《私はいろんな女優さん相手にしてきましたけど、心から惚れ惚れとしたのは、彼女が一番です。いや、それはね、女優として素晴らしい人はいっぱいいます。でも、もし死ぬ時に「女優さんの共演者で一番誰に惚れたか」と聞かれたら、それは夏目雅子さんです》。 ああでもない、こうでもないといろいろ考えるのはよいが、続けているうちに百年河清を待つことになりかねない。黄土で濁っている黄河の濁流が、いつの日にか清流となるのを待ってるようなもの。それゆえ言葉の発出は短慮を避けつつ、明確で迷いがないようにしたい。そこに仲代達矢の語りの魅力がある。断言、明言の語り口に努めていて、その基には自信と決意がある。

仲代は「切腹」のまえにおなじ小林正樹監督の「人間の条件」に出演した。六部構成、全三作の大作は一九五九年から六一年にかけて公開された。

《一部・二部を半年かけて撮るわけです。で、あと何か月か。半年ぐらいあるかな、準備期間があるわけで、このあいだに黒澤さんの『用心棒』に出るわけですけど》。《それで今度、三部・四部が始まるんですよね。これ撮り終えたら、今度五・六撮るためにまた半年ある。その間、『用心棒』の続編の『椿三十郎』に出た、それで最後まで撮り終えるんです》

仲代は映画会社に属さないフリーの役者だったから松竹の小林正樹東宝黒澤明の作品を往復できた。それに小林正樹黒澤明は仲がよく、黒澤が仲代を貸してくれないかと申し出て『用心棒』に出演した。そこで仲代は《いろいろな時代劇役者さんたちと立ち回りのシーンを演じてきましたが、三船さんが一番素晴らしかったです。特に力強さと技の速さですね。(中略)三船さんは相手に実際に当てるんです》といった経験をする。こうした「日本映画黄金時代」の経験からするといまは《俳優が俳優であった時代、監督が監督であった時代、カメラマンがカメラマンであった時代っていうのがなんか過去のものになっていくような気がして、すごく寂しい思いがするんです》という。

もちろん仲代は「日本映画黄金時代」にも舞台に立っていた。そこから《私は新劇俳優ですが、舞台は一年間に半分、映像は半分って決めていました。舞台の俳優さんというのは、一生懸命やればやるほどいいと思っている。舞台の俳優さんって、まあ、名優になると、お客はどう見ているか、お客の前でどういう格好がステキに見えるかとかってなるんでしょうけど、なんか一生懸命やっていることをお客は全部受け入れてくれるもんだと錯覚する。でも、私なんか映画に出てみて気づくのは、自分の意図した芝居のイメージって全く画面に出ていないということ。そういう意味では、映画と舞台を半分ずつ青春時代からやってきたことはよかったと思います》といった映画と舞台また双方の演技の比較論がもたらされる。

映画づくりの現場にいた人じゃないと書けない、語れないじつに優れた映画本である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「碁盤斬り」

劇場を出るとすぐ脚本を担当した加藤正人みずから書き下ろした小説『碁盤斬り 柳田格之進異聞 』(文春文庫 )を買い求めました。それくらい興味深く、おもしろい作品でした。

川島雄三監督「幕末太陽傳」が複数の古典落語を組み合わせてあったように、白石和彌監督の本作も複数の噺が用いられています。映画と落語のコラボレーション、落語を組み合わせた作劇の妙にこれからも期待し、楽しみにしています。

ストーリーの骨格は講談、落語として演じられてきた「柳田格之進」で、これにはいくつかヴァージョンがありますが、ここでは基本のところだけを述べておきます。

商家の萬屋の主人源兵衛はしばしば元彦根藩藩士でいまは浪人の身となっている柳田格之進を招き碁を打っています。ある日の対局中、他の商店に貸し付けてあった五十両が届けられ、源兵衛はそれを手にします。
碁が終わり、格之進が帰ったあとに事件が起こります。源兵衛が手にしたはずの五十両が見当たりません。そうして格之進が犯人だと疑った番頭が格之進の長屋を訪れます。格之進は盗人と疑われて心外だが用意する金はなく、その場に居合わせたことを不運として、身の潔白を証明するために切腹を決意します。格之進の娘の絹は父の窮状を救おうと自分が吉原に身を売ることで五十両を都合し、父に切腹を思いとどまらせます。

まもなく年末。萬屋での大掃除で盗まれたと決めつけられた五十両が出てきます。萬屋はあわてて格之進を訪ねるのですが、このとき格之進は帰藩が許され江戸留守居役となっています。やがて格之進は予期せずして源兵衛と出会います。

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この物語に手を加えてなったのが「碁盤斬り」です。映画では、格之進(草彅剛)は冤罪がもとで浪人の身となったとされていて、これを雪ぐエピソードを大きく扱ってチャンバラの面白さを加えています。また藩士だったときと、萬屋國村隼)との対局のときのふたつの冤罪が晴れて、格之進が藩政に復帰するかどうかも、落語との相違も含めて大きな見どころでした。

落語の祖型では、昔から、江戸留守居役となった格之進が、吉原の苦界に身を沈めた娘の絹(清原果耶)を身請けしないでそのままにしてあったのはどうして、という指摘と疑問があり、わたしがいちばん注目したのはこの問題の扱いでした。ここで参照されたのがおなじく古典落語の「文七元結」で、とくに感心したわけではありませんが、なるほど、そう来たか、と思ったことでした。

ここのところを含めいろいろな「柳田格之進」を比較するのも映画のあとの楽しみで、これからしばし聴き比べをしてみます。

なおエンドロールで井山裕太藤沢里菜をはじめ有名な棋士のお名前があったのにスクリーンで気づかなかったのが残念でした。

(五月二十一日 TOHOシネマズ上野)

「無名」~中国共産党と汪兆銘傀儡政権のスパイ合戦

本作は第二次世界大戦下の上海を舞台にしたスパイ・ノワール作品です。ネタバレは避けたくて試みてみたのですがどうも上手くいきませんでしたのであらかじめお断りしておきます。

この時代、陰謀渦巻く上海でのスパイ劇となると国民党と共産党の特務機関、諜報機関工作員たちの入り乱れた、敵味方定かならぬ角逐、対立となるのが定石です。しかし現状で大陸と台湾の統一を考えるとそうした定石は避けておくのが賢明のようです。というのも大陸と台湾の統一は政党の関係として第三次国共合作の可能性が考えられるからです。ゆえに以前のように国民党、すなわち反共の白色テロ集団という設定はまずい。そこでクローズアップされたのが蒋介石を裏切り、日本の手先となった汪兆銘をトップとする傀儡政権、漢奸(敵側への協力者)たちの一団でした。これなら大陸、台湾問わずどう転んでも名誉回復はありえません。しかしそのぶん物語の骨格は小さくなりました。

こうして「無名」は中共から汪兆銘機関に潜り込んだ「もぐら」のお話となります。だれが「もぐら」なのか、どんなふうに引っ張り出され、晒されるのか。トニー・レオン、ワン・イーボーが出自や身元不明のスパイとして緊張の攻防劇と心理戦を繰り広げます。ついでながら客席は女性が多かったですね。中高年のお目当てはトニー・レオン、若い層はワン・イーボーと拝察しました。

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でも二人の人気スターに漢奸の役を一気通貫、徹底的に演じさせるなんてとんでもないですから物語の展開はすぐ読めてしまうのが難でした。習近平文化大革命を発動したら漢奸を演じた役者は吊し上げありでしょうから、無理筋であってもスターたちを漢奸のままにしておくのは中国という政治の国では不気味なのです。

一九七六年にはじめて上海の魯迅記念館を訪れた際は蒋介石劉少奇の写真は抹殺、トリミングしまくりでしたが、いまはおふたりとも堂々と掲げられています。けれど魯迅(本名、周樹人)の実弟、周作人は対日協力者、漢奸として抹殺、トリミングされたままです。わたしは周作人は政治的な行動のできる人ではないと確信するのですが、それはともかく先年魯迅記念館へ行ったとき、現地の案内役の中国人に、いたずら心からそっと、どうして蒋介石の写真がよくて、周作人がダメなんですかと訊くと「そんな難しい政治の話はやめてください」と釘を刺されました。それやこれやでこの映画、へんな読み方をしてしまいました。

(五月十四日 ヒューマントラストシネマ有楽町)