二0二六年十月
一日
東京都心では待望の青空が広がった。ただ、この日も未明に雨が降ったため連続降水日数は三十六日となり、観測史上最長の記録を更新した。それでも日中の日差しはたっぷりで、気温も上がり、さわやかな一日となった。そしてきょうは都民の日、上野動物園の入園料が無料で、自宅から十分ほどあるいて動物園へ行くと、秋晴れのもとたくさんの人出で賑わっていた。一都民としてけっこうな額の税金を払っているから(と、いうほどでもないけれど)十分に動物園を楽しませていただいた。
四日
味の素スタジアムで開催されたTOKYO ROKUTAI FES 2026に出場した。昨年に引き続いての参加、そしてわたしの今シーズン初レースである。去年は駅伝を、ことしは10㎞走を走った。きょうは自分的にはまずまずのフィニッシュだった。今月はもうひとつ、一週おいて十八日に東京レガシーハーフを走る。
X日
いま読んでいる米原万里『パンツの面目ふんどしの沽券』に一九四六年生まれの建築家、建築史家藤森照信氏の著書『天下無双の建築学入門』(ちくま新書)から次の箇所が引かれていた。
「昭和二十年代の田舎では、おばあさんが、田んぼのあぜ道の上で、公然と着物の裾をたくし上げて、後ろ向きに立ち小便する姿を見かけることができた。それは田舎の未開な習慣と思って、安心してはいけない。イギリスだかの由緒ある全寮制の女子校では、今でも昔ながらの小の伝統が堅持されているという」。
フーテンの寅さんの「粋な姐ちゃん立ちションベン」は絵空事ではなかった。藤森氏より四歳下、一九五0年生まれのわたしはおばあさんの立ち小便は見たことはない。ただ、井上章一『パンツが見える。』にある以下の記述は実見している。
「戦後の女たちは、しばしばスカートをたくしあげて、ストッキングの位置を修正した。電車のなかでも、脚をひらいたまま着席することがすくなくない。パンツが見られることを、それほどはずかしがっては、いなかった」。
もともと和服にパンツやズロースをはかなかった。当然、強風でまえがはだけて陰部があらわになるおそれはあった。洋装となればパンツやズロースが防いでくれるから危険はなく、スカートをたくしあげてストッキングを直すなどなにほどのことはなかったのである。
下半身だけではない。『パンツの面目ふんどしの沽券』には以下の投書が引かれている。「ちなみに、女たちも子どもに乳を含ませるときには、何の躊躇いもなく人前で乳房をさらしておりました(これは、その後、上の学校にあがるために都会に出てきてからも、街中でしばしば見かける光景でございましたが)」。
わたしも子供のころ電車かバスで母親が赤ちゃんに乳を含ませているのを見たおぼえがある。昭和二十年代後半から三十年代はじめだったとおぼしい。そうした昔語りにわたしもいつしか古老になったみたいである。
おなじころ、母方の祖父母の家の近くに「あんま・マッサージ・ちちもみ」という看板があった。二階建ての家の二階の壁にある大きな看板でよく目立っていた。母親が赤ちゃんに乳を与えている姿はべつに意識しなかったのに「ちちもみ」にはみょうに反応した。文字が小学生のわたしに妖しく迫り、性意識を喚起したらしい。
それから半世紀ほどして島津保次郎監督「隣の八重ちゃん」(1934年)を観た。
女学校の生徒服部八重子(逢初夢子)の家に同級生の真鍋悦子(高杉早苗、両親の自殺幇助で有罪判決を受けた四代目市川猿之助の祖母)が遊びに来ている。たまたま隣の部屋には隣家の帝大生新海恵太郎(大日向傳)が自宅にだれもいなくて入れないからと休ませてもらっている。それを知らない女学生たちはおしゃべりに興じる。制服を脱いで私服に着替えている八重子に悦子が「おっぱいの形とてもいいわ」とほめると八重子は悦子の胸を見て「あなた意外に小さいわね」と応じる。
そして話が一段落して隣の部屋に移ると思いもかけず帝大生がいて、「へんな話してるねえ」と語りかける。
「どうして」
「だって、おちちの話なんか」
「いいじゃないの女同士だから」
「いかんねえ。男性の前で」
「恵太郎さん、近ごろそんなことに敏感ねえ」といったやりとりが続く。若い男女の交際がきびしく規制されていた時代、シナリオにこうしたやりとりをよく書いたものだ。
あの看板、そしてこの映画のシーンともに忘れがたい、おちちの思い出である。
X日
前世紀の七十年代はじめ、大学二年のときだったか、有楽町の日本劇場五階にあった日劇ミュージックホールのヌードショーを見に行った。いまはない日本劇場は戦前、李香蘭の歌謡ショーに観客がつめかけ、円型の劇場を七回り半取り巻いたあの日劇である。ミュージックホールについては「平凡パンチ」や「週刊プレイボーイ」で知っていたが足を踏み入れるのははじめてだった。そして、トップレスのダンサーたちの群舞に、世のなかにこれほど美しい世界があったのかと陶然となった。受験の世界史で知ったミロのヴィーナスやボッティチェリの「春」どころではなかった。美術展やコンサートなどおよそゲージュツとは無縁だった若者の感激は大変なものだった。それから四十年ほどしてパリを旅したときムーラン・ルージュやリドのショーに行ってみたがミュージックホールのときの感激とはほど遠かった。年齢を重ねて人間が枯れたのか、それともすこしは人間ができたのか。
ムーラン・ルージュといえば一九五九年フランスを訪問したソ連共産党書記長フルシチョフ氏はフランス政府の計らいか、この劇場を訪れてフレンチ・カンカンを観て度肝を抜かれ「スカートの中を見せつけるなんて何と下劣なショーだ。こんなのは、芸術とは無縁である。彼らにボリショイ・バレエを見せてやりたいものだ!!」と憤慨したそうだ。世はさまざまである。
こうしたショービジネスについて『パンツが見える。』の井上章一氏は「レビュー・ガールのズロースは、戦前期から男たちの性感をかきたてていた。しかし、彼女らのはいていたものを、ふつうのズロースと同一視すべきではない。一般人のズロースとは、ぜんぜんちがうものを、彼女らは身につけていた。舞台をいろどるズロースには、それなりの装飾もほどこされている。光りものなどが、そえられたりもしていたのである。そして、そんなズロースだから、男たちの欲望をふくらますこともできたのだ」と述べている。
日常生活の下着としてのパンツ、それとは異なるきらびやかなコスチュームとしてのパンツがどんなふうな関係にあるのか、といったことに研究者として分析し、考察を加えている。魅惑のショービジネスに分析や考察をしなければならぬ研究者も因果なものである。
十八日
午前中、東京レガシーハーフ2026を走った。この大会はことしで五回目、ありがたいことに五回すべて当選、そうなると大会そのものに愛着が湧いて、日本橋の三越のまえで折り返すのが嬉しく、フィニッシュで国立競技場のトラックを走っていると心踊る。おかげさまで今回も快適に完走できました。感謝‼︎


国立競技場を出ると沿道の方、ボランティアの方から「行ってらっしゃい」と、フィニッシュで国立へはいろうとするとおなじく「お帰りなさい」と声がかかる。ありがたく、うれしい。こうした経験があって、わたしもときにボランティア活動に参加している。来年三月の東京マラソンは落選したので、ボランティアを申し込んでいる。
後期高齢者の老爺は、目標タイムを上回るために自分を鼓舞したり、自己ベストの更新に向けてまなじりを決したり、といった重い状態に陥るのは避けなければならない。思い詰めてもどうにもならない。それよりも、世のなか気楽に、すいすい、さらさらである。

X日
ヒッチコック総ざらえで「私は告白する」を観た。カナダのある教会で働く男が、神父(モンゴメリー・クリフト)に、強盗殺人を犯したと告解する。やがて、その事件の容疑者として神父に嫌疑がかかる。だが、懺悔中に聴いたことは他言してはならない、というカトリックの戒律のため、神父は真犯人の名を明かすことができない。これにかれが神父になるまえ愛した女性(アン・バクスター)が絡む。
不勉強で知らなかったが、米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文春文庫)によると仏教や、キリスト教でもカトリック以外の宗派が行う懺悔は、神仏の前で罪を告白し、赦しを請うのにたいしてカトリックでは、司祭のまえで懺悔をするかたちをとる。厳格に守秘義務が課せられた司祭は神の代理人として信者の告白に耳を傾け、神の名において赦す権限が与えられている。これで、ありがたみも浄化作用も増すわけだ。また同書には「人間てのは、悪いことするとね、それを必ず誰かに言わずにはいられなくなる生き物なんだなあ。黙り通して秘密を墓場まで抱えていくなんて人、オレの担当した事件じゃあ一人もいなかったね。必ず誰か身近な人に話してるもんなんだ」という刑事の言葉がある。
カトリックが創出した告解は人間の本性に根ざしたものと知ったが、懺悔中に聴いたことは他言してはならないという戒律に犯罪が絡むとたちまち正義のあり方が問われる。「私は告白する」はこの特異な状況のなかでのサスペンス劇で、わたしは好みなのだが、重くるしく深刻な作品となるのはまぬがれなかった。そしてこの点にヒッチコックの不満はあった。ヒッチコック、トリュフォー『映画術』のなかでヒッチコックは「『サイコ』のように物語は重苦しくても、語り口は軽快で、アイロニーというワサビをたっぷりきかせるというのが、わたしのやりかただからね」と語っていて、ここにかれが求めたドラマツルギーがくっきりと見て取れる。
X日
ヒッチコック総ざらえ。つづいては「知りすぎていた男」(1956年)である。イギリス時代の「暗殺者の家」(1934年)をセルフリメイクした名作(原題はともにThe Man Who Knew Too Much)であり、ヒロインのドリス・デイの歌った「ケ・セラ・セラ」は大ヒットし、わが国では雪村いづみやペギー葉山らによるカヴァーの競作で話題を呼んだ。
五回か六回観た作品だが、今回は視聴と併せて関連書籍を読んでいて、なかの一冊、山田宏一『ヒッチコック映画読本』にこんな記述があった。
ヒッチコックはこの映画のなかで、マラケシュのホテルの新聞雑誌売場に表紙をモナコ王妃の写真で飾った「パリ・マッチ」誌を置いて、ひそかにグレース・ケリーにめくばせをしている、それは彼女への惜別の挨拶のようにも見える、その意味で「『知りすぎていた男』は、さらばグレース・ケリーの映画だった。
一九五六年一月グレース・ケリーはモナコ大公レーニエ三世との婚約を発表、四月に挙式した。そして米国では同年六月一日にこの映画は公開された。
それにしても新聞売場にある雑誌の表紙によく気づくものだ。さっそく見返したところ、はじまって四十二分のところでホテルの新聞雑誌売場が映っている。時間は三秒。「パリ・マッチ」誌に女性が表紙になっているのはわかるが、それがグレース・ケリーかどうかはわが家のテレビ、パソコンでは確認できなかった。フィルムのコマをチェックしたのだろうが、ここを見逃さないのは神技としか言いようがない。







