真珠湾攻撃と俳句

十二月。それまで忘れていても月はじめになると歳時記を手にするのが長年のくせというか習慣になっている。

「路地ぬけてゆく人声や十二月」(鈴木真砂女

どうして十二月なのかと思わぬでもないが、ほかの月と違って音数が五音なので坐りがいいね。

「どぜう屋の炭火を恋へり十二月」(瀧春一)。

トロンボーンのヴィック・ディケンソンの懐しいジャズのアルバムを聴きながら、むかしはあちらこちらの路地裏にどぜう屋があったんだろうな、と見ぬ世の光景を思い浮かべている昼下がり。

「沸くまでの水の重たき十二月」( 正木浩一)

お昼にラーメンを食べたあとに生活密着、体感的、即物的に理解できた一句でした。

「酔李白師走の市に見かけたり」(高井几菫)

晩酌の日にこういう句をみると余計にうれしくなる。いっぽうで「李白酔うて眠れる頃や花杏」(大石悦子)があり、春も師走も引っ張りだこの李白なのだった。

「数え日となりたるおでん煮ゆるかな」(久保田万太郎

「数え日」はことしもあと何日と数えたくなるような年末の数日を表す季語。おなじ作者の「湯豆腐やいのちの果てのうすあかり」よりもラフな気分になれるおでんの句で、わたしは好きだな。「いのちの果て」となるといささか緊張してしまう。

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十二月八日。太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃から八十年、NHKのニュースがハワイで行われた日米共催戦没者追悼式典の模様を伝えていた。

ジョン・トーランド『大日本帝国の興亡』1(ハヤカワ文庫)に真珠湾攻撃について興味深い見方があり、それによると一大奇襲戦術の短期戦を好む日本軍のあり方は俳句を生み出したことと関係しているという。つまり真珠湾攻撃は一面では日本の文化史上の問題で、不学なわたしはこうした見方があるのをはじめて知った。

思いつき、それとも異質の技術、素材を組み合わせたり、一見なんら関係しないものを結び合わせたりするハイブリッドな文化論かはともかく、俳句に奇襲攻撃といったみょうなものが添えられたものだ。

ついでに見当違いの添え物を表す格言として「木に縁りて魚を求む」「天に橋をかける」「山に蛤を求む」「水を煎りて氷を作る」「水中に火を求む」などがあるが、しかし俳句のおもしろさはこんなところから生まれる気もする。

また体によくない組み合わせに鰻と梅干、蕎麦と田螺、心太と生玉子、蟹と胡瓜、家鴨の玉子ととろろなどがあった。

反対に味わい深い組み合わせとして永井荷風の随筆「砂糖」に「桜花散り来る竹縁に草餅を載せた盆の置かれたる」「水草蛍籠なぞに心太をあしらひたる」「銀杏の葉散る掛茶屋の床机に団子を描きたる」といった例があり、いずれも 浮世絵から取られていて「此等の図に対する鑑賞の興は狂歌俳諧の素養如何」にある。つまりは素養のないものに滋味ある組み合わせを求めても「木に縁りて魚を求む」なのである。

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Amazonプライムビデオの充実、とりわけ前世紀三十年代から五十年代にかけてのモノクロ作品群のラインナップが凄い。エルンスト・ルビッチビリー・ワイルダーの作品群が一同に会しているとして過言ではなく、ファンとしてはそれだけでうれしい。それにハリウッド映画ばかりでなく「港のマリー」「格子なき牢獄」「運命の饗宴」「田舎司祭の日記」「にがい米」などヨーロッパで製作された作品が多く含まれているのもうれしい。

先日はアラン・ラッドとヴェロニカ・レイクのコンビによるハードボイルドタッチの作品「拳銃貸します」「ガラスの鍵」「青い戦慄」をみた。順番にグレアム・グリーン原作、ダシール・ハメット原作、レイモンド・チャンドラー原作、脚本というハードボイルド、フィルムノワールのファンには堪えられない揃い踏みである。

なかでもコンビの出世作となったフランク・タトル監督「拳銃貸します」(1942)がよい。

グレアム・グリーンが得意とする追う者と追われる者を骨格にした作劇術は政治的背景を重要な要素とする「第三の男」と異なりグリーンのエンターテイメントの原型が示されている。

殺し屋が仕事を果たし、依頼人に謝礼をもらうが、渡されたのは偽札で警察から追われる身となってしまう。追手をかわし復讐のために依頼人とその黒幕を追うなかで殺し屋は、依頼人のキャバレーに雇われたマジシャンの女性とたまたま列車に乗り合わせ、彼女に協力を求め、警察の追及から逃れようとする。女のほうは逃亡の手助けをしているうちに、はめられた殺し屋の事情と心情を思って心を寄せる。

アラン・ラッドとヴェロニカ・レイク、B級ピクチャーの匂いとたたずまいが似合いのコンビである。アラン・ラッド(1913-1964)は「シェーン」のまえにB級フィルムノワールのスターであったと知ってはいたけれど、これまでみたのは「拳銃貸します」だけだったから、今回の視聴はありがたいプレゼントとなった。またヴェロニカ・レイク(1922~1973)についてもしっかり瞼に焼きつけることができた。

それにしても二人とも若死だったんだなぁ。ヴェロニカ・レイクの人気はいまも根強く、人気ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』にも「寝たい往年のスター」を話し合うシーンで名前が登場しているとWikipediaにあった。

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森鴎外『椋鳥通信』上巻(岩波文庫)の冒頭一九0九年一月十六日発の記事に「近頃化粧舞踏会の化粧が一変して来た。それは著名な絵画彫刻作品の中の人物に扮するようになったのである」としてその事例があげられている。こんなふうに芸術作品が生活と融合していれば興味関心も喚起されるかもしれない。

とはいえ当方、絵画、彫刻とはとんとご縁がない。中学校の授業で絵を描いたのが最後で、教師が手直ししようにも手のつけられないほど下手だった。家庭に芸術を鑑賞する下地はなく、いまもときどき、わが身と比較して人はどんなふうにして芸術に強い関心を抱くようになるのだろうか、なんてことを思ったりする。読書は好きだったが絵画彫刻はさっぱりだ。

だからというべきか、しかしというべきか画家の書いた本を読んだあとはできるだけその方の画集をみるようにしている。さいわい画家には優れた文筆家を兼ねる方が多く、なかでいちばん親しんだのは鏑木清方和田誠である。

退職して海外旅行を重ねるうちに多少は芸術との接点が増え、プラハミュシャを、デン・ハーグフェルメールを、ウィーンでクリムトを追っかけた。年寄りの冷や水といったところか。

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モンテーニュは十六世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者、モラリスト懐疑論者、人文主義者とされる。人文主義者はフランス語にいうユマニストであり、教科書ふうにいえば、キリスト教の神中心に対して人間中心主義を唱えたとなるが、もっと具体的な像はないかしらとかねてより気になっていた。

先日、アンドレジード「トーマス・マンの最近の文章を読んで」にマンの演説の一節が引かれていて、なるほど神と人間との二項対立よりも、狂信主義にたいする人間尊重の思想とするほうが現代のユマニスムとしてふさわしいと考えた。

「最も良い最も単純なことは、ユマニスムを狂信主義(ファナチスム)と反対なものとみることではないでしょうか」。

端的にして的確な指摘であり、そこには知的態度、正義、自由、知識と寛容、温厚と明朗がともなっている。

そのいっぽうマンは「ヨーロッパに告ぐ」でユマニスムの脆弱を指摘している。

「あらゆるユマニスムのなかには、脆弱な一要素がある。それは一切の狂信主義に対する嫌悪、清濁併せ飲む性格、また寛大な懐疑主義へ赴く傾向、一言にして申せば、その本来の温厚さから出て来る」これがばあいによっては致命的となると。

この傾向を避けるには硬直ではなく柔軟に、ときにユマニスムから距離を置いて考えることも必要なのかもしれない。いくらユマニスムだって現代の中国やロシアなどの全体主義的な傾向を寛容な姿勢で眺めることはできない。

「愚かな首尾一貫性は小人の心に棲むお化けで、ちっぽけな政治家や哲学者や神学者の崇拝するところだ。偉大な魂は守備一貫性とかかわるところはない」(アメリカの哲学者ラルフ・W・エマソン)。ときにユマニスムから距離を置いてと書いたのはこの謂である。

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十二月二十二日。きょうは冬至。柚子湯にはいったりかぼちゃを食べたりする風習があるがその由来は知らない。かぼちゃの名称は十六世紀なかばにカンボジアから渡来したことから来ているので神代の昔からではなかった。柚子湯はどうなんだろう。

いずれにしても窪田空穂が「冬至の南瓜」に書いているように「節日は文字どほり季節の移り目の日で、その頃は人体の最も不健康に陥りやすい時である。それを乗り切るために神を祭り、神饌を供へ、その余りを自分達も食べて、神助を蒙ろうとするのである」ということであり、じじつかぼちゃは野菜の乏しい冬の季節の祭りの供え物であり、また柚子の実を入れて沸かす風呂はあかぎれを治し、風邪の予防になるといわれている。

もっともこの生活の知恵が現代の日本でどれだけ定着しているかはよくわからない。わが家では柚子湯、かぼちゃともになかった。

加藤楸邨がはじめて句会に出たとき柚子湯が出題され「一杯の柚子湯を飲んでしまひけり」とよんだ失敗談がある。風呂ではなく柚子を絞ってお湯を注いで飲むものと思っていて大笑いされた。この俳人にして節気と湯は遠いものとなっていた。わたしが五月の菖蒲湯と十二月の柚子湯を知ったのは岡本綺堂の随筆で、綺堂は「柚湯、菖蒲湯、なんとなく江戸らしいような気分を誘い出す」と書いていた。

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たまたま聴いていたコンピレーションアルバムにマット・デニスが作詞作曲しみずから歌ったスタンダードナンバーの名曲「Everything happens to me」がはいっていてしばし聴き入った。マット・デニスの小粋な名唱に出会うと一度では済まない。

ゴルフに出掛けようとしたら必ず雨……雨に祟られたゴルフのあと、パーティの準備をしたところ上の部屋の住人から苦情がきた、エアメールスペシャル(特別航空便)も出したけど君からの返事は「さようなら」、さらに郵便料金不足のオマケ付き。恋に破れて何でもありの切なさ。

米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』(文春文庫)によればロシアには「オープンサンド落下の法則」という慣用句があるそうだ。すなわち、オープンサンドが落ちるときは必ずトッピングした側が床についてしまうのをいう。「泣きっ面に蜂」「弱り目に祟り目」「踏んだり蹴ったり」要するに、「不幸の上に不幸が重なる」ということ。

高齢になると恋よりも飯のほうが切ないなあ。

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十二月二十七日。北日本や西日本の日本海側で大雪が降り続き、各地で車が立ち往生し、住民が雪の除去に追われている。雪害の難儀から早く抜け出てほしい 。

ニュースを見ながら、雪の日の歴史的事件といえば赤穂浪士の討入りと二二六事件となるが、ほかに何かあったかなと記憶をたどってみたが思い浮かばなかった。

まえにも書いたことがあるが、文藝春秋の幹部社員だった鷲尾洋三が『東京の空 東京の土』(北洋社)に、むかしの東京には雪が多かったと思う、子供のころの記憶では毎年のように一月、二月には膝の上まで埋まるような大雪が降り積もったと書いている。大正期に子供時代を過ごした著者の記憶で、 震災前の市電、外濠線沿線の雪景色がことさらに美しかったという。また昭和四十四年四月十七日にかなりの降雪があったとある。奥様の手術で著者には忘れられない大雪の一日だった。この年は雪が多かったようだ。わたしは二月に上京して大学受験に臨んだが、大雪の翌日で南国土佐に生まれ雪とはほとんどご縁がなかったものだから大学へ着くまでに二回か三回すべり、これで入試結果もわかったなといやな気がしたが、さいわい浪人しずにすんだ。雪にまつわる思い出である。

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「私はついチェスタートン風に次のように言いたくなってしまう。『ひとりのよき友、ひとつの安心できる場所、ひとつの好きな書物、ひとつのよき思い出。それがあればよき生である』と。」佐伯啓思「いかによく生き、よく死ぬか」。よい言葉だなと思いました。

「今一日のことを考へて見ても、明日のことが心配にならないこともないが、相当に運動して、相当に食慾を得て、飯をうまく食つて、懇意な友達と一緒に音楽でも聴いて、そして安眠が出来れば、相当の心配はあつても、どうやらかうやら自分は幸福であつたと其日を感ずることが出来る」。永井荷風「現実で満足だ」

佐伯啓思が挙げた幸福の要素~友人、安心できる場所、書物、思い出。 

永井荷風が挙げた幸福の要素~運動、食慾と飯、友達、安眠。

二人の文章は似た印象があるが共通しているのは友人のみ。かろうじて安眠と安心できる場所が通じているかな。しかし安心できる場所にテロの翳を見てしまうのが現代である。

二0二二年は狂信主義と全体主義にたいする心配の度合がすこしでも低減しますように。

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吉行淳之介が「大晦日」というエッセイに、紅白歌合戦について書いていた。文士がこのお祭りに言及するのはめずらしいのではないかな。白黒テレビの昭和三十年代の話である。「ベッドに腹這いのかたちで、首だけ横に向けてテレビを見ていると、その空騒ぎがしみじみ侘しくなる。悔いの多い一年を十二月三十一日に振り返って噛みしめる気分に、その番組がうまい具合に符号してくる。/いろいろな飾りをたくさんつけた衣装の女性や、裾模様の着物の男性などつぎつぎと出てくるので、涙の出るほどの反応が起こってしまう。悔いの多い一日は、深夜映画(それもなるべく愚作)をみることでマゾヒスティックな気分に浸っている私は、今年の大晦日もこの番組を見て過すだろう」。

私が紅白歌合戦を最後に見たのは何十年昔だったか。でも吉行淳之介の感性と諧謔と皮肉がブレンドされた文章の芸を味わうのはうれしい。ことしも紅白はみないけれど、紅白にまつわる文章の芸があればみてみたい。