2013-01-01から1年間の記事一覧
フランスの作家ポール・モーランは、多くの作家がヴェネツィアに魅せられ、かれらの著作のインクがこの地の運河を黒ずませたと書いている。そのひとりアンデルセンは『即興詩人』でこの都市を「水に浮かぶ城」「アドリア海の女王」さらには「海の配偶者」「…
前方にイタリア式庭園が広がるメディチ家の別荘。ヴェルサイユ宮殿のイタリア式庭園を見たときは壮大佳麗におどろいたが、こちらは自然というか素朴でとても親しみやすい感じがする。 メディチ家が所有していたボボリ庭園について須賀敦子は、おなじイタリア…
フィレンツェ郊外、メディチ家の別荘に向かうマロニエの並木道。トスカーナ州の田園一帯にはメディチ家の十二の館(ヴィッラ)が点在している。 この並木道をあるきながらあらためて戦前の昭和モダニズムのイメージ形成に木々や花が一役買っていることを思った…
テレビドラマ「ER緊急救命室」の第二シーズンの一話を観たところ、めずらしくアクションふうな一篇で、大雨のなか車がパンクし、立ち往生しているジョージ・クルーニーのダグラス・ロス医師のところへ、友達が上水道で流され堰き止めの鉄条網に足を挟まれ死…
ローマの観光名所があしらわれたトートバッグの図柄。〈Roman Holiday Bag〉の名で売られていたから、映画好きの旅行者は見過ごせない。はじめプレゼント用にと買ったが、後悔したくないのですぐ自分用に二つ目を購入した。 丸谷才一の名著『男のポケット』…
航海に出るフィリップス船長を妻が空港まで見送る。その車中で中年夫婦は、難しい時代になって子供たちはどうなるのだろうとその将来を心配している。ソマリア沖を航路とするのは二人とも承知のはずだがそうした話題はなく、中年の夫婦はソマリア沖に出没す…
「銘柄を指定してワインを註文するなんて凄い。詳しいんですねえ」とおなじツアーに参加していた若い男女のカップルにほめていただいた。 そんなふうに見られるのはけっこうだけれど、とんでもない買いかぶりで、イタリア・ワインの銘柄なんて〈キアンティ〉…
映画「ローマの休日」で堅苦しい宮廷生活にいたたまれずアン王女はとうとうローマの街に一人飛び出したのだったが、市井の暮らしがどういったものかわからず、たまたま出会ったジョー・ブラッドレー記者と入ったバールでもシャンパンをオーダーしていた。 そ…
ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(高橋啓訳、東京創元社)の訳文はとてもわかりやすく読みやすい優れもので、読んでいるうちに何度か村上春樹が書いた歴史小説と錯覚しそうになった。妄言御免。 もっともすらすらとは読めなかった。登場人物、また言…
オレンジ色を基調とするミラノの市電。ペッピーノと須賀敦子はムジェッロ街の自宅から電車に乗ってコルシア書店に通っていた。当時、線路はドゥオーモの裏の広場まで来ていて、ここだと書店は徒歩で五分ほどのところにある。そのころの電車は色あせたグリー…
『コルシア書店の仲間たち』の「入口のそばの椅子」という章で須賀敦子は同書店の支援者だった大富豪の夫人ツィア・テレーサの思い出を語っている。夫人はカトリック左派の思想面での支持者ではなかったが、この文化運動を指導するトゥロルド神父の説く人類…
チャーチルはナチの高官でチェコの実質的統治者だったラインハルト・ハイドリヒを恐れていたという話がある。たぐいまれな洞察力を具えた、この抜け目のない男がヒトラーを排除し、妥協による講和に持ち込んだりするとナチ体制を維持する可能性がある、チャ…
サン・カルロ書店のドアをあけた。教会と同様に静謐な空気に包まれた店は軽々しく立ち入るのがはばかられる古書店のようだ。 小さなカウンターがあり、書店の方とお客さんが話をしていた。この二人のほかにはわたしがいるだけだ。 会釈をして奥に入ると、読…
サン・カルロ教会に向かって右隅にあるサン・カルロ書店。おそらく教会が附設している書店だろう。かつてここにコルシア・デイ・セルヴィ書店があった。訪ねあてて「あった!」と思った瞬間、サン・カルロ書店の文字にコルシア書店の文字が重なった。 コルシ…
先日「霧の裏街」という映画を観た。一九二六年十一月に公開されたアメリカのサイレント作品で、日本でも翌年五月に封切られている。 舞台は霧深いロンドンの貧民窟、ここにTwinkletoes(原題であり、踊りの名手の意)と呼ばれる娘(コリン・ムーア)がいて…
須賀敦子の夫ペッピーノはコルシア書店を拠点とするカトリック左派に属する著述家、編集者として文化活動に従事していた。それは「フランス革命以来、あらゆる社会制度に背をむけて、かたくなに精神主義にとじこもろうとしたカトリック教会を、もういちど現…
「少年」から「男」への通過点を描いた忘れがたい映画に「おもいでの夏」がある。 一九四二年の夏、第二次大戦の戦火を逃れてニューイングランドの海辺に来ていた十五歳のハーミー(ゲーリー・グライムス)は友人と遊びたわむれる日々を過ごすうちに、ある日小…
ミラノの大聖堂に近く、一大観光エリアの一角に立地しているのが不思議なほどサン・カルロ教会は静謐な雰囲気の裡にある。小さな木製のドアを押してなかに入ると中央に祭壇があり、左右の脇にも祈祷の場所が設けられていて、それぞれに二十本ほどのろうそく…
いままでに観た映画でいちばん怖い思いをしたのは高校生のときテレビで観た「嘆きの天使」である。一九三0年に製作されたこのドイツ映画はマレーネ・ディートリッヒの代表作であり、彼女とジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督がはじめてコンビを組んだ映画…
はじめて野口冨士男の墓参に新宿の成覚寺へ出向き「野口家之墓」を捜したが見つからず、けっきょくすごすごと退散した。帰宅して調べてみると野口は両親の離婚により、のちに母の養子として平井姓に入籍し、野口は筆姓となっていたのだった。後日「平井家之…
須賀敦子は1961年11月15日、ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店に勤めるジュゼッペ(通称ペッピーノ)・リッカと結婚した。新婦は三十二歳、新郎は三歳上だった。彼女ははじめてミラノの大聖堂を訪れて「あんなに華やかで、あんなに太陽にきらめいていた…
映画と野球はともにアメリカを代表する文化だ。ときに二つはリンクしてたくさんの優れた野球映画を生み出してきた。そこに黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを描いた「42 世界を変えた男」が新たにくわわったと躊躇なく断言する。「42」はア…
前週の新宿ー青梅かち歩き大会につづき、昨日の日曜日は第22回荒川リバーサイドマラソンに出場した。一般男子六十歳以上の部7.5km、37分27秒の第22位。目標の1キロ5分以内はかろうじてクリアできたのはうれしいし、走れることに感謝もしている。そのうえで…
ミラノを象徴する大聖堂(ドゥオーモ)は大広場にそびえ立ち威容を誇る。建造は一三八六年にはじまり、宗教改革による中断を経て一八一三年に完成した。 この見事な建造物について、須賀敦子はロンバルディア平野の遠くから白く太陽に輝く姿にこころ打たれた…
香港の繁華街で爆破テロが起こり、同時に警官五人が乗る車が何者かに拉致される事件が発生する。香港警察の長官は海外出張中で二人の副長官が留守を預かっている。両者はともに次期長官と目されるライバルで、一方は刑事出身で現場たたき上げのタカ派リー(…
エティハド航空で成田からアブダビ空港へ、このかんおよそ十二時間、アブダビで四時間待機してミラノ、マルペンサ空港へ七時間の飛行はなかなか辛いものがあったが、この苦労を厭っていてはお安い旅行はできない。 映画を観て過ごそうと日本語字幕や吹替え作…
この十月の中旬から下旬にかけてイタリア周遊ツアーに参加し各地をめぐってきた。旅程は成田空港発アブダビ経由でミラノのマルペンサ空港へ、ミラノ〜フィレンツェ〜ポンタシエーベ〜ローマ〜シエナ〜ピサ〜ヴェネツィア〜ベローナ〜ミラノと観光し、復路は…
昨日は第89回新宿ー青梅43キロかち歩き大会に参加した。天気予報では午後からの雨は避けられない模様だったが、前夜、世話役をしていただいてるNくんから、明日は予定通り参加するものと思ってくださいとの力強いメールが届き、これは傘をさしてでも歩き通さ…
漱石夫人夏目鏡子に『漱石の思ひ出』という著書がある。鏡子が口述し、漱石の弟子で長女筆子の夫松岡譲が筆録した。 この回想記が雑誌「改造」昭和二年(一九二七年)十月号に掲載されたとき、永井荷風は『断腸亭日乗』同年九月二十二日の記事で「不快の念に…
さきごろワシントンに滞在した知人からおみやげを頂戴し、なかにEaster eggの枠にホワイトハウスが描かれたブックマークやジョージ・ワシントンからバラク・オバマまで歴代大統領の胸像を並べたコップがあった。ブックマークは米国製だが、コップは中国製。…