「キャプテン・フィリップス」

航海に出るフィリップス船長を妻が空港まで見送る。その車中で中年夫婦は、難しい時代になって子供たちはどうなるのだろうとその将来を心配している。ソマリア沖を航路とするのは二人とも承知のはずだがそうした話題はなく、中年の夫婦はソマリア沖に出没する海賊のニュースは知っていても、まさか米国の大規模船に攻撃をしかけてきたりはしないだろうと考えていたのかもしれない。
一転してスクリーンにはソマリアの漁村で海賊要員が調達される風景が映し出される。貧困とボス(領主といったほうがよいかもしれない)支配に覆われた社会だ。ボスの配下が雇い入れる海賊を貧困にあえぐ漁民から選り出している。リアリズムの重苦しさがのしかかる。ここのところを掘り下げると単館系で公開される国際社会の問題を扱った良心的作品となるだろうが「ボーン・スプレマシー」や「ユナイテッド93」などで知られるポール・グリーングラス監督が描くのはハリウッド作品の常道、海賊と米国船との攻防戦である。

かくしてソマリアの海賊がフィリップス船長の船を襲撃する場面からは凄まじく、緊迫感に充ちたアクションシーンがつづく。
海賊が乗り込んでくる。かれらは大規模な船の構造や機器には通じていない。そこに船長たちのつけこむ隙がある。武器を持たない者は頭脳ゲームに持ち込むほかない。とはいっても乗組員たちには命がけの戦いなど想定外だから、その点では決死の覚悟で海賊となったソマリア人の気迫に圧倒される。
けっきょく頭脳戦の段階では船の乗っ取りは許さなかったものの船長が海賊の人質となり、ここから戦いのテーマは船長救出に移りネイビー・シールズアメリカ海軍特殊部隊)の登場とあいなる。二00九年に発生したマースク・アラバマ号の事件を基にした映画だから茶化した言い方は避けるべきだろうが、作劇のうえでは西部劇でインディアンに襲撃された危機の白人を騎兵隊が救出にあたるあの骨法で、しかしフィリップス船長の救出は軍事的な解決に過ぎず、単館系の映画が扱うような海賊問題が発生する社会構造に変わりはなく、課題は残されたままだ。エンドロールでもモデルとなった海賊の生き残りはアメリカの刑務所で服役しているというテロップが流れていた。
スケールの大きな洋上でのアクション映画がどれほどフィリップス船長の勇気とネイビー・シールズを讃えても社会問題としてのソマリアの海賊問題はついてまわる。それをこれほど面白く見せてくれるところがハリウッドと言うべきだろう。
(十二月四日TOHOシネマズ六本木ヒルズ