ミラノの市電(伊太利亜旅行 其ノ十一)

オレンジ色を基調とするミラノの市電。ペッピーノと須賀敦子はムジェッロ街の自宅から電車に乗ってコルシア書店に通っていた。当時、線路はドゥオーモの裏の広場まで来ていて、ここだと書店は徒歩で五分ほどのところにある。そのころの電車は色あせたグリーンだったそうだ。ペッピーノが亡くなったのは1967年だから、おそらく夫妻がこのオレンジ色の電車に乗ったことはなかっただろう。いまでは写真の電車とは別の新型の車種も走っている。
須賀敦子が『コルシア書店の仲間たち』を上梓したのはペッピーノの死去から四半世紀経った1992年だった。コルシア書店を採りあげるのにそれだけの歳月を必要とした。同書の最後に須賀はこうしるしている。
「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」