紅茶の受皿、立乗りのゴンドラ

先日「霧の裏街」という映画を観た。一九二六年十一月に公開されたアメリカのサイレント作品で、日本でも翌年五月に封切られている。
舞台は霧深いロンドンの貧民窟、ここにTwinkletoes(原題であり、踊りの名手の意)と呼ばれる娘(コリン・ムーア)がいて、いつか亡母とおなじように舞台で主役を務めるのを夢見ている。そのTwinkletoesが「父に教わったマナーなの」と言って紅茶を受皿に注いで飲むシーンがあった。

むかしのイギリスでは紅茶やコーヒーを受皿に注いで飲んでいたらしいと知ってはいたが見るのははじめてだった。
インターネットのいくつかの記事には、もともとコーヒーや紅茶の受皿にはこぼれたときに受けるという用途はなく、そこに注いで飲むものであり、そうすることにより温度が下がり飲みやすくなるとあった。
これで思い出したのが小野二郎『紅茶を受皿で―イギリス民衆芸術覚書』(一九八一年、晶文社)という本で、ときどき本屋で見かけてよい書名だなあと思ったのを記憶している。さいわい図書館に架蔵されてあったのでさっそく関係箇所を読んでみた。英文学者によるエッセイ集で書名となった「紅茶を受皿で」が冒頭に置かれている。

学者による手堅い考証随筆はインターネットの記事よりだいぶん詳しく、一九七五年二月号「展望」初出の同文には受皿の変遷についておおよそ以下のとおり書かれてあった。
・十七世紀に中国からイギリスに入ってきたお茶は十八世紀には国民的飲物となった。
・はじめ中国製の茶わんで供されていたが、やがて自国の安価なティーボールがとって代わる。
ティーボールには取手はないから、そこから(深)受皿(ディープ・ソーサー)に注がれて飲まれていた。
・それゆえソーサーはもともとカップに付随したものではなく独立した飲用の器具としてあったと考えられる。
ティーボールの生産は一部では十九世紀末か二十世紀はじめころまで続いていたらしいが、すでに十八世紀から取手のあるカップティーボールに代わり、ヴィクトリア朝では中流階級以上はいまと変わらないカップを用いていた。
・十九世紀はじめ頃からカップの下にカップ・プレイトがおかれるようになり、カップ・プレイトとソーサーが合体して、こぼれた液体を受ける皿になったらしい。
ところでインターネットの記事には、十七世紀半ばから十八世紀の半ばにかけてイギリスでは紅茶やコーヒーを受皿で飲むのが通常のマナーで、そのため受皿も深く作られていたが、十九世紀にはそうした飲み方は労働者階級のものとされ、上の階級では無作法と認められていたとあった。
『紅茶を受皿で』にもジョージ・オーウェルが紅茶を受皿に注いで大きな音をたててすすっていたと、ジャーナリストのジョン・モリスの回想記が紹介されている。通説では、オーウェルはわざといやがらせのために不作法な行為をしていたとされる。
ところが著者は「紅茶を受皿で」の執筆に先立って滞在したアイルランドでひとりのおばあさんがじつに自然にお茶をカップから受皿にあけてすすったのを見た。奇矯な振舞いではなくただお茶をそうして飲んだ、静かで何げない無心の所作だった。
オーウェルが不作法とされる飲み方に及んだのは、ある人々、ある階級にとっての正統な行動様式を抑圧する社会のあり方に異を唱えるためだった。それに対し、著者の見たおばあさんはその抑圧から自由に生きて、抵抗感もわだかまりもなく確信をもって伝統の飲み方をつづけていたのだった。紅茶を受皿で飲むのは文化的保守主義の表れであっても不作法なものではない。
「霧の裏街」でロンドンの貧民街に住むコリン・ムーアが紅茶を受皿で飲むシーンを見た観客のなかには、不作法どころか、つい昨日まであったなつかしい飲み方にレトロな気分をいだいた人たちもけっこういたような気がする。
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映画の細部のはなしをもうひとつ。
さきごろイタリアの旅ではじめてヴェネツィアを訪れた。この街の虜となって帰国し、さっそく「旅情」を観直した。デビッド・リーン監督のこの映画ほどヴェネツィアを美しく、情感豊かに撮った映画はないと思っているから。
アメリカの地方都市で秘書をしている三十八歳の独身女性ジェーン・ハドソン(演じたキャサリン・ヘプバーンは当時四十八歳だった)が念願のヨーロッパ旅行の最終地ヴェネツィアへやって来る。
サン・マルコ広場で出会ったレナート・デ・ロッシ(ロッサノ・ブラッツィ)は骨董品や雑貨の店を営む妻子ある男性だった。旅先のヴェネツィアでひと夏に体験した出会いと恋と別れのメロドラマ。ヴェネツィアを舞台とする最高の映画は恋愛映画の最高傑作のひとつでもある。
この映画のラストにちかいシーン、帰国の迫ったジェーンがレナートに別れを告げてゴンドラに乗る。
ヴェネツィアの大運河(カナル・グランデ)は全長四キロほどだが、橋はリアルト橋、スカルツィ橋、アカデーミア橋の三つしか架かっておらず、それを補う交通機関がトラゲットという渡し船、渡しのゴンドラで、ガリマール社・同朋社出版編『ヴェネツィア』(一九九四年)には大運河を横断する渡し船の乗合い場所は七か所とある。

ジェーンはいずれかの乗合い場所で引き止めようとするレナートを振り切り渡し船に乗る。トラゲットについて矢島翠『ヴェネツィア暮し』には「観光用のゴンドラよりも幅が広くて反りが浅く、この舟独特の、〈フェッロ〉とよばれるへさきの装飾をのぞいて、余分な飾りは、一切ついていない。あくまで実用向きの外観だが、それでもゴンドラはゴンドラである」とある。そしてもうひとつの特徴が立ち乗りで、「ラッシュアワー」には渡し場に勤め人の列ができて、一度に七、八人が順々に詰めて立乗りしているそうだ。
そこで別れを告げてゴンドラに乗ったジェーンを見るとまさしく立乗りをしている。わずかな滞在期間だがジェーンが大回りして橋を渡ったり、観光用のゴンドラを利用するのではなく地元生活者の渡し船であるトラゲットを利用するほどにヴェネツィア生活に慣れた姿がうかがわれる。レナートが授けた生活の知恵だったかもしれない。
矢島翠『ヴェネツィア暮し』を読まなかったらジェーンの乗るトラゲットを見過ごすところだった。
紅茶の受皿と立乗りのゴンドラ。映画と本があいまっていろいろなことを教えてくれるのがうれしい。

(文/写真 大竹昭子須賀敦子ヴェネツィア』より)