『HHhH プラハ、1942年』

チャーチルはナチの高官でチェコの実質的統治者だったラインハルト・ハイドリヒを恐れていたという話がある。たぐいまれな洞察力を具えた、この抜け目のない男がヒトラーを排除し、妥協による講和に持ち込んだりするとナチ体制を維持する可能性がある、チャーチルにはそれがいちばんまずい事態であり、イギリスがチェコを支援したのはそのためだったというのだ。
ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(高橋啓訳、東京創元社)より。
おそらく語り手の「僕」も言うようにでたらめだろう。けれど、そうした話題が出るほどハイドリヒは手強い、不気味な存在だった。
HHhH=ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる。

ハイドリヒは、親衛隊(SS)の指導者でありゲシュタポ強制収容所を指揮下においていたヒムラーに次ぐSSの実力者であり、ユダヤ人問題の最終的解決計画つまりユダヤ人殲滅の企画者にして推進者、そして戦時中には保護領とされたチェコの統治にあたる最高権力者だった。
「金髪の野獣」「虐殺者」「プラハの死刑執行人」と呼ばれたハイドリヒは一九四二年五月七日チェコの在英亡命政府が送りこんだチェコ人のヤン・クビシュとスロバキア人のヨゼフ・ガプチークという二人のパラシュート部隊の青年により狙撃され、六月七日に死亡した。この暗殺事件を採りあげた映画にフリッツ・ラング監督の名作「死刑執行人もまた死す」がある。
本書の語り手の「僕」はプラハへの深い思い入れをもつフランス人だ。小さいときに父親の話から事件を知った。一九九六年から五年にわたりスロバキア軍事学校でフランス語教師として勤務した。

いま「僕」は「類人猿作戦」と呼ばれたハイドリヒ暗殺計画について執筆しようとしている。ハイドリヒの人物像とナチの実態、ロンドンの亡命政府が実行者として送り込んだ二人の青年、決行にいたるまでの詳細な過程、ナチの報復、青年たちと支援者のその後などなど。
そのため史料はもとより博捜の対象は関連する文学、映像作品に及ぶ。たとえば映画はこんな具合だ。「手に入るかぎりのありとあらゆる資料をむさぼりながら、公開される映画を次から次へと見に行きー『戦場のピアニスト』『ヒトラー〜最期の十二日間』『ヒトラーの贋札』『ブラックブック』等々ーテレビもケーブルテレビのヒストリーチャンネルに固定されたままだ」。
「類人猿作戦」はチェコの亡命政府がナチにしかけた大技だった。その裏にはチャーチルスターリンがいる。チャーチルという根っからの反共産主義者が大戦期ゆえにスターリンと軍事面での盟友関係を維持している。そのあいだにいるのがチェコの亡命政府だ。「類人猿作戦」は小国の亡命政府が二つの大国との良好な関係を維持発展させるために企てられ、イギリス政府は賛同とともに兵站支援を供与した。しかしそれがロシア人の自尊心を逆なですることになってはならない。作戦の情報はロシアにももたらされチャーチルスターリンはその結果を待っている。期待を裏切ってはならない。作戦には小国の哀しみが滲む。
ローラン・ビネが「僕」を通じて語ったハイドリヒ暗殺事件がサスペンスに富んでいるのは言うまでもない。くわえて関連する小説やノンフィクション、映画が採りあげられ、それらについての批評や問題点が示される。訳者あとがきに紹介のある「タイムズ」の書評者クリス・パワーの言葉を借りると「史実に忠実であろうとする姿勢と、憶測によって事実が置き換えられる瞬間を分析しようとする強迫観念のごとき執着」による作業だ。
こうして叙述はときにノンフィクションやエッセイまた研究書、史論そして身辺雑記といった色彩をおびる。ジャンルにこだわる必要などないのかもしれないけれど、訳者も書いているように「小説にはまだこんな可能性があったのか、と思わせる新たな才能を告げる作品」の語り口は斬新で魅力にあふれている。
考え抜かれた文学の記述の方法論と真摯かつ繊細に過去を見つめる精神とが結びついた傑作を読んだのはこの一年のわたしの読書生活の「事件」だった。