「おもいでの夏」

「少年」から「男」への通過点を描いた忘れがたい映画に「おもいでの夏」がある。
一九四二年の夏、第二次大戦の戦火を逃れてニューイングランドの海辺に来ていた十五歳のハーミー(ゲーリー・グライムス)は友人と遊びたわむれる日々を過ごすうちに、ある日小高い丘の家で若い夫婦が語らいあう光景を眼にし、美しい妻の姿に茫然とした。
まもなく夫は戦争に赴く。
たまたま、丘の上にある家の奥さんが沢山の買い物を抱えきれずに困っている姿を見たハーミーは、ドキドキしながら彼女に声をかけ荷物を持ってやった。彼女の名前はドロシー(ジェニファー・オニール)。ハーミーは、彼女の美しさ、優しさに心ときめいた。
夏も終わろうとする一夜、ハーミーはドロシーの家に招かれた。ところが彼を迎えたのは泣きはらしたドロシーだった。そこには夫の戦死を知らせる電報があった。ドロシーはハーミーの胸に顔を埋める。抱きしめてほしかったのだ。
ドロシーはハーミーをベッドへいざなう。
翌日の夕方、もう一度ドロシーの家を訪れたハーミーは、ドアに彼あての手紙がはさまれてあるのを見る。「昨夜のことは、あなたがおとなになった時、きっと理解してくれると思います。幸せになって。それが私の願い。」
物語は大人になったハーミーによる回想として語られる。
「あの夏、映画を五本見た。雨が九日降った。友だちのベンジーは時計を壊し、オスキーはハーモニカをやめた。私は特別な体験の中で子供の日と決別した。永遠に。」ラストのナレーションだ。
   
十五歳の少年の性への好奇心、美しく優しい人妻への思慕、思春期の微妙な心理を切なく、ノスタルジックな感覚で描いたロバート・マリガン監督の名作であり、哀愁感ただようミシェル・ルグランの音楽も忘れがたい。そしてなによりも愁いを含んだジェニファー・オニールの美しさに目を奪われる。
原題は「Summer of '42」。公開は一九七一年。一九四二年の物語はベトナム戦争の現実が意識されており、甘美ななかに戦争へのプロテストが込められている。
ずいぶん前の話だが、DVDを入手した機会に細君をはじめ何人かの女性にお薦めしてみたが寄せられた感想は思いのほか芳しくなかった。
少年の性体験というのはいろんな感じ方があるけれど、それ以上に薦めた人、つまりわたしの人間性を映画の背後に見てとったらしく、そうなるとこの映画は「人妻に思慕を寄せる少年の純情」ではなく「人妻との関係を期待するエッチなオヤジのメルヘン」となるのだった。
思えばここらあたりが「オヤジ」と見られるとば口だったのかもしれない。「少年」から「男」へ、「男」から「オヤジ」へ、人生行路の難問のひとつである。