大聖堂のなか(伊太利亜旅行 其ノ四)


須賀敦子は1961年11月15日、ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店に勤めるジュゼッペ(通称ペッピーノ)・リッカと結婚した。新婦は三十二歳、新郎は三歳上だった。彼女ははじめてミラノの大聖堂を訪れて「あんなに華やかで、あんなに太陽にきらめいていた大聖堂なのに、内部に一歩はいると、これは違う、となにかがささやいた。なにかが、そこにはなかった。内側は見なかったことにしよう」と思ったという。
『即興詩人』のアントニオはおなじ堂内を、採光の具合はローマのサン・ピエトロ寺院に似て、五色の窓よりかすかにもれ入る光は神秘の世界をそこに映し出しており、神の座はここだと思えるほどだったと語る。これは作者アンデルセンの思いだった。
ドゥオーモのなかは精神的バックボーンを欠いているとみた須賀敦子と、宗教的な恍惚を感じたアンデルセンとのあいだでわたしはとまどい、揺れている。