サン・カルロ教会(伊太利亜旅行 其ノ五)

はじめて野口冨士男の墓参に新宿の成覚寺へ出向き「野口家之墓」を捜したが見つからず、けっきょくすごすごと退散した。帰宅して調べてみると野口は両親の離婚により、のちに母の養子として平井姓に入籍し、野口は筆姓となっていたのだった。後日「平井家之墓」に参ったが、何事によらず予習の大切さを痛感したことだった。
予習は思うだけで実行がともないにくいものだが、こんどのイタリア旅行では須賀敦子の著作を読むことがささやかな予習となり、おかげでミラノでの自由時間にサン・カルロ教会に行けた。
ドゥオーモの大広場から伸びるヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを道なりに五分ほどあるいたところにその教会はあった。須賀敦子、ペッピーノ夫妻のゆかりの教会は大聖堂とは対照的なひっそりとしたたたずまいで、それがわたしにはいとおしく感じられた。