アイアンクロー

小学生のときのプロレスはいつもいつも金曜夜八時三菱電機提供のTVでしたが、二度だけ力道山のリングを見たことがあります。嬉しかったなあ。外人レスラーのトップはジェス・オルテガだったでしょうか。そのころすでにオルテガを凌駕する「鉄の爪」をもつ凄いプロレスラーがいるという噂は聞いていたように覚えています。それ以来「アイアンクロー」はフリッツ・フォン・エリックの代名詞としてしっかり脳裡に刻まれています。そんなわけでノスタルジックな気分に誘われ早々に映画館に足を運びました。

調べてみるとフリッツ・フォン・エリックがはじめて来日したのは一九六六年十一月、当時わたしはもうプロレスから離れていたけれど、高名なプロレスラーの来日の話を聞き、あるいはTV観戦したかもしれませんが確かではありません。

もっとも映画の重きは家族一体となってチャンピオンをめざしたエリック一家が遭わなければならなかった災厄であり、「呪われた一家」と囁かれたエリック家の子供たちの運命にあります。

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一九八0年代はじめ元AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリックに育てられた次男ケビン、三男デビッド、四男ケリー、五男マイクの兄弟は、父の教えを受けプロレスラーとしてデビューし、やがて六男のクリスも参戦します。ところが三男のデビッドが世界ヘビー級王座戦への指名を受けたあと日本でのプロレスツアーで急死します。これを機にエリック家はまるで災いが押し寄せるような事態となり、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになっていきます。

すでに長男ハンスは不慮の事故により早世、デビッドは日本で急死、ケリー、マイク、クリスは自殺、健在なのは次男のケビンだけでした。この事態に家族のありようがどのように介在しているのか、そこのところが問いかけとなっています。

エンドロールでは、いまケビン夫妻は牧場を経営し子供、孫たちと大家族で暮らしているとテロップが流れます。このあと浮かんだのが「うちつけにしなばしなずてながらへて/かかるうきめをみるがは(ママ、さ)びしさ」という良寛の歌でした。文政十一年(一八二八年)越後を襲った大地震に際しよんだもので、地震で死なず、なまじ生きながらえたために、こうした辛いありさまを見なければならない、との意で、生きてるに越したことはないけれど生き長らえたために寄せてくる哀しみもある。良寛を介してえらく偏った解釈をしているかもしれませんが、ケビンに対するわたしの忖度です。

(四月九日 TOHOシネマズ日比谷)