英語のノートの余白に (14) 「しろうと」

ある受験参考書の例題に

The man on the street has heard that this second Industrial revolution will refashion his life……

とあったので、街頭の人びとは、第二の産業革命は自分たちの生活を作り直すことになるだろうという話を聞いた……と訳して、解答を見たところ「しろうとはこの第二の産業革命は自分らの生活様式を作り変えてしまうという話をきいた」となっていた。

テストの採点ではわたしの訳でも何点かもらえるだろうが、そんなことより、the man on the street が「しろうと」とあるのには恐れ入った。注があり「街頭の人」つまり「市井の人」「ふつうの人」、専門家とか学者などではない人のこととあった。つまり「しろうと」というわけだ。

いろいろな人が集まる street だから言葉も多様だ。street child (宿無し子、浮浪児)、street people(ホームレス)がいるいっぽうに be on easy street(裕福に暮らしている人)がいる。なかには be back on the street (娑婆に戻る)の人もいる。

辞書によっては複合語として the man(and[or]woman )in[on]the street をあげて一般の人々、一般市民としてあるがさすがに、しろうとの訳語はなかった。

ところでうえの例題は山﨑貞『新々 英文解釈研究』(研究社)に載っている。オビには《伝説の参考書「山貞」(やまてい)、ついに復刊/本書は昭和四十年(1965)発行の新訂新版の復刻版です。》とある。高校生のとき、友人がこの参考書を持っていたのをおぼえている。わたしは持たなかったけれど、みょうに懐かしくて購入してみた。大正元年『公式応用 英文解釈研究』を初版とし、その後、幾度か改訂があり『新々 英文解釈研究』となつた。わたしは一九六九年三月に高校を卒業したから、少くとも七十年代までは定評のある学参として通っていたであろう。

これまで読んだところでは、前置詞の解釈について、痒いところに手が届くような例題が載っていて感心している。ただし難問が多くて、高校生のときわたしが本書を使ったとしてもおそらく途中で挫折していたにちがいない。

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the man on the street についてあれこれ見ているうちに、美空ひばりのヒット曲「越後獅子の唄」のなかの、わたしゃみなしご、街道ぐらし、ながれながれの越後獅子、という一節を思いだした。街道ぐらしのみなしご、street child が空を仰ぐ、そこがニューヨークであれば摩天楼が建っている。そしてわたしはこの摩天楼という言葉にいささかのほろ苦さを感じる。

ゲーリー・クーパーパトリシア・ニールが共演した「摩天楼」(原題The Fountainhead)は米国では一九四九年七月二日、日本では翌年十二月月三十一日に公開されている。主演の二人はこの二年前から不倫の関係にあり、それが明るみに出て大きなスキャンダルとなった。クーパーの妻は離婚に応じず、やむなくニールは妊娠中絶して別れた。のちに彼女は作家のロアルド・ダールと結婚したがけっきょくうまくゆかなかった。彼女にとってクーパーは生涯にわたり忘れらない、最愛の人だった。

ところでいま超高層ビルと呼ばれる摩天楼は skyscraper の訳で、「魔」ではなく摩擦の「摩」が用いられているのは天、空をこするような高い建物という意味合いがある。ちなみに壁紙をはがす道具のことをスクレーパー(scraper)といい、こするのだからスクラッチにも通じる。

いずれも後知恵で書いている。これを知ったときは、摩天楼が「魔」ではなく「摩」としたのはどうしてなのかと疑問をもたなかった自分が情けなかった。ほろ苦さの所以である。こういう疑問がすぐ浮かぶ高校生であれば『新々 英文解釈研究』だって十分使えたかもしれない。

いつ誰が  skyscraper に摩天楼という訳語を与えたのかは不明ながら、神経の行き届いた、きめ細かな訳語である。斉藤秀三郎著『和英大辞典』(1928年)には摩天楼ではなく、摩天閣で立項されていてA sky-scraperとある。摩天楼、摩天閣ともに日常的にはもう使われなくなって久しい。