2014-01-01から1年間の記事一覧

ダーダネルス海峡(土耳古の旅 其ノ六)

黒海とマルマラ海を結ぶボスフォラス海峡、マルマラ海とエーゲ海ひいては地中海を結ぶダーダネルス海峡はともにヨーロッパとアジアの境界であり、古来戦略上の要衝の地である。 1853年に起こったクリミア戦争の結果、ロシアはダーダネルス・ボスフォラス海峡…

日劇ミュージックホールOG会(其ノ二)

懇談会につづいては料理とお酒が運ばれ、松永てるほさんの乾杯の発声で開宴し、しばらくは歓談のひととき。見た限りでは森サカエ、松永てるほ、岬マコさんはよい飲みっぷりでしたねえ。 そうするうちに森サカエさんにリクエストが寄せられた。日本レコード大…

ホテルの『コーラン』(土耳古の旅 其ノ五)

高校生のとき国際ギデオン協会の方から文庫本ほどの大きさの『新約聖書』をいただいた。和英対照だったのですこしは英語の勉強になるだろうと、ときどき眺めていた。 社会人になると出張先のホテルでハードカヴァーの『聖書』を見かけるようになった。こちら…

日劇ミュージックホールOG会(其ノ一)

この六月十五日に日劇ミュージックホールのOG会が開かれ、過日、小浜奈々子、松永てるほ、岬マコさんと面識を得たわたしも受付や記録報告などの手伝いを兼ねて参加させていただいた。 まずは当日の読売新聞に「ミュージックホールダンサー初のOG会」という見…

青の彩り(土耳古の旅 其ノ四)

ブルーモスクの正式名称はスルタンアフメト・モスク。オスマン帝国第十四代スルタン・アフメト一世により1609年から1616年にかけて建造された。設計はメフメト・アー。六本の優美なミナレットと直径27.5mの大ドームをもつこの建物は青い装飾タイルやステンド…

「バイ・バイ・ブラックバード」

一九三0年代の雰囲気が色濃く表現された映像と派手な銃撃戦で忘れがたい映画に「デリンジャー」(1974年)がある。ジョン・ミリアスのはじめての監督作品でウォーレン・オーツがデリンジャーに扮した。 ジョン・デリンジャーは一九三0年代前半アメリカ中西…

アヤソフィア(土耳古の旅 其ノ三)

イスタンブールはアジアとヨーロッパとが接する場所だ。双方の地は橋で結ばれ、また地下鉄も通じている。地理上の接点は文化が出会い、融合し、角逐する場である。ブルーモスクと対のかたちで建つアヤソフィアはそれを象徴している。 東ローマ帝国時代にはギ…

「グランド・ブダペスト・ホテル」

一九三0年代初め、東欧の架空の国でホテルのなじみ客だったマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺され、彼女をはじめとして多くの老女性から愛されているホテルのコンシェルジュ、グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)に嫌疑がかかる。背後に莫大な遺産争い…

ブルー・モスク(土耳古の旅 其ノ二)

はじめてイスタンブールという都市を意識したのはいつのことだったろう。映画ではっきりおぼえているのは1964年の公開当時に観た「007/危機一発」(「007/ロシアより愛をこめて」として再上映)で、写真のオスマン帝国を象徴する建造物ブルーモスクをはじ…

ジョヴァンナ・メッツォジョルノのことなど

四月になるときまってヴァーノン・デュークの名曲「エイプリル・イン・パリ」を思い出す。エドガー・イップ・ハーバーグの歌詞ではワインの香り、マロニエの花、木陰のテーブルがあしらわれて春の女神が幸せと恋心をもたらしてくれる。これほど四月に似合い…

正岡子規記念球場句碑

上野公園内、正岡子規記念球場にある子規の句碑には「春風やまりを投げたき草の原」が刻まれている。 句碑に添えられた解説プレートには、子規が上野公園で野球を楽しんでいたのは明治十九年から二十三年にかけて、随筆「筆まかせ」には明治二十三年三月二十…

「異端」の言論活動〜宮武外骨(関東大震災の文学誌 其ノ十七)

「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪を経とし色気を緯とす。過激にして愛嬌あり」(「経」はたていと「緯」はよこいとの意)をモットーとした反骨のジャーナリスト宮武外骨は関東大震災のあと「震災画報」と題した雑…

正岡子規記念球場

日本に野球が紹介されて間もないころ、正岡子規が野球を愛好し、数々の野球用語を和訳したのはよく知られている。野球の基本を解説した随筆「ベースボール」で子規はベースボールに要するものとしてまず「およそ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生ならばなお善…

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」

1961年冬。 ルーウィン・デイヴィスはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのライブハウスを拠点に活動するシンガーソングライターだ。フォークソングを歌い続けているがなかなか売れず、音楽での生活をあきらめようかとも考えている。 破滅型ではないけれ…

本郷菊冨士ホテル跡

本郷菊坂にある菊富士ホテル跡の石碑。その傍らには由来を示す石碑とともに主な止宿者の名が刻されている。 由来については明治三十年岐阜県大垣出身の羽根田幸之助、菊江夫妻がここに下宿菊富士楼を開業し、大正三年には菊富士ホテルと改名し営業を続けたが…

『わたしの上海バンスキング』

ことし二0一四年二月十六日の朝日新聞紙上で明緒(あきお)『わたしの上海バンスキング』(愛育社)が採りあげられていて「第二次大戦下の上海に集うジャズマンらを描いた音楽劇の傑作『上海バンスキング』。この作品を生んだ人々と時代を、『遅れてきた観客…

笠森お仙碑

笠森お仙(1751年-1827年)は谷中の笠森稲荷門前の水茶屋鍵屋で働いていた看板娘。浮世絵師鈴木春信の美人画のモデルとなりお仙見たさの参拝客が増えたという。 大正八年六月は浮世絵師鈴木春信百五十年忌にあたっていて、それに先立つ四月永井荷風に記念の…

『アメリカ様』

昨年の『震災画報』につづいて宮武外骨『アメリカ様』がちくま学芸文庫の一冊にくわわった。 元版は東京裁判が開廷した一九四六年五月三日に蔵六文庫から刊行されていて、『震災画報』に較べると自由にものが言える度合が大きくなったぶん、より心を開いて多…

恋文横町

渋谷の文化村通りから道玄坂へとあるいていると「恋文横町ここにありき」としるされた標柱がある。一九五三年(昭和二十八年)に朝鮮戦争が休戦となり多くのアメリカ兵は日本の基地から本国へ帰った。別れを惜しむラブレタ−を書こうにも英語のできない女性は…

「誘拐」と「相棒-劇場版Ⅲ-」

むかしからハリウッドは社会的な問題を興味深く、面白く撮るのに長けていた。 いっぽう日本映画はまじめな主題を採りあげると往々にして下手な啓発映画のようになってしまう傾向がある。主題は立派だが映画として面白くないのである。わたしは主題はどうあれ…

「生きることほど、人生の疲れを癒してくれるものは、ない」(伊太利亜旅行 其ノ六十)

ヴェローナからバスでミラノのホテルへ着いたのは夕刻だった。明日はマルペンサ空港から帰国だ。でもまだ夜がある。 「荷造り?」 「寝なければ出来る」 わたしたちのグループは電車でふたたびドゥオーモのある中心街へ行き、ショッピングと食事をしてホテル…

「朝顔の蕾のやうなあの筆先で書いた恋文けさ開く」

消費税率が上がった。無職渡世の年金暮らしだからこれまでとは身に沁みる度合が違う。収入増の可能性は皆無のところへ老後の不安が高まる。夜が冷たい、心が寒い、そしてフトコロはいっそう乏しくなる。このあいだ新聞で、ドジョウだなんだとか言っていた前…

イタリア・マイブーム(伊太利亜旅行 其ノ五十九)

2013年映画館で観た作品の悼尾を飾ったのは「フォンターナ広場 イタリアの陰謀」。自宅でのDVDは「輝ける青春」。ともにマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督。意図したわけではないが、あれこれと手を出しているうちにこうなった。イタリアへ旅行してイタリ…

嵯峨美子「五月の風」

レコードを聴きながら本を読んでいると突然ガリガリっといやな音がした。見るとよちよち歩きの子供がプレイヤーのアームをつかんでレコードを引っ掻いていた。叱っても音は還ってこないし、レコード以上に心が痛んで、そのときは子育てなどするものではない…

ヴェローナのにぎわい(伊太利亜旅行 其ノ五十八)

旅から帰っていくつかのイタリア旅行記を開いてみた。ロミオとジュリエットの町だからそれぞれの屋敷やジュリエットの墓などのモニュメントを回ってきましたといった簡単なものはあるが本格的な紀行文は管見したなかでは唯一ゲーテの『イタリア紀行』のみだ…

「ブルージャスミン」

ジャスミン(ケイト・ブランシェット)は実業家ハル(アレック・ボールドウィン)の妻として、長年ニューヨークでセレブな生活を送ってきたが、結婚生活の破綻とともに一文無しとなってしまう。 靴店に勤めてみたもののそれまで交際のあった人たちが客として…

ヴェローナの城壁(伊太利亜旅行 其ノ五十七)

井上究一郎『幾夜寝覚』に著者が訳したジャン・グルニエ『孤島』のなかのヴェローナに言及した部分が引かれている。 「ヴェローナ、この町は閉ざされていてはいりこめない。『ロミオとジュリエット』が、ヴェネチアではなく、ヴェローナで起こるのは、それだ…

紹介『永井荷風と部落問題』

拙著『永井荷風と部落問題』(リベルタ出版2012年)が「人権フォーラム石川ニュース 第41号」(2014年5月1日)誌上で紹介されました。 筆者 高 隆造様の御了解のうえで以下に再掲させていただきました。併せて高様に感謝申し上げます。 この本の著者は、高知県の…

小浜奈々子、松永てるほ、岬マコさんとの歓談

大学生のころ長期の休みの終わりに地方の実家から新幹線で上京すると、東京駅へ着く手前で日本劇場が目に入ってすこしばかり浮き立つ気分になったものだった。いま有楽町のおなじ場所に建つマリオンを見てもそんな気にはならない。 早いものでその日劇がなく…

ロミオとジュリエットの町(伊太利亜旅行 其ノ五十六)

ヴェローナは「ロミオとジュリエット」の舞台となった町。 ジュリエットの屋敷へ行ってみるとここは観光名所として賑わっていたが、写真にあるようにロミオの家はひっそりとしていた。二つの家は歩いて十分ほどの近さで、キャピュレト家とモンタギュー家が対…