本郷菊冨士ホテル跡

本郷菊坂にある菊富士ホテル跡の石碑。その傍らには由来を示す石碑とともに主な止宿者の名が刻されている。
由来については明治三十年岐阜県大垣出身の羽根田幸之助、菊江夫妻がここに下宿菊富士楼を開業し、大正三年には菊富士ホテルと改名し営業を続けたが、昭和二十年三月十日第二次大戦の戦災により五十年の歴史を閉じた、この間、止宿した内外の文学、芸術、思想、医科学、政治経済の各界に亘る多くの逸材は近代日本の歩みに燭光を放っている、といったことが述べられている。
近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によると創立者の羽根田幸之助は「いったいぜんたい広津(和郎)や直木(三十五)などという男たちは、宿料を払う気があるのかね」と語っている。「文士の巣」と呼ばれた同ホテルの一面である。
映画関係では月形龍之介伊藤大輔溝口健二の名前がある。かれらは宿賃をきちんと払っていたのだろうか。