恋文横町

渋谷の文化村通りから道玄坂へとあるいていると「恋文横町ここにありき」としるされた標柱がある。一九五三年(昭和二十八年)に朝鮮戦争が休戦となり多くのアメリカ兵は日本の基地から本国へ帰った。別れを惜しむラブレタ−を書こうにも英語のできない女性は思うにまかせない。そこで英文ラブレターの代書屋が誕生したというわけだ。
さっそく丹羽文雄がこの店を素材にした小説『恋文』を朝日新聞に連載し話題を呼んだ。恋文横町の名はこの小説に由来する。モデルとなったのは元陸軍中佐菅谷篤二という方で、軍の依託学生として東京外語で学んだ経験を活かして以前から米兵相手の夜の女やオンリーのために手紙の翻訳をしていたのだった。『恋文』は同名の映画にもなった。田中絹代の初監督作品である。
「恋文引き受けます」のはり紙を出した店のあった界隈にはいまファッションビル109が建つ。代書屋はこの建物の裏に位置していたとのことだ。