関東大震災の文学誌

レジスタンスとコリンヌ〜コリンヌ・リュシェール断章(其ノ七)

コリンヌ・リュシェールは戦時中ナチス高官の愛人だったとされ、戦後市民権剥奪十年の判決を言い渡された。対独協力者の娘、「ナチの高級売春婦」の反対側にあったのはナチス占領下におけるフランスのレジスタンスだった。 そこでは、イギリスからド・ゴール…

春泥〜退職十年目の春に(関東大震災の文学誌 其ノ二十)

二0一一年三月十一日の東日本大震災、この月の末日で定年退職したからいま退職十年目がはじまったところである。 職業人としての双六の上がりに待ち受けていた思いもかけぬ事態に衝撃を受け、このかん折にふれて時間をさかのぼり関東大震災にかんする論文、…

「心のにごり」(関東大震災の文学誌 其ノ十九)

「元暦二年のころ、大地震(おほなゐ)ふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。い…

「異端」の言論活動〜末弘厳太郎(関東大震災の文学誌 其ノ十八)

関東大震災をめぐる言論のなかで宮武外骨は在野において異彩を放ったが、その対極にある東京帝国大学法学部という「体制エリートの製造販売所」(高島俊男『寝言も本のはなし』)にも末弘厳太郎という異端の言論人がいた。 末弘の著『嘘の効用』(川島武宜編…

「異端」の言論活動〜宮武外骨(関東大震災の文学誌 其ノ十七)

「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪を経とし色気を緯とす。過激にして愛嬌あり」(「経」はたていと「緯」はよこいとの意)をモットーとした反骨のジャーナリスト宮武外骨は関東大震災のあと「震災画報」と題した雑…

復興の夢(関東大震災の文学誌 其ノ十六)

関東大震災の直前一九二三年(大正十二年)八月二十四日加藤友三郎首相が急逝し、内田康哉内閣総理大臣臨時代理を経て九月三日山本権兵衛内閣が発足した。ここで震災対応を任されたのが後藤新平だった。当初は外務大臣としての入閣と目せられていたが震災の…

「異質」な日本人へのまなざし(関東大震災の文学誌 其ノ十五)

関東大震災にともなう二大事件として甘粕事件と亀戸事件がある。 前者は九月十六日、無政府主義者大杉栄、伊藤野枝夫妻と大杉の甥である橘宗一の三名が憲兵隊に連行、殺害された事件で憲兵大尉甘粕正彦が主犯とされた。憲兵や陸軍の責任は問われず、すべて甘…

喉元過ぎれば・・・(関東大震災の文学誌 其ノ十四)

関東大震災からやがてひと月が経とうとしている九月二十九日寺田寅彦はベルリンに留学中の小宮豊隆への長文の書簡で地震被害が大きくなった要因について述べている。 〈今度の地震は東京ではさう大した事はなかつたのです。地面は四寸以上も動いたが振動がの…

「自警団」考(関東大震災の文学誌 其ノ十三)

「不逞鮮人」が井戸に毒薬を入れた、夜陰に乗じて暴動を企てているといった関東大震災のときの「流言蜚語」に寺田寅彦が精緻な分析を行っている。 流言には「源」があるが、それを受けつぎ、取りつぐ人がいなければ「伝播」は起こらない、そこで着目したのは…

流言蜚語(関東大震災の文学誌 其ノ十二)

関東大震災では朝鮮人にまつわる噂が飛び交った。井戸に毒を入れた、放火と暴動を起こした、夜陰に乗じてガスタンクへの火付けや市ヶ谷監獄からの罪人の釈放を企てている、クーデターを起こすため海軍東京無線電信所を襲う恐れがあるといったものだ。 ほかに…

大震災と流行語(関東大震災の文学誌 其ノ十一)

水上滝太郎『銀座復興 他三篇』に収める「遺産」に「妻は、この間ねだった子供の洋服を、震災後の流行言葉で『この際』ぜいたくをいうなと拒まれたのを根にもって、つんとして見せた」という箇所がある。関東大震災のすぐあとで「この際」が流行語になってい…

「売女」のその後(関東大震災の文学誌 其ノ十)

水上滝太郎「銀座復興」で、震災直後の銀座街頭で、通りがかりの男が派手な身なりの女にむかって「売女」とののしったのを「はち巻」のおかみさんが語る。 「今日あたくしが用達に行ったかえりに、そりゃ凄いようなハイカラが歩いていたんでございますよ。淡…

「船頭小唄」から「東京行進曲」へ(関東大震災の文学誌 其ノ九)

〈おれは河原の枯れすすき/同じお前も枯れすすき/どうせ二人はこの世では/花の咲かない枯れすすき〉 野口雨情が作詞した「船頭小唄」の一番で(作曲は中山晋平)、関東大震災はこの歌が大流行しているさなかに起こった。そのため震災と暗い歌詞、悲しい曲…

大震災天罰論(関東大震災の文学誌 其ノ八)

関東大震災は東京を焼け野原にした。衝撃と茫然自失の気分がただようなか「復興の魁は料理にあり/滋養第一の料理ははち巻にある」と張り紙をして敢然と店を開いた銀座の小料理屋があった。 水上滝太郎「銀座復興」はこの「はち巻」とここに集う人々を通して…

綺堂と花々(関東大震災の文学誌 其ノ七)

岡本綺堂が古道具屋の店先で徳利のような花瓶を見つけて買い、そのあと麻布十番の夜店でもとめた梅の枝と寒菊の花を挿したいきさつは「十番雑記」の一篇「箙の梅」にしるされている。 このときの住まいは麻布区宮村町だったが、この家も震災の影響で雨露をし…

花の力(関東大震災の文学誌 其ノ六)

関東大震災からおよそ一年、被災した岡本綺堂は、仮住まいの生活をつづけていた。住みなれた自宅での生活とは気分や感情の落ち着きやゆとりの面でだいぶん落差があったのだろう、花を活けて眺めようという気は起こらなかった。 ところがある日、綺堂は古道具…

『三浦老人昔話』執筆経緯(関東大震災の文学誌 其ノ五)

関東大震災で被災した岡本綺堂が元の自宅のあった麹町に戻ったのは一九二五年(大正十四年)六月だったから、そのかん一年と十ヶ月は借家生活だった。 家具、家庭用品を揃えようにも借家では思うにまかせないし、それと震災がこれまでの生活様式を見直すきっ…

綺堂の見た震災一年後 (関東大震災の文学誌 其ノ四)

関東大震災で麹町元園町の自宅を焼け出された岡本綺堂と家族、女中はその日は紀尾井町の小林蹴月方に避難し、翌日高田町の額田六福方に移った。小林、額田ともに作家で、前者とは親類、後者は綺堂の高弟にあたる。 綺堂の一家は同年十月に麻布区宮村町に転居…

「火に追われて」(関東大震災の文学誌 其ノ三)

『岡本綺堂随筆集』にある一篇で関東大震災の体験を述べた「火に追われて」は、たいへんに臨場感のあるルポルタージュであり、乏しい読書体験を承知であえていえば、山の手での震災体験、火焔におおわれた怖ろしさをこれほどに示した文献は貴重だと思う。 当…

安政の江戸地震と関東大震災(関東大震災の文学誌 其ノ二)

「安政の三大地震」は一八五四年(安政元年)十一月四日に起きた東海地震、おなじく五日の南海地震、そして翌安政二年十月二日の江戸地震をいう。東海と南海地震につづく十一月七日には豊予海峡を震源とする安政豊予地震も起きている。マグニチュードの大き…

岡本綺堂と水上滝太郎(関東大震災の文学誌 其ノ一)

このほどひさしぶりに岡本綺堂の随筆を読んだ。『半七捕物帖』や『修禅寺物語』の作者の著作を手にする人は多くが江戸や明治の残り香に触れたい思いがあるからだろう。わたしが千葉俊二編『岡本綺堂随筆集』(岩波文庫)を手にしたのもそうした気持からで、…