「グランド・ブダペスト・ホテル」

一九三0年代初め、東欧の架空の国でホテルのなじみ客だったマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺され、彼女をはじめとして多くの老女性から愛されているホテルのコンシェルジュ、グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)に嫌疑がかかる。背後に莫大な遺産争いをめぐる確執があり、やむなくグスタヴ・Hは真相究明の旅に出なければならなくなり、彼を慕うベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)も行動をともにすることとなった。上司と部下というより師匠と弟子そしてちょっと風変わりな親子にも似た男二人の慈しみ、助け合う姿は味わい深く、奇妙な冒険譚は波乱に富む。

物語の時間軸はその三十年台の出来事をあるホテルのオーナーがノスタルジックに語る六十年代、さらに現代へと及ぶ。ウェス・アンダースン監督はそれぞれの時間軸に応じてスクリーンサイズを変えるという凝った語り口に冴えを見せている。
そして凝ったといえば映像が童謡の歌詞を借りて申せば絵にも描けないような世界で、それを絵本ではなくスクリーンに描いた!といった感じで、観客はベル・エポックの雰囲気が漂うミニチュアのようなピンク色をしたホテルや艶やかにして落ち着きのある衣装や家具、調度類などに瞠目しながら冒険譚を追わなければならず、くわえて豪華なキャストに目を奪われて、これではいささかせわし過ぎるじゃないかとひそかにうれしい悲鳴をあげることになる。
この映画が冒険小説やミステリーの好きなわたしにたのしいひとときをもたらしてくれたのはもちろんだが、観終えたとき、ここにある映像世界の豊穣をはたしてどれほどに味わえたのだろうと心配になったことも言い添えておかなくてはならない。食通など自分には関係ないけれど、名采名酒を味わうにはそれなりの舌の感覚が求められるかもしれないと思うとすこし不安感がきざすのである。
ちなみにワインであろうとコニャックであろうと、何であれ、その良否を知るひとつの方法は、日頃から安物を飲み続けるのがよろしいそうで、たまに極上品に接すると落差がくっきりとわかると開高健が述べていた。映画の名品を知るにもプログラムピクチュアの一歩からである。「グランド・ブダペスト・ホテル」と再会するときはもっと深く味わえるようになっていたいな。