「朝顔の蕾のやうなあの筆先で書いた恋文けさ開く」

消費税率が上がった。無職渡世の年金暮らしだからこれまでとは身に沁みる度合が違う。収入増の可能性は皆無のところへ老後の不安が高まる。夜が冷たい、心が寒い、そしてフトコロはいっそう乏しくなる。このあいだ新聞で、ドジョウだなんだとか言っていた前の首相を見たが、貧乏神に見えたぜ。
義理とふんどしを欠いてはならないけれど、より合理的な経済生活には心がけなくてはならない。小生小遣いは書籍と映画、DVD等に多く投入する関係で、合理的な経済生活となるとここに改革を加えるほかなく、まずは必要度をしっかり見極めて作品の精選に務めなければならない。ファイトが湧くねえ。
読書は買ったまま置いてある未読の大作に打ち込むのがお金の防衛になるし、年齢からしてもそうすべきだろう。具体には『失われた時を求めて』『ユリシーズ』『アラビアン・ナイト』『聊斎志異』『ボッカチオ』『神曲』等々それと『荷風全集』の再読といったところか。消費税上げは嫌だけど生活の創意工夫は好きだ。
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新宿にある全労済ホール/スペースゼロでの「山崎バニラ活弁大絵巻」へ行き、昔のマンガ映画や「ちびっこギャング」「キートンの警官騒動」をたのしんだ。

山崎バニラの名前は聞いたことがあるが、舞台に接したのは初めてで、大正琴やピアノを演奏しながら弁士をつとめる才女で、声質は専らコメディ向き、というか自分をそういうふうにかたちづくっているのだろう。
活弁エンターティンメントでたのしむ無声映画会のあとはいっしょに行った友人とお酒を飲み、カラオケで歌い、そうしてJRに乗る前に新宿のレコード屋さんで、オスカー・ピーターソン・トリオの「コール・ポーター・ソングブック」30センチLPをゲット。CDは持っているが、大好きなジャケットはLPで持っていたくて。お酒に酔いつつ抱いて帰り、部屋に飾った。

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慶應義塾で中国文学を講じた奥野信太郎の随筆「懐かしい時代の力士たち」に醜名を電気燈、寒玉子という力士が登場する。前者はその名のごとく光頭燦然としていたとあり、後者は土俵に上がるとなんともいいようのない和気が満ちてくるように感じられた力士だったそうだ。著者は明治三十二年の生まれだから明治の末あたりの話だろうか。
電気燈も寒玉子も名前どおり闘志よりも和気満堂型の力士で、奥野は、このような芝居でいえば道化役にあたる力士が減ってしまったのが時代の相違とはいえしみじみと胸にこたえてくるような気がすると回想する。
奥野が尊敬してやまない永井荷風の「毎月見聞録」にもほのぼのとした相撲の話題が散見されていて、大正六年一月の記事に千年川が対馬洋を高無双で破り、この場所で引退を宣言していた力士は得意の無双は土俵への置土産と語ったとある。小錦が場所中に引退を口にしたところ大相撲の伝統にそうした引退の仕方はないとかでそのまま引退させられたが、大正の昔に比べギスギスした話だ。
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おなじく奥野信太郎「二先輩の死」によると、佐藤春夫久保田万太郎は不仲だったが、万太郎が亡くなる少し前から確執の度合がやわらぎ和解に向かっていた感があったそうだ。『荷風全集』に収める未発表日記部分に両者への悪口雑言が書かれてあり、同病相憐れむ心情が芽生えていたという。
荷風佐藤春夫に対する論難は、戦時中に軍の報道班として外地に行き協力したことにあった。戦時中の荷風は時局に背を向け作品発表も叶わなかったが、それも遺産や家産があればこそで、佐藤春夫がどれほどの経済状態にあったかは知らないが、家計が厳しければ止むを得ないかと同情もする。
荷風久保田万太郎に対する雑言は何が原因していたのだろう。荷風文化勲章受章にあたっては万太郎の尽力が大だったし、万太郎は映画「渡り鳥いつ帰る」では監修役を務めていて、荷風はずいぶんこの人の世話になっているのだが、心の底ではどんなふうに見ていたのだろう。調べてみたい主題である。
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都筑道夫阿部定事件を扱った伊佐千尋『愛するがゆえに』について、ノンフィクションは作者の勝手にできない事実が厳然とあるから、小説以上の話術、構成力、描写力、再現力が要求されるが、その前にたとえ不首尾であっても新しい事実の発掘の努力をしてほしいと苦言を呈していた。(『都筑道夫の毒ホリディ』)
早わかりではなく、事件と関係者そして背景等ぜんぶわかるものであってほしいと都筑の要求は厳しいが、それもノンフィクションへの期待が大きいからだろう。現時点で阿部定についての最良のノンフィクションとなるとやはり堀之内雅一『阿部定正伝』(情報センター出版局)だろう。この四月三十日に亡くなった渡辺淳一の『失楽園』がきっかけとなったお定さんブームのさなかの一九九八年に刊行されている。若干の補足をすれば、永井荷風と長く関係が続いた関根歌さんが阿部定日本橋の芸者屋で一緒だったことがあるという。荷風先生が詳しく聞いておいてくれたらなあと惜しまれる。
また関根忠郎、山田宏一山根貞男『惹句術』に、石井輝男「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」で本物の阿部定を隠しカメラとマイクで撮ったとある。ぜひともスクリーンでお目にかかりたいものだ。

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福島県放射能による健康被害を「美味しんぼ」が採りあげていて、その内容が問題になっている。わたしは作品を読んでいないから表現のありかたや作者の姿勢について云々はできない。ただ批判する側に、この作品を発表したこと自体を問題にしているような印象があり気になっている。その印象がまちがっていればよいのだが。
美味しんぼ」の内容に問題があると考えるならルールに則り、理と情を尽くして具体に反論すればよい。あとは読者がそれぞれの意見を評価してくれる。それらが民意となり、民度へとつながる。その前提には存念を述べ、調べ、考えたことを自由に表現し発表できる社会がなければならない。政治の務めはそうした自由な言論の場の保障にある。ところが権力を持つ閣僚までが出張って来て一漫画家の作品をあげつらい批判する。いつもは「事態の推移を見守りたい」と逃げの手を打つのが得意なのに、相手が弱いとみればこれだ。恐ろしい世の中になったものだ。
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古今亭志ん朝さんの大須演芸場での高座を録音したCDに「試し酒」が収められている。ある大店の主人が下男の久造を連れて訪れた近江屋の主人と話をするうちに、談たまたま久造の酒の強さに話題が及び、五升の酒を飲めるかどうかで賭をするというよく知られた落語である。古典噺と思われがちだが、落語の速記者、研究家の今村信雄による創作である。
そのためか「試し酒」は『志ん朝の落語』(ちくま文庫)には収められていない。本屋さんで探せばどなたかの速記本にあるかもしれないが、とりあえず久造さんが三升ほど飲んだところで肴代わりに自分で都々逸を歌う、そこのところだけでもと思いメモしてみた。落語にメモなんて無粋なことしちゃいけませんよと言われそうだけれど。

その久造さんの都々逸より。
「お酒呑むなら花なら蕾、今日も咲け咲け明日も咲け」
「明けの鐘コンと鳴る頃三日月型の月が落ちてる四畳半」。
ばっちいのもあって「水に油を落とせば開く、落としてつぼまる尻の穴」。
最後はきれいに、久造さんがいちばん好きな都々逸を。
朝顔の蕾のやうなあの筆先で書いた恋文けさ開く」。