「バイ・バイ・ブラックバード」

一九三0年代の雰囲気が色濃く表現された映像と派手な銃撃戦で忘れがたい映画に「デリンジャー」(1974年)がある。ジョン・ミリアスのはじめての監督作品でウォーレン・オーツデリンジャーに扮した。
ジョン・デリンジャーは一九三0年代前半アメリカ中西部で銀行強盗を繰り返しFBIから「社会の敵ナンバーワン」("Public Enemy No.1")に指名されたギャングで、三十五年ぶりにリメイクされた「パブリック・エネミーズ」(2009年)のネーミングはここから来ている。

ノスタルジックな雰囲気のただようギャング映画が好きだ。風俗描写はもちろんだけれど気分を高めるのが音楽で、ナイトクラブやダンスホールのシーンで時代を感じさせるメロディが演奏され、歌われるのがうれしい。断片的であっても時代のファッションを眺めながら聴く楽曲はいいものだ。
デリンジャー」ではディキシーランドジャズやカントリーミュージックが用いられていて、それとは異なる趣向を出したかったのだろう「パブリック・エネミーズ」ではスィングジャズが主となっていて、ビリー・ホリディが歌う「私の彼氏」や「ラブ・ミー・オア・リーブ・ミー」、ベニー・グッドマン・オーケストラの「キング・ポーター・ストンプ」などが流れていた。
そして主題曲格として据えられたのが「バイ・バイ・ブラックバード」(作曲 Ray Henderson 作詞 Mort Dixon)である。
ダンスホールジョニー・デップデリンジャーが神秘性を具えた美女ビリー・フレシェット(マリオン・コティヤール)に目を奪われ、二人はこの曲で踊った。
デリンジャーはすでに裏社会の英雄ではなく、銀行強盗をやっては派手な銃撃戦を繰り返している時代遅れの困り者となっている。社会の敵ナンバー・ワンもいつしかギャング世界の厄介者で、裏社会の近代化、合理化について行けなかったところは「忠治旅日記」の国定忠治大河内伝次郎)を思わせる。
そのデリンジャーの心情に「バイ・バイ・ブラックバード」はぴったりの曲だった。
 Pack up all my care and woe
 Here I go, singing low
 Bye bye blackbird
心配も悲しみも詰め込んで、静かに歌いながらさあ行こう、バイバイブラックバード
人生の再出発への思いが込められた歌詞の奥にはデリンジャーとビリーの道行きが暗示されている。
いまのデリンジャーには裏社会での居場所さえない。
 Where somebody waits for me
  Sugar's sweet, so is she
映画に即して意訳をすれば、甘く優しい逃れの街で誰かがおれを待ってくれている、となるだろうが、そんな場所とてなく、撃たれたデリンジャーは最期に「バイ・バイ・ブラックバード」とつぶやくほかなかった。
ブラックバードは暗く辛い生活の暗喩あるいはシカゴの地を指すともいう。いずれにせよそれらとお別れしてビリーと二人でやり直したかったデリンジャーにとって「バイ・バイ・ブラックバード」は叶えられない夢だった。
この曲はマイルス・デイビスの演奏でモダンジャズの印象が強いが、オリジナルは1926年にジーン・オースティンが吹き込んでいる。ついでながら「マイ・ブルー・ヘブン」もこの人が1928年に歌って大ヒットとなった。こちらは日本でもおなじ年に二村定一と天野喜久代が歌って大流行し、以来歌い継がれているが、戦前吹込みの「バイ・バイ・ブラックバード」でわたしが知るのは1934年に「灯りを消さずに」の邦題で歌った川畑文子のものだけで、他のヴァージョンを探しているがいまのところ成果はない。