「ブルージャスミン」

ジャスミンケイト・ブランシェット)は実業家ハル(アレック・ボールドウィン)の妻として、長年ニューヨークでセレブな生活を送ってきたが、結婚生活の破綻とともに一文無しとなってしまう。
靴店に勤めてみたもののそれまで交際のあった人たちが客として来店すると接客に耐えられない彼女はやむなくサンフランシスコに住むシングルマザーの妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)の住む安アパートに身を寄せて再出発を図ろうとする。
転居はしても人間が変わったわけではない。カメラは西海岸に移ってみたが慣れない庶民生活のなかで過去の贅沢な生活にとらわれ、人びとのまなざしに怯え、気を遣い、神経をすり減らすジャスミンを冷徹かつ辛辣にとらえ、随所にニューヨークでの暮らしぶりを挟みこんで結婚生活が破綻したいきさつを明らかにする。
やがてジャスミンの前に現れたのは独身のエリート外交官。願ってもない理想の男性だ。ジャスミン、だまされているんじゃない?ほんとうに彼がエリート外交官だったとして、恋のゆくえとセレブリティへの返り咲きは?

テネシー・ウィリアムズ欲望という名の電車』はニューオーリンズを舞台に、落魄した名家の出の女性ブランチが妹とその粗野な夫の住む家に居候するうちに隠された過去や心の闇が明るみにされて破滅してゆく姿を描いた戯曲で、ウディ・アレンは「ブルージャスミン」においてこの名作にオマージュを捧げ、そうして見事な変奏曲を生み出した。
ブランチを下敷きにしたジャスミンの人物像には浅ましく痛ましいなかにコミカルな要素が織り込まれていて、シリアスなテーマにライトな感覚がほどよくブレンドされた作品となった。わたしはそこにウディ・アレンの腕の冴えとケイト・ブランシェットをはじめとする役者たちの実力を感じた。そして生活能力はないのにプライドだけは高い女への視線に内在する「コミカルな要素」について映画評論家の高崎俊夫氏が「ウッディ・アレンが愛してやまないチェーホフ的な、メランコリックな笑い」と具体的に述べておられて大いに傾聴納得した。
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ブルージャスミン」で主題曲として扱われているのは「ブルー・ムーン」だが、いつものようにいくつものスタンダードナンバーが散りばめられていて、わけても久しぶりに聴いたシドニー・ベシエのソプラノサックスによる「かわいいあの娘がくれたブルース」はなつかしくまたうれしい選曲だった。こんな出会いがウディ・アレンの映画を観るたのしみのひとつであるのはいうまでもない。
帰宅してビールを飲みながら「Woody Allen's Movie Music」というCDを聴いた。聴きながら、重たい問題を重たく扱った映画が苦手だから、余計に今日のような映画が好きなんだな、と思った。
逆から言えば娯楽性や洗練の度合はそっちのけで思想や感情が氾濫する、たとえば黒澤明監督「生きものの記録」のような作品が苦手だ。反原爆の思いは尊重するとしても。映画にもっと貪欲でありたいけれど感覚の問題があって崔洋一監督「血と骨」は予告編を観て重要な作品と考えながらも激情に突き動かされた阿鼻叫喚が感情の失禁状態と映ってしまい、どうにも食指が動かずパスしてしまったし、同様の理由で園子温という人の映画も気になりながら避けたままでいる。