笠森お仙碑


笠森お仙(1751年-1827年)は谷中の笠森稲荷門前の水茶屋鍵屋で働いていた看板娘。浮世絵師鈴木春信の美人画のモデルとなりお仙見たさの参拝客が増えたという。
大正八年六月は浮世絵師鈴木春信百五十年忌にあたっていて、それに先立つ四月永井荷風に記念の碑文を撰するよう依頼があった。はじめ荷風は応じなかったが(『断腸亭日乗』四月二十四日)、まもなく笹川臨風の勧めがあり引き受けた。その碑文が刻されたのがいま谷中の大円寺にある「笠森阿仙乃碑」である。
〈女ならでは夜の明けぬ日の本の名物、五大洲に知れ渡るもの錦絵と吉原なり。笠森の茶屋かぎやの阿仙春信の錦絵に面影をとゞめて百五十有余年、嬌名今に高し。本年都門の粋人春信が忌日を選びて阿仙の碑を建つ。時恰大正己未の年夏六月滅法鰹のうめい頃荷風小史識。〉