ほんのはなし

『落語を歩く 鑑賞三十一話』

成瀬巳喜男監督「女が階段を上る時」で銀座のバーで雇われマダムとして働く高峰秀子が体調を崩し、実家の佃島に帰り静養していて、そこへバーのオーナーである細川ちか子が見舞いにやって来るシーンがある。家を訪れる手前では小さな蒸気船が客船を曳いてい…

『ルビッチ・タッチ』

エルンスト・ルビッチ監督「陽気な中尉さん」(一九三一年)で、ミリアム・ホプキンスの令嬢が婚約者(モーリス・シュバリエ)を「あの人には軍服がほんとによく似合ってほれぼれする」と自慢すると、当の婚約者の愛人クローデット・コルベールが「でも、パ…

『イージー・トゥ・リメンバー』

William Zinsser『EASY TO REMEMBER The Great American Songwriters and Their songs』が昨年十月『イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』(関根光宏訳)として国書刊行会より刊行された。 著者ウィリアム・ジンサーは一…

牧野伸顕『回顧録』を読む

一九四六年(昭和二十一年)春、牧野伸顕は孫で作家の吉田健一、その友人で文芸評論家の中村光夫、吉田の従兄である伊集院清三を相手として回想談をはじめた。企画は志賀直哉の強い勧めによるものだった。回想談は一九四九年一月二十五日牧野が八十七歳で歿…

『歳月』

みこしは土地っ子がかついで、和風のうちののきさきをしずかに、ゆっくり、もみながら進んでいくのでないといけない。なのに洋風建築が多くなり、職場と住居が分かれてかつぎてをよそから借りてこなくてはいけなくなった、それやこれやで東京のまつりがつま…

『カクテル・ウェイトレス』

一九七七年に八十五歳で亡くなったジェームズ・M・ケインの未刊の遺作『カクテル・ウェイトレス』(新潮文庫、田口俊樹訳)が刊行された。原書はチャールズ・アルダイ(リチャード・エイリアス名義でハードボイルド小説『愛しき女は死せり』がある)による丁…

『わが恋せし女優たち』余話

逢坂剛・川本三郎『わが恋せし女優たち』(七つ森書館)はたのしい本だった。本文を読み、写真を眺めているうちに華やいだ雰囲気に包まれ、心がときめき、甘酸っぱい思い出がよみがえった。 ミレーヌ・ドモンジョといえば一九五0年代後半に「悲しみよこんにち…

『わが恋せし女優たち』

逢坂剛・川本三郎のお二人はこれまでにも西部劇やミステリー映画についての対談本を出していて、その薀蓄と知見に舌を巻いたものだったが、こんどの『わが恋せし女優たち』(七つ森書館)には該博な知識に裏付けられた「恋せし」女優をめぐる話が満載されてお…

『わたしの上海バンスキング』

ことし二0一四年二月十六日の朝日新聞紙上で明緒(あきお)『わたしの上海バンスキング』(愛育社)が採りあげられていて「第二次大戦下の上海に集うジャズマンらを描いた音楽劇の傑作『上海バンスキング』。この作品を生んだ人々と時代を、『遅れてきた観客…

『アメリカ様』

昨年の『震災画報』につづいて宮武外骨『アメリカ様』がちくま学芸文庫の一冊にくわわった。 元版は東京裁判が開廷した一九四六年五月三日に蔵六文庫から刊行されていて、『震災画報』に較べると自由にものが言える度合が大きくなったぶん、より心を開いて多…

『ヒットラー売ります』

一九三三年一月三十日ヒットラー内閣が成立した。つづいて二月には国会議事堂放火事件を機とする大統領緊急令にもとづく共産党への弾圧が行われ、三月にはドイツ議会が授権法によるヒットラー独裁を承認した。 五十年後の一九八三年四月西ドイツの有力週刊誌…

『父 吉田健一』

年明けに刊行された吉田健一の単行本、著作集に未収録のエッセイを集めた『おたのしみ弁当』(島内裕子編、講談社文芸文庫)を読んでいるうち昨年末に吉田暁子『父 吉田健一』が河出書房新社から刊行されているのを知った。 吉田暁子についてはエリオット・…

『藝術にあらわれたヴェネチア』

ヴェネチアは十三世紀末に国家としての体裁を整え、やがて領土を広げ、地中海に沿う各所に貿易の拠点を置き、十五世紀末に繁栄の絶頂期を迎えた。交易を通じての東洋と西洋の自然な出会いは水の都に賑わいといっそうの魅力をもたらし、多くの詩人、作家、画…

『HHhH プラハ、1942年』余話

ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(高橋啓訳、東京創元社)の訳文はとてもわかりやすく読みやすい優れもので、読んでいるうちに何度か村上春樹が書いた歴史小説と錯覚しそうになった。妄言御免。 もっともすらすらとは読めなかった。登場人物、また言…

『HHhH プラハ、1942年』

チャーチルはナチの高官でチェコの実質的統治者だったラインハルト・ハイドリヒを恐れていたという話がある。たぐいまれな洞察力を具えた、この抜け目のない男がヒトラーを排除し、妥協による講和に持ち込んだりするとナチ体制を維持する可能性がある、チャ…

『不眠の森を駆け抜けて』余話

漱石夫人夏目鏡子に『漱石の思ひ出』という著書がある。鏡子が口述し、漱石の弟子で長女筆子の夫松岡譲が筆録した。 この回想記が雑誌「改造」昭和二年(一九二七年)十月号に掲載されたとき、永井荷風は『断腸亭日乗』同年九月二十二日の記事で「不快の念に…

『不眠の森を駆け抜けて』

ロシア文学者から脚本家に転じて「また逢う日まで」や「夫婦善哉」「雪国」などの名作を執筆した八住利雄の家では、長男の八住利義が中学生のころから父のラジオドラマの代作をやっていたという。「ヤスミ、手で書く、足で書く」といわれた多作の父の多忙を…

池田清彦『アホの極み』を読む

地震予知、原発、地球環境、脳死、臓器移植などなど現代科学の諸問題について文系老人(小生のこと)はとても難渋する。関係しないでいられるならそれでよいけれど生活に係わるからそうもゆかない。 もとよりさまざまな意見、考え方があるのは承知しているが…

『色ざんげ』

丸谷才一による生前最後の編纂本『花柳小説傑作選』(講談社文芸文庫)には十九篇の短篇小説が収められている。そのなかで島村洋子の短篇連作集『色ざんげ』から採られた「一九二一年・梅雨・稲葉正武」「一九四一年・春・稲葉正武」の阿部定をめぐる二篇が…

『コーヒーと恋愛』

「てんやわんや」「自由学校」「大番」「青春怪談」「信子」「娘と私」。 思いつくままにこれまでに観た獅子文六原作の映画を挙げてみた。こんなにたのしませてもらっているのにこの作家の小説を読んだことがない。折よく『コーヒーと恋愛』がちくま文庫に入…

『定本 酔郷譚』

倉橋由美子『定本 酔郷譚』。文庫本の棚にあったその書名に心惹かれ即決購入した。 昨年の五月に刊行された河出文庫の一冊で、一九九六年四月から二00四年九月にかけて「サントリークォータリー」誌に断続的に連載された「カクテルストーリー・酔郷譚」の…

『映画プロデューサー風雲録』

大島渚と山田洋次をふくむ十人の助監督が松竹大船撮影所に入社したのは一九五四年(昭和二十九年)四月、その五ヶ月後の九月に升本喜年(ますもと・のぶとし)という日大芸術学部を経て早稲田の大学院で演劇を専攻した青年が同撮影所のプロデューサー助手と…

『最初の刑事』

ヴィクトリア朝のなかば一八六0年六月イングランド南西部にあるロードという小さな村でサヴィルという三歳の男の子が殺されるという事件が起きた。使用人用の便所に棄てられた三歳児の死体はのどがかき切られて首はほとんど切断状態にあった。 世にロード・…

『ジャズ・ダンディズム』

野口久光(1909-1994)という名前を知ったのはジャズのレコードにあるライナー・ノーツをつうじてだった。グラフィック・デザイナーとしての業績は知らないまま、のちに戦前戦後にかけて描かれた千枚にも及ぶ映画ポスターのなかからセレクトされた『ヨーロッ…

『快楽としてのミステリー』

丸谷才一氏の晩年の著作は多く自身の仕事を総括する意図から出たもので、いずれも「丸谷才一自身による丸谷才一」とでもいえる批評的編集の方針に基づいていたと毎日新聞の書評欄に鹿島茂さんが書いていた。 多年にわたるミステリーのエッセイと書評を収めた…

『シシド 小説・日活撮影所』

日本活動写真株式会社が誕生したのは一九一二年だからことしは日活百年の年にあたる。折りよく宍戸錠『シシド 小説・日活撮影所』が角川文庫に入ったのでさっそく手にしたところ、まさに巻措く能わずのおもしろさで一気に読んだ。 戦後、日活の映画製作は一…

『永井荷風と部落問題』書評二篇

本年三月リベルタ出版より上梓しました拙著『永井荷風と部落問題』が下記の紙誌で採り上げられました。それぞれクリックのうえ御一読いただければさいわいに存じますとともにお二人の評者に感謝申し上げます。 (1)京都部落問題研究資料センター通信(2012年7…

『アルゴ』

世の中には自分はこんなことをしてきましたと素直に語るだけでそれが波瀾万丈のストーリーになる人がいる。取材を重ねたり知恵を絞るなどあれこれ苦労して物語を作らなくてもよい稀な存在だ。CIAで人質救出を専門としたアントニオ・メンデスもその一人で、さ…

『にんげん蚤の市』

一九三七年(昭和十二年)高峰秀子は五歳のときから専属として働いていた松竹を離れPCL(のちの東宝)に移った。原因は彼女の義母と松竹とのトラブルだったが、義母から許諾の返事を求められて彼女は気に染まず、金に転んだと思われるのもいやで「私がい…

『地震雑感/津波と人間 寺田寅彦随筆選集』

本書は関東大震災をはじめとする災害や事故をめぐる寺田寅彦の随筆、論説を集成した中公文庫の一冊。千葉俊二、細川光洋両氏による編集で巻末には細川氏による親切な註解があり理解を助けてくれる。 一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市の東方沖を…