『イージー・トゥ・リメンバー』

William Zinsser『EASY TO REMEMBER The Great American Songwriters and Their songs』が昨年十月『イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』(関根光宏訳)として国書刊行会より刊行された。
著者ウィリアム・ジンサーは一九二二年ニューヨーク生まれのフリーランスのジャーナリストで、プリンストン大学卒業後ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙で映画演劇担当記者、論説委員を務めている。

本書の対象とする時代は一九二七年のミュージカル「ショウ・ボート」の開幕から音楽界をロックが席捲した一九六0年代後半までの「アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代」で、著者はジェローム・カーンオスカー・ハマースタイン二世、ジョージ&アイラ・ガーシュインリチャード・ロジャース&ロレンツ・ハート、コール・ポーターアーヴィング・バーリンデューク・エリントンといった今日スタンダードナンバーとして知られる楽曲のメロディと歌詞を書いた人たちの人生を振り返りながら、曲にまつわるエピソードや社会的背景、ソングライターたちの特質や比較などの話題を自身の経験を交えながら語っている。じつにたのしく有益な読物であり、二00一年に刊行されて以来、プロの音楽家のあいだでも参考図書として愛読されているという。
わたしが最初に知ったアメリカのスタンダードナンバーは「スターダスト」で、毎日曜日の夕方「シャボン玉ホリデー」のエンディングでザ・ピーナッツが歌っていたから自然とおぼえた。団塊の世代にはおなじ体験をした方が多数いらっしゃるだろう。作曲したホーギー・カーマイケルについてウィリアム・ジンサーは、昔アメリカの田舎町でよく耳にした虫よけの網戸を閉める音や湖に浮かぶボートの船外機の音が聞こえてくるような気がするという。対照的なのがこよなくパリを愛したコール・ポーターで都会的な洗練や軽妙、ユーモアが横溢する曲を書いたが、二人はともにインディアナ州の出身だった。ソングライターたちの特質や比較の一例である。
スタンダードナンバーはミュージカルや映画と分かちがたく結びついている。「時の過ぎゆくままに」はリックとエルザの愛の神話に、「虹の彼方に」は「オズの魔法使い」のドロシーと魔法の国のファンタジーに彩られて一段と輝きを増した。その多くは映画やミュージカルのために作られ、またときに既存の曲も採り入れられた。ついでながら「虹の彼方に」は一九三九年のアカデミー歌曲賞を受賞し、二00一年には全米レコード協会等の主催で投票により選定された「二十世紀の名曲」で第一位に選ばれているが、本書には映画の製作過程で三回もカットされ、封切直前にようやく挿入が決まったというエピソードが紹介されている。
もちろん映画や舞台は忘れ去られ楽曲だけが残った事例も多いけれど、総じていえばスタンダードナンバーは映画やミュージカルの思い出とともにあり、そうした事情を含めてアメリカ文化の精華として過言ではない。
フレッド・アステアジンジャー・ロジャースのコンビによる「有頂天時代」の作曲を担当したのはジェローム・カーンだった。アステアと作詞のドロシー・フィールズはかれにスウィング感のある曲を求めていた。ところがピアノの上にワグナーの小さな胸像を飾っていたカーンは「スウィングする」という言葉の意味がよくわからないようだった。
ここからはフィールズの回想。
カーンがトイレに立ったときアステアはフィールズにどうすれば気持よく踊れる曲を書いてもらえるんだと嘆いたが、カーンが戻ってくるとアステアは嘆息に代えて部屋中を踊りながら、その姿を見せた。これが功を奏しカーンは「ボージャングルス・オブ・ハーレム」を書きあげ、ついで「ピック・ユアセルフ・アップ」「ネヴァー・ゴナ・ダンス」そして締めくくりの「ワルツ・イン・スウィング・タイム」で最高潮に達した。曲と詞と映画、ミュージカル、ジャズ、ダンスを繋ぐアメリカ文化の精華にふさわしいエピソードだ。
なお「有頂天時代」の原題は「スウィング・タイム」、そしてこのとき作られた「ピック・ユアセルフ・アップ」にある〈I pick myself up / Dust myself off / and start all over again〉が一九三六年の公開から七十年以上経った二00九年のオバマ大統領就任演説で〈Starting today, we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.〉(「今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国再生の仕事に着手しなければならない」というふうに用いられた。
アメリカ社会にスタンダードナンバーがどのように受容されているかが知られる話であり、このような繋がりがあるからだろうアメリカでは多くのソングライターが記念切手になっていて、本書にもホーギー・カーマイケルの肖像画の切手が掲載されている。スタンダードナンバーとソングライターたちへのリスペクトがファンとしてはうれしい。
またここにはソングライターたちの面影とともに映画館やブロードウェイの劇場ロビーで売られていた映画主題歌とミュージカルナンバーの楽譜の表紙がたくさん収められており眺めているだけでたのしい。五十七頁にある「TEN CENTS A DANCE」の表紙を飾る若き日のバーバラ・スタンウィックをご覧あれ、これがあの!の驚き。音楽出版社は映画、ミュージカルとタイアップしてオリジナルの表紙で飾った楽譜を販売していて、曲の情感を伝えたイラストレーションや写真は本書の大きな魅力となっている。ところが一九三0年代なかば素敵なオリジナルの表紙とともにあった楽譜の全盛期は終わる。楽譜を買ってきて「家族そろってピアノを囲むことから、フィルコ社製のラジオに耳を傾けることへと変化した」ことで命運が尽きた。スタンダードナンバーと科学技術の発達、メディアの変化、家庭、社会のあり方を関連付けたアメリカ社会史の一端であり、汲めども尽きぬ書とするにふさわしい記述である。
著書は参考文献に挙げたアレックス・ワイルダーアメリカン・ポピュラー・ソング』について「知識と感性を養うバイブル的な本」と述べていて、図らずも『イージー・トゥ・リメンバー』にも適用できる的確な評言となっている。