『歳月』

みこしは土地っ子がかついで、和風のうちののきさきをしずかに、ゆっくり、もみながら進んでいくのでないといけない。なのに洋風建築が多くなり、職場と住居が分かれてかつぎてをよそから借りてこなくてはいけなくなった、それやこれやで東京のまつりがつまらなくなった、と安藤鶴夫は慨嘆しながら「でも、わたしは、そんな東京のまつりでも、やっぱり好き」と書いている。
東京への哀惜と愛情を率直に語ったこの「東京のまつり」が書かれたのは昭和四十二年(一九六七年)三月で、二年後の昭和四十四年九月九日六十一歳で著者は亡くなった。
久しぶりに安藤鶴夫の随筆集『歳月』(講談社文芸文庫)を読んだ。
「東京のまつり」にあるような思いとともにこの地で暮らした著者の珠玉の随筆集として過言ではない。
堀割、納豆売り、古い町の呼び名、都電、銭湯、縁日・・・・・・これらは著者にとっての古きよき東京を偲ぶよすがである。

たとえば都電。つぎつぎと路線が消えてゆく都電にある日乗ると「つぎは飯倉一丁目でございます」と車掌がいう。「次は赤羽橋、銀座、麻布方面のかた、お乗りかえでございます」とも。この語り口に、いまどき、しかも運賃十五円で、「ございます」をこれほどさりげなく、あざやかに口にできる車掌さんはいないと著者は感動する。
駒形どぜうのしつけのよい若い娘たちの言葉もよい。もめんの絣に、さびいちごの揃いの帯をしめて、まだ色足袋を脱がないでいる子もいる娘たちだ。店にはいって注文すると「さき鍋で、鍋は二つ、ビール一本、御酒一本、お二人さァーん」という調理場へ通す声。これもさることながら、客が帰るとき「有難う存じます」「有難う存じました」という、この存じますはもう東京のたべものやできくことはめずらしいと著者はうれしく思うのだった。
古きよき東京とは著者の愛する人と風物をとおして現れる、かぎられた、ちいさな世界である。それを独特の語り口で示す、ここに著者の随筆の真骨頂がある。もちろん『巷談本牧亭』や『落語鑑賞』の著者だから、このなかには、そう、桃川燕雄、古今亭志ん生桂文楽桂三木助といった人たちがいる。この人たちについて安藤鶴夫は繰り返し語ったからファンには親しみがあるだろうが、はじめての人にはこの一筆書きのポートレイトはとりわけ魅力的に映るにちがいない。