『ヒットラー売ります』

一九三三年一月三十日ヒットラー内閣が成立した。つづいて二月には国会議事堂放火事件を機とする大統領緊急令にもとづく共産党への弾圧が行われ、三月にはドイツ議会が授権法によるヒットラー独裁を承認した。
五十年後の一九八三年四月西ドイツの有力週刊誌「シュテルン」がとつじょ六十巻におよぶヒットラーの日記が発見されたと報道し、連載記事の掲載をはじめた。
連合軍に包囲されたベルリン市の総統地下壕内でヒットラーが自殺した一九四五年四月三十日から数えると三十八年目の出来事であり「地下壕での自決から三十八年、ヒットラーの秘密日記公刊へ」といった文字が紙面を大きく飾った。
アメリカでも週刊紙ニューズウィーク」と新聞王ルパート・マードックの「サンデー・タイムズ」が「シュテルン」と提携して同様の記事を掲載しセンセーションを巻き起こした。もちろん裏では大金が動いており、引き続き「シュテルン」はイギリス、フランス、イタリア等のメディアに売り込みを図っていた。
激震はジャーナリズム、出版界から学界にも波及し、日記の真贋についての論争が起こった。それは一部に権威と欲の争いの様相を帯び、なかにはホンモノからニセモノへ、ニセモノからホンモノへ立場を移す学者も出る始末だった。
ただし騒動は西ドイツ連邦警察が簡単な資料検査をしたところ日記用紙各頁に第二次世界大戦後になって用いられるようになった素材が含まれているとの報告を出したのを機にわずか二週間でしりすぼみとなった。追い討ちをかけるように五月六日西ドイツ連邦公文書館が、これら日記は単なる偽物というより、幼稚極まる贋作であり、低い知的水準にある模写専門家のでっちあげと結論づけ、日記に用いられている紙や接着剤、綴じ糸はすべて戦後製造されたものであることを明らかにした。「シュテルン」と「ニューズウィーク」と新聞王はいずれも世界の嗤い者となったのである。

ロバート・ハリスヒットラー売ります』は事件の公判記録ならびに自社が演じた大失態の報告書いわゆる『シュテルン・レポート』、関係者へのインタビューをもとにこの騒動の詳しい顛末と詐欺事件に踊った人々を描いたノンフィクションで、著者は先年ロマン・ポランスキー監督が映画化した『ゴーストライター』の原作者として知られる。
原著は一九八六年、訳書は一九八八年に芳仲和夫訳で朝日新聞社から刊行されている。第一級のノンフィクションであるとともにミステリーとしてもたのしめる作品だから四半世紀のむかしには話題になっていただろうが、わたしはまったくノーマークで記憶になく、さきごろ古書店の棚でようやく出会ったしだいだった。これほどの作品を見逃していたのはいささか悔しいけれど、それだから古本漁りはやめられない。
ヒットラー日記の獲得にあたったのは「シュテルン」誌の記者ゲルト・ハイデマンで、ヒットラーおよびナチス高官が保持していたアイテムのコレクターでもあった。ただしそのコレクションは贋物の山だった。というのもハイデマンはおよそ記者には不向きな資質で、著しく批判精神を欠いた人物だった。ならば愚直な正直者かといえばぜんぜんちがう。
偽造者コンラット・クーヤウは、一九四五年にベルリンからザルツブルクに向かう途中墜落した飛行機の中から運び出されたもののなかにヒットラーの日記があり、いま東ドイツの政権中枢の筐底に秘められているが、条件次第では西ドイツへの移送は可能だ、そのために自分が仲介の労をとってもよいとハイデマンに持ちかけた。ハイデマンはその申し出に一点の疑問を差しはさむことなく、会社からは東ドイツの軍高官が命がけで西ドイツに運び込むための経費と謝金として多額を引き出し、横領と着服を繰り返した。それはのちに逮捕された偽造者クーヤウがハイデマンのふんだくった金額とそこから自分に廻ってきた額の落差を知り、おどろきあきれてしまうほどのものだった。
「シュテルン」誌は真贋について筆跡鑑定などいちおうのチェックはかけていたものの詰めは甘く、偶然も重なって、ヒットラー日記のプロジェクトは極秘にスタートした。
クーヤウが偽造しハイデマンが小出しに持ち込んでくる日記はスイスの銀行の金庫に施錠され、そのかんハイデマンは金額をつり上げ、会社はXデーの報道に向けていくつかの報道機関と折衝をはじめた。結果は上に述べた通りである。
ケチな男たちの企図した「世紀の発見」に多くの人たちが踊った。上に述べたように欲にくらんだジャーナリズムのあいだでは現ナマが飛び交い、一部学者はポスト争いと売名行為に狂奔した。しかしことはそのレベルではすまなかった。モスクワ放送は、偽造日記事件は米国CIAのやり口をはしなくも暴露するものだと伝え、米国のJ・カークパトリック国連大使は、合衆国と友邦西ドイツとのあいだに不信の溝を深めることを目的に日記は共産圏で偽造されたと勘ぐった。東ドイツ国家評議会議長ホーネッカーは西側報道陣の敵対的キャンペーンを理由に予定していたボン訪問をとりやめた。
日記は西ドイツ連邦公文書館のいうように、幼稚極まる贋作であり、低い知的水準にある模写専門家のでっちあげだったが、その影響は国際政治にまでおよんだのである。
エリック・アンブラーの名作『ディミトリオスの棺』に「暗殺、あるいは暗殺未遂に関して知らなければならない、重要なことは、誰がその銃弾を発射したか、ではなく、誰がその銃弾に対して金を払ったか、という点だ」というせりふがある。ヒットラー日記についても偽造者クーヤウの背後に別の人物や機関が存在して金を出していたのではないかとうのは一考すべき問題だ。しかしおそらくそれはなかっただろう。諜報機関が絡めばもっと精緻な贋作にするだろうから。それでもクーヤウがどうやって模造技術を身につけたのかの謎は残るけれど。
こうしてヒットラー日記をめぐる騒動は一瞬のバブルとしてはじけてしまったが、事件を生む社会的要因や背景がなくなったわけではない。政治の暗部をのぞいてみたいという思いは絶えることなく、ヒトラーでなくとも毛沢東周恩来の日記が発見されたといった報道があれば人々は平静ではいられない。仮にそれが偽書であり、しかもよくできたものであれば、わたしだったらこの際『世界名作偽書全集』を編んでみてはどうかしらと考える。ただし本書が採りあげたヒトラー日記は全集に入れる価値はなかったようだ。