『ジャズ・ダンディズム』

野口久光(1909-1994)という名前を知ったのはジャズのレコードにあるライナー・ノーツをつうじてだった。グラフィック・デザイナーとしての業績は知らないまま、のちに戦前戦後にかけて描かれた千枚にも及ぶ映画ポスターのなかからセレクトされた『ヨーロッパ名画座』を見て、あの人はこんなこともしてたのかとおどろいたものだった。汗顔の至りというべきだろう。
グラフィック・デザイナー野口久光の作品群はこれまで『ヨーロッパ名画座』と『野口久光 シネマ・グラフィックス』にまとめられているが、氏はジャズの方面でもレコードジャケットやポスター、アーティストのスケッチを遺していて、その一部は生誕百年を機にニューオータニ美術館で催された「野口久光の世界展」の図録とそれを基にした『野口久光 シネマ・グラフィックス』に一部紹介されているけれど十分とはいえなかった。
それがようやく昨二0一二年九月に講談社から刊行をみた『ジャズ・ダンディズム 野口久光ジャスの黄金時代』に集成された。以前にまとめられたライナー・ノーツを除くジャズ関連の文章とグラフィック作品が収められており、見て、読んでたのしい本となっている。

ジャズ批評のパイオニア的存在としての野口の評論はふるくは「スタア」一九四0年二月上旬特別号に掲載された「スイング」という文章にさかのぼる。そこではベニー・グッドマンやトミー・ドーシーを追っかけるように「一、二年前まではBクラスだったアーティ・ショウ、グレン・ミラー、チャーリー・バーネット、ウディ・ハーマンの四楽団の進出は目醒ましいものがある」「グレン・ミラーは(中略)オーケストレーションの豊かさ、各セクションの合奏に力を入れた好演奏はいたく好評を博している」といったジャズシーンの現況が伝えられている。
父親は陸軍士官学校出の厳格な軍人で、その方針から自宅に蓄音機はなく、野口によれば「非音楽的雰囲気」、恵まれない環境での活動だった。
戦後になるとジャズの現況や解説にジャズと映画をリンクさせた評論やコンサート評がくわわる。
ジャズとアメリカ映画では「アメリカ交響楽」「ヒットパレード」「グレン・ミラー物語」「ベニー・グッドマン物語」「五つの銅貨」「真夏の夜のジャズ」「ストーミー・ウェザー」といったところは定番といってよいが、「欲望という名の電車」を採り上げたところに目配りのよさが示されている。
アレックス・ノースによるその音楽は当時にあって「ハリウッド映画の定石を破っているが、音楽を聴かそうとしていないのがまずよろしい」としながら、その音楽がコワルスキー家のむせかえるような雰囲気やコワルスキーの激しい情欲、ブランシュの消えようとする幻想と絶望等を表現していると評価する。定番と定石を踏まえながらの意を尽くしたアレックス・ノースに対する懇切な批評だった。
来日アーティストのコンサート評は一九五三年日劇でのJATPのジャズコンサートにはじまり七十年代なかばのギル・エヴァンスやマイルス・ディビスまで、多岐にわたっており、それらは貴重な写真やイラストとともに「あのころのジャズ」といった雰囲気を醸し出している。
ただし多くは公演プログラムに執筆されており、ときにもっと率直な意見を聞いてみたいとの気持が生ずるのは否定できない。たとえばマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」をめぐっては「時代とともにその時代時代の感覚を鋭敏に反映しながら変貌し、休みなく前進しようとする意欲を常に見せている」と、その志や意欲を評価しているが、望蜀の嘆と承知しながらもあのアルバムの作品論としての価値はどうなのか訊ねてみたかった気がする。
それはともかくとしてこの『ジャズ・ダンディズム』と村上春樹文、和田誠画『ポートレイト・イン・ジャズ』のあちらこちらを眺めながら紹介されているアルバムを聴いているととてもハッピーな気分だ。