『父 吉田健一』

年明けに刊行された吉田健一の単行本、著作集に未収録のエッセイを集めた『おたのしみ弁当』(島内裕子編、講談社文芸文庫)を読んでいるうち昨年末に吉田暁子『父 吉田健一』が河出書房新社から刊行されているのを知った。
吉田暁子についてはエリオット・ポール『最後に見たパリ』の訳書に惹かれながら、そのうち図書館で借りようと歯を食いしばって買うのを我慢していたのに、こうなると父と娘の本に首ったけ、まいってしまって、いま『おたのしみ弁当』と『父 吉田健一』『最後に見たパリ』が机上にある。
『おたのしみ弁当』につづいて『父吉田健一』を手にした。吉田健一の肖像と父とともにあった人生の過ぎ去ったときが明晰でみずみずしい文章で語られている。こうした本こそ穏やかで静かななかに身を置き心を落ち着けて読まなくてはいけないと知りながら意に反してグイグイと頁を繰った。

クネクネしていて辿りにくい文体、ヘンな論理的飛躍。吉田健一を読んでいると、ときに荒行苦行に入ったような気持になるけれど、しかしそこにはまことに素敵なフレーズが散りばめれれていて、ここに来ると難渋したことなど吹き飛んでしまって、夕暮れ時に横丁の小体な料理屋の軒燈に灯が入ってぽっと明るくなったような気分になる。いつだったか吉田健一についてそんなふうなことを書いた。本書にも、父について物腰がみょうにくねくねしているとか、文体が曲がりくねっているといわれるとある。
そんな世評とはうらはらに、吉田暁子は、父の一生はまっすぐに引いた線そのものだったと言う。あの独特の文体と膨大な著作は無駄がなく、確かで、自然で、単純なまっすぐな線から生まれたというのはなかなか妙味だ。
そのまっすぐに引いた線の人の一生を「ものを書きたくてものを書き始め、結婚して家庭を持ち、ものを書いて生計を立て、犬を飼い、面白い本、良い文章を読み、美味と酒にしたしみ、良い友人とつき合い、旅を愛した」と娘はいう。
娘の見た吉田健一のあの日、この日がこの作家の読者に興味深いのは言うまでもないが、吉田健一を読んでいなくてもしみじみとした時間がもたらされるのは請け合ってよい。じじつ父への情愛と敬意に満ちたこの随筆集は一人の文士のポートレートであるとともに父と娘のいる味わい深い淡彩画のつらなりを見ているようで心が洗われる。
そうしてここには父と娘をふくむ家族の歳月がある。父は『ふしぎな国のアリス』など子供のための本をいくつか翻訳していて二人の子供、健介と暁子には「お健」「お暁」と名前を書いて与えていた。やがて父は自著に「健介様」「暁子様」と書いて贈る。「お健」「お暁」から「健介様」「暁子様」への過程は家族の変遷であるとともに、父の視線に子供たちの成長が認められるようになった証にほかならず、そうしてこの歳月は父の視線にある愛情を娘が感じ取れるようになる日々でもあった。
一九七七年(昭和五十二)八月三日父健一は六十五歳で逝った。暁子三十二歳のときのことだった。
そしていま。本書には折々に発表された文章とともに「花間一壺酒」と題した一篇の書き下ろしが加えられていて、そこに「母にも兄にも懐かしい想いはあり、精一杯肯定的な気持で付きあいきったと思うが、父に対する私の想いと比べると忘れられるなら忘れてもいい、と言う他ない」とある。現在の偽らざる気持を率直に示したこの箇所にどきっとしたわたしは、その瞬間「晩春」の笠智衆原節子の父と娘を思った。