『藝術にあらわれたヴェネチア』

ヴェネチアは十三世紀末に国家としての体裁を整え、やがて領土を広げ、地中海に沿う各所に貿易の拠点を置き、十五世紀末に繁栄の絶頂期を迎えた。交易を通じての東洋と西洋の自然な出会いは水の都に賑わいといっそうの魅力をもたらし、多くの詩人、作家、画家たちの感興をそそった。こうして詩に文に絵画に表現されたヴェネチアをめぐる作品群は世界の芸術史に確固たる地歩を占めている。
昨年はじめてヴェネチアを訪れて感激驚目したわたしは、旅のあとこの都市についての本をあれこれ読んでいるうちに、もしも芸術について高い見識と広い視野とセンスを具えた方がこれらの作品群のなかからエッセンスを選び出し、アンソロジーを編んでくれたらどんなにか素晴らしいだろうなあ、そんな夢のような本はないものかしらと空想にふけっていた。
そのうち塩野七生さんの『海の都の物語』(中公文庫)を読み終えて佐伯彰一氏の解説に目を通していると「小生の友人で比較文学者の平川祐弘さんに『藝術にあらわれたヴェネチア』という行きとどいたアンソロジー風の楽しい本があって、旅行の直後に読んでずい分と教えられ楽しまされたものですが、さすが塩野さんのビブリオグラフィには、ごく少数の邦文文献の一冊として採録されていました」という一節があり、ここのところで夢の本は現実に存在するらしいとピンと来た。
比較文学者として大きな業績を挙げられ、ダンテ『神曲』、ボッカッチョ『デカメロン』、マンゾーニ『いいなづけ』などイタリア文学の訳業でも知られる平川氏のヴェネチア本ならばまちがいなく優れたものだろうとさっそく調べてみたところ一九六二年(昭和三十七年)に内田老鶴圃という書肆から刊行された同書は現在絶版ながら、さいわい古書店の検索結果に数冊が示され、さっそく購入したしだいだった。

一見して期待にたがわない、いやそれ以上のものと知れた。多くの図版をふくむ五百六十頁の大冊すべてにヴェネチアが詰まっている。昭和三十年代の日本にはヴェネチア専門のガイドブックなどなく、せいぜいがイタリアの旅行案内の数頁を占めるほどだった。そこで著者は「ひとたびヴェネチアを見、その価値を知る幸福を得た人々は、その数頁では充ちたりぬ欲求不満を覚えられるにちがいない」と前提して本書を企画した。いまなおこれに匹敵する類書はないようだから、現在のところ本書は空前絶後雄大な試みである。
著者は昭和六年生まれ、本書の刊行は昭和三十七年だから、この大著は三十歳そこそこの若手の学究が著した作品であり、そうと知っておどろくとともに優れた学者の凄みを感じた。それにしてもこれほどの名篇を絶版のまま放置しておくなんてあまりにもったいない。古書好きがひそかにほくそ笑むたのしさは失われてしまうけれど、それよりもどこかの出版社から再刊もしくは文庫化されるよう心から願う。
『芸術にあらわれたヴェネチア』は「東西を結ぶ歴史」「ルネサンスの美術」「文学にあらわれたヴェネチア」の三篇からなる。文学を通してみた天正遣欧使節をふくむ東と西にまたがるヴェネチアの史話を序曲とし、画家チチアーノの伝記と作品を中心としたルネサンス美術の話題がゆるやかに引き継ぎ、「文学にあらわれたヴェネチア」で圧巻を迎える。
シェークスピアゲーテスタンダールバイロンアンデルセン、ヘンリ・ジェイムズ、トーマス・マンたちが讃歌を奏で、旅情を語り、遠い日の姿を追懐する。プルーストリルケゴンクール兄弟もいて、名前を挙げるだけでも果てしがない。有名無名の人たちのヴェネチアをめぐる作品群に心は躍った。
幕末維新からこのかたイタリアを訪れた日本人の作品も多く採りあげられていて、官側に岩倉使節団の公刊記録『米欧回覧実記』の著者久米邦武がいれば、民のほうには幕臣からジャーナリズムに転じた成島柳北がいる。『即興詩人』の訳者森鴎外はもとより上田敏志賀重昂、木下杢太郎、高村光太郎斎藤茂吉、市川晴子(英文学者市川三喜夫人)、小田実、著者の畏友芳賀徹氏などこちらも名前を列挙するだけでたいへんだ。
本書を読みながら、たとえば『ヴェネチアの商人』のシャイロックが、アントニオの船が西インドやメキシコに向かう話を聞きこむところで、読者はこの国の商業の中心地だったリアルト橋近傍の光景と当時の繁栄の姿を思い浮かべるだろう。

あるいは「私は心にかけている女性をこの地へ連れてきませんでした。それで正直のところがっかりしている次第です。なぜといってゴンドラであちらこちらを乗りまわし、話し、笑い、こうして波のまにまにたゆとうことができたなら、それは本当にすばらしい楽しみにちがいありませんから」と書いたバルザックのマフェ夫人あての手紙の一節にリアルト橋のかかる大運河(カナル・グランデ)をゴンドラで行く幸福を思うだろう。
イタリアへ旅した日本人に目を遣れば、やはりゲーテ『イタリア紀行』とアンデルセン作、森鴎外訳『即興詩人』の影響が圧倒的だ。平川氏はゲーテの『イタリア紀行』について、この旅行記の文章は詩人の感性を経て摂取された知識の興奮に満ちており、とりわけ永遠の都ローマ到着の興奮と水都ヴェネチアに入った感動と歓喜は特筆にあたいすると評価したうえで、日本人の読者、旅行者とのかかわりにつき「アンデルセンをのぞく他のいかなる泰西詩人のヴェネチアよりも、鮮明な印象」を残し「わが国の教養人の美しい文章を次々と誘発していったかにみえる」と論じて木下杢太郎、斎藤茂吉たちの「美しい文章」をここにくわえる。洋の東西にわたるめくるめく豪華さだ。
国際社会の変容とうち続くオスマン帝国との闘いはヴェネチアを疲弊させた。息の根を止めたのは「ヴェネチア共和国にとってのアッチラ」を自称するナポレオン・ボナパルトである。一七九七年五月十六日ナポレオン軍の入場により国家としてのヴェネチアは崩壊した。
バイロンは「ヴェネチアにタッソーのこだまもはやなく/黙々とゴンドラを漕ぐ船頭は歌声もなく」と嘆き、ワーズワースは「昔、ヴェネチアは壮麗の東方を支配下におさめ/西欧の砦なりしを・・・・・・」と偲んだ。
ロマン派の詩人、芸術家たちは岸辺にただよう落日の光、アドリアの海に寄せる波にヴェネチアの栄華と滅亡が映っていると見た。国家の崩壊が哀情という感興をもたらした。

イギリス生まれの歴史紀行作家ジャン・モリスは「現在のヴェネツィアは、イタリアの二十の州都のひとつにすぎず、なにも統治していない。しかし、支配者のカリスマ性は失っていないし、戦利品を手放してもいない」(『ヴェネツィア帝国への旅』椋田直子訳)と述べているが、崩壊からのちのヴェネチアをめぐる芸術の世界はカリスマ性や戦利品とは異なりさらに豊かなものとなった。そのことは何よりも『藝術にあらわれたヴェネチア』がよく示している。
旅が自身の眼で見、感性で感じるものでなければならないのはもちろんだ。ヴェネチアの旅が例外のはずはない。けれど語られ、描かれたヴェネチアを思い浮かべながらの旅もまた魅惑に充ちている。まして著者の言うように「ヴェネチアを語るには美にたいする鋭敏な感受性を必要とする。雰囲気を感じる肌と、それを伝える筆とを持たねばならぬ」となるとなおさらだ。
自身の眼と感性、そして語られ描かれた世界のふたつがいっしょになって旅は豊かなものとなる。すくなくともわたしはそのような旅人でありたい。さらには旅に限らず芸術はそんなふうにして豊かなものとなってきたと思う。
『芸術にあらわれたヴェネチア』を読んだわたしがつぎにヴェネチアを訪れたとき、この街はどのような表情に見えるだろうといまから心待ちにしている。